偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

太宰治『走れメロス』

たぶん『走れメロス』という本は色んな出版社からたくさん出てますけど、これは新潮文庫版です。


走れメロス (新潮文庫)

走れメロス (新潮文庫)

各話感想〜。



「ダス・ゲマイネ」

学生たちが甘酒屋にたむろしながら雑誌を出そうと語り合うお話です。変なやつらと集まって芸術論など謎の情熱を燃やし、淡い恋も......といったモラトリアム期の美しさ全開で楽しくもあり、焦燥感や切ない感じもあり......。そして衝撃的な結末とラスト一行にやられました。



「満願」

2、3ページほどの掌編ですが、たったこれだけの中に、爽やかに秘密を垣間見るという不思議な心地が味わえる名品です。回るパラソルの向こうにあれが見えるようです。



富嶽百景

太宰本人が井伏鱒二の世話で富士の見える茶屋に逗留した時のことを描いた随筆的小説です。今までの人生で見たいくつもの富士に対して憤ったり馬鹿にしたり頼もしく思ったり、同じ富士に色々な表情を見て一喜一憂する様が滑稽に、しかし優しく描かれています。淡々とした語り口ながら、笑える部分も多く、かと思えば遊女のシーンや見合いのシーンはぐっとくるし、一つの短編で色々な気持ちを味わえるあたり、徒然なるままな随筆の醍醐味ですよね。それでいて、吹っ切れたような爽快感のあるラストへ向けて、よしなしごとをそこはかとなく書いただけではない感動させるための構成の巧さも見られます。まさに随筆的小説の傑作ですね。



「女生徒」

再読。"意識の流れ"がテーマらしいですが、改めて読むとなるほどリアルですね。なぜか急に残酷な気持ちになったり、そんな自分が嫌になったり、そんな激しいこと考えながらすぐ忘れて楽しい気分になったり、思わず「あるある」と言ってしまいそうないい意味でのとりとめのなさ。最初と最後の一行がそれぞれキラーフレーズで、なんなら途中の文章もみんなキラーフレーズで、キラーフレーズの塊といってもいいでしょう。声に出して読むと気持ちいいです。よく言いますが、これ読むと太宰が今生きてたらコピーライターや人気ツイッタラーに向いてそうだなぁと思います。



「駆け込み訴え」

太宰が一気呵成に口述して奥さんが書記したという短編です。それを知ってなるほどと思いました。主人公が駆け込み訴えをする話ですが、その息急き切った口調が文を読むだけで声として再生されるような臨場感があるからです。
そして、そのつんのめるような焦燥感のある口調で語られる内容もまた滅茶苦茶ですがそれだけに切羽詰まった苦しみが滲み出てくるようです。作中に「私の言うことは出鱈目だ。一言も信じないで下さい」という言葉がある通り、愛と憎しみの間をゆらゆらと踊るような語りに思わず「どっちやねん!」と言いたくもなりますが、強すぎる感情ってそういう自分でもどれが本当か分からないものですよね。そういうリアルさがあるから文章の勢い に引きずり込まれて一瞬で読める傑作になってます。
あ、大変失礼な余談ですが、ミステリファン視点から読むと登場人物の正体を最後まで明かさなかったらこのラスト一行はフィニッシング・ストロークになるなとか思っちゃいました。



走れメロス

多くの人がそうだと思いますが、中学生の頃はじめて教科書で読みました。当時は「メロスの野郎、勝手にセリネのこと人質にしといてからにいい話ぶりやがって!」と思っていましたが(実際そこはそうですよね)、そんな言ってしまえばちょっと馬鹿なメロスだからこそ、その実直さに感動できるような気もします。また、基本的には単純明快な信頼の物語でありながら、王が同情の余地のない悪者ではなく、メロスも完璧な超人ではなくバックレることを考えたりするところに太宰らしい一筋縄ではいかない味わいがあるように思います。現在あまりにネタ的に使われすぎて今更感動するのは難しいですが、言い換えればネタになるくらい一つ一つの文章のインパクトも抜群です。



「東京八景」

大学に入って東京に来て、非合法の運動や心中未遂などを経て生きることを決意する中期までの思い出を描いた自叙伝的な短編です。
自分がダメなことや恋のことなど常に観念的なことで悩んでいる主人公に共感させられます。自殺未遂を繰り返し遺書のつもりで小説を書く主人公が最後に少し希望を見るところが泣けます。自虐とユーモアの裏に隠した希望。でも、それだけに作者が結局は死んでしまったことが悲しいですね。



「帰去来」「故郷」
太宰が故郷の恩人である中畑さん北さんの手引きによって故郷に帰る「帰去来」。
「帰去来」の後、母の容態が悪く、一年越しで再び故郷へ帰る「故郷」。
帰郷もの2話続きで太宰の家族とのわだかまりや家族への感情が垣間見られます。エッセイ風の作品でも、本書収録の「富嶽百景」や「東京八景」と比べて皮肉っぽさが少なく語り口が素直な感じがしなくもないですね。また、作家として成功してる時期で結婚した時期でもあり、なんとなく気持ちの余裕も感じられる語り口になってます。先入観によるものかもしれませんが。
もっとも、自虐的なところも相変わらずで、むしろわだかまりのある家族と会うということで、なかなか自虐ネタをハイペースで飛ばしてます 。
2話合わせて太宰の素顔に迫った短編でした......というのも思うツボかもしれませんが......。