偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

多島斗志之『感傷コンパス』感想

多島斗志之の最後から2番目の作品となる本書は、昭和30年の伊賀の山村を舞台にした、小さくて暖かい人間ドラマです。

感傷コンパス (角川文庫)

感傷コンパス (角川文庫)


昭和30年春、新任教師の明子は、実家から遠く離れた伊賀の山村にある小さな分校に着任した。
担任することになった4、5年生の生徒たちは明子を慕い懐いてくれるが、ただ1人、問題児と呼ばれる生徒・朱根のことが気にかかり......。


ミステリを中心に幅広い作風が持ち味の著者ですが、本作は非常にシンプルな人間ドラマでした。
ノスタルジックな美しさでは、次作で実質遺作の『黒百合』にも通じる部分があります。しかし、ハナからミステリではなく人間ドラマという体で読むので、変な警戒心とか疑心暗鬼に囚われずに、めちゃくちゃ澄んだ心で読めました()。

ほんとにまるっきりミステリ要素はないんだけど、それでもさらっとした描写の中に深い意味が隠されているところだったり、登場人物の関係性や過去が少しずつ明かされていくところは、技巧的には感じさせないんだけど実はよく練られてたりして飽きさせません。

そして、そうした説明せずに悟らせる描き方にょって、大人も子供も10人以上の登場人物をたったの250ページでリアルに活き活きと描き切っているのは地味ながら凄い作品だと思います。
例えば、主人公の家族構成を説明するたったの1行で、主人公がどうしてこんな山奥の学校に赴任しようと思ったのか、また主人公が問題児の朱根ちゃんを気にかけてしまう理由なんかまで後になってじわじわ分かってしまったり、全ての描写に何かしらの意味があるようなストイックさがカッコいい。

子供が出てくる話なのに、作中で子供たちはそれぞれの抱える問題が外的要因によって解決したりはするものの、あんまり「成長」とか言うほどの変化を遂げてはいなくて、むしろ大人たちの成長物語になってるのが渋いっすよね。
なんせ主人公の明子は先生一年生だから、小学校4、5年生の子供らより全然環境の変化に戸惑う立場でもあって。
そこに、空木や朱根の父親や千津世センセといった人生に惑う大人の先輩たちが人生を一歩前に進める様も描かれていて、非常に味わい深い。
彼らの前身に主人公たる明子が深く関わっているかというと必ずしもそうでもなく、それぞれがそれぞれの人生を生きてる感じが、物語臭くないリアリティを持っていて、読み終わった後も何かが完結するわけではなく彼らの人生は続いていくんだなぁという広がりのある余韻が味わえました。
コンパスというモチーフも、ドラマチックにはなりすぎないように、しかし印象的に使われていて良いですね。なんつーか、徹頭徹尾ドラマチックさを排していることが逆に深みのあるドラマを作ってるような作品です。

そんな感じで、地味な小品ながら、それゆえの温かい安心感があり、多島斗志之らしい巧さも味わえる良いお話でした。