偽物の映画館

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村上春樹『レキシントンの幽霊』読書感想文

たまぁ〜〜に読みたくなる村上春樹の短編集。

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

レキシントンの幽霊 (文春文庫)


実は大学生の頃の半分くらい読んで、そこそこ面白かった気もするんですが、なんとなく全部は読まずにやめちゃってたんですよね。このたび5年越しくらいにサルベージしてきて読みました。

本書は独立した短編7編を収録した作品集ですが、全体にちょっと怖い話が多かったですね。ホラーというわけではないですが、死とか暴力性とか孤独といったテーマがわりと分かりやすく前面に押し出されている(その前面の裏側に私の読み切れていないであろう深みをも感じさせるとはいえ)ため、ぞくっとするような読み味になってるんですよね。
なんというか、何なのか掴み切れないんだけど、その分からなさまで含めて妙に印象に残る話ばかりなんですよね。普段、何から何まで作中できちっと回収されるミステリというジャンルばかり読んでいるだけに、たまにはこういう分かりやすい部分と分からない部分の同居した小説を読むのも楽しいものです。

以下各話の感想を。一応、内容に触れていますのでご注意。





レキシントンの幽霊

著者を思わせる作家の主人公が、レキシントンに住む建築家の友人の家で1週間のお留守番をすると、最初の夜に幽霊がパーティーするってゆうお話。

作家が(仕事はしてるけど)気ままに素敵なお屋敷で暮らすっていう世界への憧れがやばいので雰囲気だけで読めちゃいました。
話はかなり謎めいていて、最後まで読んでも何が言いたいのかよく分からない、難解な作品ではあります。
ただ、意外と分かりやすくヒントらしいものは散りばめられていて、読者が解釈する素材は豊富。私はそこまで頭が回りませんが、きちんと伏線を拾いながら想像力も駆使すれば、ある程度推理小説のような解決さえできるのではないかと思います。

さて、私はバカなのでそこまでのことは分からなかったものの、本作に濃密に漂う死と孤独の匂いを嗅ぐだけでもなかなか楽しめました。
幽霊たちは恐らくケイシーのご先祖とか(父親を含む)な気がしますが、そうするとアメリカなのにお盆みたいでちょっと愉快ですね。
犬が寂しがり屋なのは、飼い主の心情を表しているのでしょうか。
最後にケイシーと会う場面、彼の語りに出てくる、愛する人の死を前にしたときの深い眠りが印象的。
そして、死の予感の漂うケイシーの話について、最後に主人公が「遠い」と書くのもまた印象的です。その遠さが聖者と死者を分けているようで、ケイシーへの長いお別れのように響きます。





「緑色の獣」

庭から緑色の獣が生えてくるお話。

本書の中でもとりわけ短いながら、非常に強烈なインパクトを残します。めちゃくちゃ怖いです。
まず怖いのが、獣のビジュアル。緑色で長い鼻を持つ、人間とはかけ離れた容貌ながら、目だけは人間と同じっていうのが、怖い。
ピッキングという必殺技も怖すぎる(笑)。

しかし、この獣の不気味さを盾に、自然に当然に獣に残酷なことをする(いや、もはやしてすらいない)主人公が怖いお話です。淡々とした筆致が主人公の行為の恐ろしさと自然さを増すんですね。
ものすごく雑に言ってしまうと人間の残酷性や差別の話だと思うんだけど、寓話的なシチュエーションのせいで戦争から学校でのいじめから今だとSNSでの叩き文化まで何を思い浮かべても当てはまる、むしろそんだけ色々例を思いついてしまうのが恐ろしい作品です。
そして何より、自分もこのシチュエーションならやるだろうと思わされるのが......。
うん、インパクトがやべえ。





「沈黙」

語り手が、ボクシングをやってる知り合いの大沢さんに「人を殴ったことありますか?」と聞くと、大沢さんが学生時代に殴った相手・青木とのエピソードを語る。

という、幽霊も獣も氷男も出てこない、至って地味な話ですが、それだけに寓話っぽさで覆われていない剥き出しの現実の生々しさを感じました。

語られるのは、ありきたりな人間同士の嫌い合い。お互いになんとなくアイツが気に食わねえ、という誰にでもある感情。誰にでもあるからありきたりでもヒシヒシと緊張感があって読ませます。特に殴るシーンとか「やれ!殴っちまえ!」と思いますね。
ただ、本作の語り手が大沢さんではなく、この話を聞かされる「僕」であることによって一気に「ものの見方」というようなテーマが浮かび上がってきます。
そもそも大沢さんの中でも、時を経てあの出来事に対する見方の変化はあったわけですが、それを聴かされる「僕」≒読者は果たしてその話をどう受け取るのか?
そのことに対する「僕」の答えになるほどと思わされます。古い作品ですが、特に今のSNS世界に生きる私たちにとって学ぶべき点の多い名作ですね。
なんつって、Twitterであーだこーだ言いながらこんな感想まで書いてる私に「沈黙」なんて難しいっすけどね。





「氷男」

スキー場で出会った氷男に恋をして結婚した私。結婚生活もマンネリ化してきたある時、私は氷男に南極へ旅行に行こうと切り出すが......。

まず冒頭の静けさが好き。
スキー場の喧騒の中で、氷のように、いや氷そのものとしてそこに在る氷男。その静けさに惹かれる私。
しかし、恋愛の理想と現実にはギャップがあり、どこか上手くいかないのを打破しようとした行動がまた決定的なカタストロフへと静かに歩き出す第一歩になってしまう。
このへん普通に泣ける恋愛小説。
結末はやはりファンタジックなものの、そもそも恋人や夫婦なんて最も身近だと思い込んでいる他人に過ぎず、理解したつもりでも全て理解するのは無理。
そもそも、幼なじみ同士とかでもない限り恋人なんてのは多感な時期を過ぎた頃に出会ってるわけだから全然他人みたいなもので、まだしも学生時代の友達の方が分かり合えてる気もするし、だからこそ彼女の友達にも嫉妬しちゃう......なんてのは私の感慨であってだいぶ話がズレてきていますが、要はそういう相互理解の不可能性を描いた苦く切ないお話でした。好き。





トニー滝谷

母は彼を産んですぐに他界し、ジャズ奏者の父とは同居しながらも没干渉。そんな孤独な青年トニー滝谷は服が好きな女の子に恋をして......。

主人公のトニー滝谷とその父親の半生を淡々とした三人称で描いていく物語。
本作の1番分かりやすいテーマは「孤独」ですが、淡々として突き放したようですらある筆致自体がトニー滝谷の孤独を強調しているように思います。
トニー滝谷は他人にはあまり興味を持てない孤独な人間で、それは父親も妻も同じ。
それでも、トニー滝谷と妻は出会い恋をする。そして、彼女を失って今までの孤独とは異質の孤独を感じます。
ここで孤独の質が変わるということは、彼は彼なりにやはり妻を愛していたということでしょう。代替品としての女を雇おうとするも、馬鹿馬鹿しくなってやめてしまうことからも、彼の恋が少なくとも彼にとっては本物であったことが窺われてつらくなります。
しかし物語は淡々と孤独な男を風景のように描き出して幕を閉じる。
この残酷で苦い結末に、自分の未来を見るかのような余韻を感じます。じんせいかなしい......。





「七番目の男」

洋画とかでよく見る、何人かで輪になって自分のトラウマを話す会みたいなので七番目の男が語り出す。子供の頃に住んでいた海辺の町で嵐に遭遇し、友人のKを失ったというお話。

まず一読して、Kを救えなかったという罪を背負う主人公が詳細は判りませんがとある場でその経験を語ることでトラウマを克服する、という美談のように読めます。Kという名前は夏目漱石の『こころ』と同じで、テーマや設定の類似性からも狙って付けているように思います。
しかし、どうにも気になるのは、本作では主人公の語りオンリーしか描かれていないこと。うがった見方をすれば、さも良い話のように語ることでKを見捨てた自分を正当化しているだけのようにも思えます。そう考えると、主人公が汚いエゴイストにも思えますが、しかしどうなんでしょう。
人間、どうしたって自分のやったことを同じテンションで後悔して贖罪の気持ちを持ち続けることなんてできなくないですか。彼のように、自分本意な正当化だとしてもトラウマを"克服"しちゃった方が建設的だよなぁとも思います。
まぁ、そういうふうに色んな見方ができるのは「沈黙」にも近い短編ですね。どっちもどう読めば良いのか難しいけど好きです。





「めくらやなぎと、眠る女」

別の短編集に入っていた作品のショートバージョンだそうです。

祖母の葬儀のために帰郷した主人公が、耳を患ういとこを病院に連れて行くことになり、道中で過去に友人の彼女の見舞いに行ったことを思い出す......というお話。

別に獣も氷男も出てこないけど、ファンタジー感の濃厚な一編です。
いとこの耳の病気が原因不明なことと、何より友達の彼女が語る「めくらやなぎ」の物語の印象の強さによるものでしょう。
作中には至るところから死の匂いがします。主人公の友達の彼女は重い病気で入院していた......と思いきや、彼女ではなく友達の方もその後死んでたり。そしてもちろん「めくらやなぎ」のお話もまた死を思わせます。
そして、ラストのチョコレートのエピソードで、死に向き合う彼女と、それをまだ想像できなかった主人公たちとの差に切なくなります。目に見えて分かることは重要じゃない、みたいなセリフがありますが、彼女の見えないところでの苦悩や恐怖を察することができなかった青さについての青春小説......なのかな、という感じ。まぁなんせ、私にはよくわかんねえっすわ。