偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

野崎まど『【映】アムリタ』読書感想文

はい、みんな大好き野崎まど先生のデビュー作。
むかーし読みましたが、読書会のために再読。


[映]アムリタ 新装版 (メディアワークス文庫)

[映]アムリタ 新装版 (メディアワークス文庫)


井の頭芸術大学の映画学科・役者コースを専攻する主人公の二見くんが、天才と呼ばれる監督コースの新入生・最原最早の映画の主演に抜擢され、みんなで映画を作っていくお話。


映画サークルが出てくる青春ラブコメというのがベースですが、謎に満ちた天才の言動を解き明かそうとするミステリでもあり、彼女の異能の存在はホラーでもあり......。
200ページちょいのコンパクトさと驚異のリーダビリティで一瞬で読めちゃう作品ながら、ジャンル分け不能の唯一無二な傑作でもあるのですね。すごーい!


で、そんな不思議な話なので、何を書いてもネタバレになっちゃいそうですが、一応ネタバレなしで伝えられる魅力を書いていくと......。

まず、ギャグセンスっすよね。もちろん好みの問題だけど、ラノベ風の軽いタッチで繰り広げられる文化系2人によるボケとツッコミという仁義なき戦いが面白すぎました。
というか、二見くんの一人称の地の文自体も面白い。
しかも、「小難しい語彙を使って下らないことを言う」というギャグのあり方自体が大学生活の象徴のようでもあり、めちゃくちゃノスタルジーを感じながら読んでしまいました。愛おしい!


そして、天才の天才としての描かれ方も見事。
最初に二見くんが彼女の天才性に触れる、コンテのシーン。その静かにド派手なヤバみの演出で一気に心を掴まれてしまうのです。
彼女の能力については、原理とかが一切説明されずに、ただ現象がある。だから読んでいくうちに何でもありやん!みたいな状態にはなってしまいますが、それすらも凄みとして演出されてますよね。

で、そんな天才が何をしでかすのか......というところに関してはもうネタバレ厳禁なので、その辺については以下で書いていきます。





















というわけで、ネタバレ。

終盤まで明確な謎がないままに「最原さんの意図はなんなのか?」というざっくりした、それだけに不穏さも感じられる疑問でもって読み進めてきましたが、「ヤバい映画の素材を集めるために、別のまともに見える映画を作った」というチェスタトン風味のホワイダニットには驚かされました。

......かと思いきや、それ自体が犯人役の残した偽の手がかりで、探偵役はそれに踊らされていただけ、という"操り"とか"後期クイーンなんちゃら"を意識してそうな第二どんでん返しにはひっくり返りました。
たしかに伏線が少ないというのはありますが、それを封殺するように最初の最初のバイト先のシーンに読み終わってみるとめちゃくちゃ分かりやすい伏線を仕込んでいるのも心憎いところでして、この伏線一発でもう「あれはそういうことだったのか〜!」を満足に味わえてしまうのでオッケーっしょ。
あと、このバイト先の場面に出てくる『僕を殺す恋』っていう映画のタイトルもたぶん架空のものなんでしょうけどなかなか象徴的な感じですよね。

ちなみに、このラストシーン、時計じかけのオレンジっぽいなと思ったのは私だけでしょうか......。あのルドヴィコ療法が衝撃的だったから、そのイメージもあって本作のラストもより衝撃的に感じられました。


で、最後まで読んでも二見がルドヴィコ療法によって観せられる映画というのがどういう効用のものなのか分からない、というところがリドルストーリー的でもあります。いわば、ホワイダニット、操り、リドル、といったミステリファンの間で大人気のネタをふんだん使った贅沢な逸品なんですね。

で、そのまま二見くんの一人称を信用して読むと、「最原さんは人間のヤバい顔を見たいがためにここまでのことを仕込んでいて、そのことを忘れさせるためにここ数日の二見の記憶を消す映画を観せようとしてる」って風に受けとれますが、私のフォロワーさんがそれとは違った解釈をなさっていてなるほどと思ったので紹介します。


[映]アムリタ感想 : ネタバレ感想を…


まぁざっくり言うと、最原さんは二見くんを殺したことへの罪悪感に耐えかねていて、恋人ごっこを一通り楽しんだ後で定元化した二見くんを元の二見くんに戻す映画を見せようとしてる、ってことですね。

私もロマンチストなのでこの初恋の続きをしたかった説には賛成したいところで、そう考えると最原さんがハチクロを読んでるのも凄い可愛く思えますよね......。

で、そう考えると、本作は美しくも切ないラブストーリー、つまりは私の好きなやつになっちゃうんですね。



いわゆる、恋に恋するっていうんですかね。
いままで恋愛なんてしてこなかった最原さんが定元さんに出会って「少女マンガで読んだあんなことやこんなことがしたい」と思ってしまうあたりは私も大学時代にばっちしキメてきたので分かりみがっょぃでした。

でも、そんな期待は儚くも散ってしまう。そう、定元さんが亡くなってしまうのですね。詳しくは書かれてないけど、きっとキスもなにもしないままに。
これが普通の失恋だったら、もしくは私みたいな凡人だったら、選択肢は①悲しみに囚われる ②次の相手を探す、の二択くらいなもんだと思います。
しかし、幸か不幸か彼女は天才・最原最早。
映画で人間を作り替えることができる彼女には③新しい定元さんを作る、というコマンドが選択できる仕様だったのです。

きっと、恋人を亡くしてすぐに次の人を探そうなんて思えないし、かといって、悲しみに沈むならいっそ③をやっちゃうというのは、③があるならもうわかりみの里ですよ。
単にふられただけでさえ、リセットルートがあるならそれを選んでしまいたくなるくらい失恋というのは苦しいもんですからね。ましてや、「少女マンガみたいな恋がしたい!」という恋への恋を失うというのはもう......。

そうして選んだ恋を取り戻せ大作戦は、あまりにもベタな好きな人と一緒に一つのものを作るキラキラとか、部屋に招いて際どい下ネタを言うとかなんかそういう青春の、出会ってから付き合うまでのあの煌きに満ちていて、ユーモラスな会話に笑いつつもノスタルジーに泣けたりもしつつ......。

そして、ちょっと、私からすると飛び級しすぎではとは思いますが、2人は最後えろろろい意味で結ばれるところで「スタッフロール」以外の本編は終わります。
そして、そのあとで二見くんは記憶を失い、この恋は最原さんの記憶の中だけにしか存在しないものとなるんですよね。
これは、美しいともズルいとも言えますよ。
だって、恋なんて長く続けば続くほど美しいだけではいられなくなるものでしょう。
その点、はじめてのセックスまでで関係を終わらせて、なおかつ美しい思い出としてパッケージングすることが出来るなら、それは恋への恋の成就と言えるのではないでしょうか。
いわば本作は、恋への恋を叶えてしまった少女の物語なのかもしれません。

そして、最後のページの二見くんの語りの

僕はきっとこの映画も忘れてしまうのだ
そうしたら何回見ても感動できるのかなと、そんなとりとめもないことを考えた

というのは、そのまま最原さんとの恋愛についてとも受け取れます。
もしも二見くんが定元としての人格を消去されて元の二見くんに戻るのなら、その後でまた最原さんとの出会って恋をする未来もあるのかもしれませんね......。

物語が始まった時には犯行が終わっていた本作は、物語が終わった時に本当の恋が始まるお話でもあったのかもしれません。


うだうだと書いてみましたが、実を言うと読書会をやるのに忙しくてちゃんと感想を書けなかったのであることないこと書き殴って誤魔化してみただけなんですね。
正直自分でも何言ってるのかよく分かんなくなってきたのでこの辺で終わります。

とりあえず、映画撮りたくなりましたね。大学の時にもっとまじめにやっとけばよかった......。


P.S.
告白しようとした時の画素さん、最高ですよな。