ラース・フォン・トリアーにハマってます。
もうほんと、最悪な映画しかないんだけど、その最悪がなぜかクセになるんですよね......。
本作『奇跡の海』は1996年の作品で、『イディオッツ』(1998)、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)と並んで『黄金の心』3部作として位置付けられる作品です。
3部作とは言っても話が繋がってたりってことは全くないんですけど、一応純真無垢な女性の主人公が酷い目に遭う、というのが共通テーマになっています。
中でも2作目のイディオッツはちょっと異色で評価しづらいのですが、あとの2作品はもう観たことを後悔するしかないレベルで後味悪い。よく胸糞映画として紹介されてますが、私が今まで見た映画の中でもほんとトップクラスに後味悪いっすね。
ただ、それでも彼女らの生き様をどっぷりと観せられるのでかなり感情移入しちゃうし見終わったあとの満腹感は凄いですからね。そういうとこがクセになるんでしょうね。はい。
そんな3部作の始まりが、本作『奇跡の海』なわけでして......。
まじでさぁ、もうほんとクソだわ。ほんとクソ。うんこフォントリアー!死ね!クソファック!うんこ!
1970年代、スコットランド。厳格な教会の影響が色濃い田舎の村に住むベスは、他所から来た労働者のヤンと結婚する。
愛し合う2人だったが、ヤンは仕事であちこちを飛び回り、なかなか一緒に過ごすことができない。信仰心の篤いベスは、神様にヤンが戻ってくるよう祈るが......。
はい......。
本作は8章立て150分ちょいの大作。
主人公ベスがヤンと結婚式を挙げる場面から始まります。
近作の『メランコリア』でもそうですが、トリアーは結婚式を決して幸せなだけには描かないんですね。本作のがまだマシだけど、この後嫌なことが起きそうな予感に満ちてます......。
そして、そのシーンの終わりでベスがウェディングドレス姿で仕事のためにヘリに乗り込むヤンとの別れを嘆くのを観て、主人公である彼女に心を掴まれてしまいました。
ベスはこの3部作に特有の純粋で愚かな(それこそ知恵遅れかと思うような)女として描かれています。
彼女は心を病んでて、一人二役で神様とお喋りしたりもしてるんです。そして、神を信じ、他人も信じ、疑うことを知らない。
多分だけど、純粋な美しい心というのは愚者にしか宿らないという世界観なんでしょうね。
一方、同じ愚か者でも権力の味を知ってしまっている神父さんたち教会の男たちの醜さたるや、本当にうんこです💩
なんかもう、分かりやすく「人間の醜さ」を戯画化したようなやつらで、こいつらへのムカつきから余計にベスに感情移入しちゃう。
男だけで勝手に宗教ごっこやりやがって。お前らみたいなうんこはさっさと死ねばいいんだクソ。あとこんなやつら出すトリアー監督も死ねクソ。
そして、本作で最も賢い人として描かれているのはベスの義姉のドドだと思います。
彼女はベスに同情し、優しくしながらも、どこかでやはりベスのアホさについていけてなくて俯瞰で観てる私たちからすると的外れなことをしちゃってます。良い人なんだけど、良い人として振る舞っているにすぎなくて、ベスのような純粋な心はもう失ってしまっているような。
そんな感じで、結構分かりやすくキャラが対比されてるので観ててあちゃ〜ってなりますね。はい。
後半からはベスの信じやすい性格のせいでどんどん物事が悪い方に転がっていって、さすがにこっちも「おいおい何やってんだよ〜」とベスを叱りたくなってしまいますが、だからこそ彼女は美しい。こりゃもう、世界がおかしいとしか言えないのです。
そうこうして、デヴィッド・ボウイのかの名曲とともに物語は静かな終わりを迎えるのですが、終わり方が凄かった。皮肉でありながら美しく、絶望でありながら希望の光が差す、みたいな。
(ネタバレ→)
いい加減、神様なんか信じられなくなったところで、鐘の音が鳴るあの荘厳な美しさ。
あれを聴いたのがヤンだけならば妄想かと思うところですが、みんなで聴いてるとあっては、超自然的な、つまりは神の存在を感じざるを得ません。ベスがベスだったからこそ、この奇跡は起きたのだと言う気がしますね。
ちょっと違うけど、私の好きな太宰治の「葉桜と魔笛」という短編にもちょっと似たシーンがあります。あれも名作。
そんな感じで、本作はまだしも観て良かったと思える作品ではありました(もちろんクソ最悪だけど)。