偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

井上ひさし『十二人の手紙』

これからしばらく昔読んだ本の当時の感想を載せていきます。移転。


十二人の手紙 (中公文庫)

十二人の手紙 (中公文庫)


タイトルの通り、書簡体のみで描かれた12+αの短編を収めた技巧的な短編集です。井上ひさしという名前を聞いてミステリをイメージすることは全くありませんでしたが、これは紛うことなくミステリです。しかも上質の。
全話全編書簡体というガチガチに固めた趣向の遊び心だけでも嬉しいですが、一編一編のクオリティも高く、温かい話から爽やかな話、重い話に暗い話と、同じ趣向なのに全編違った読み心地なのも素晴らしいです。さながら12色の色鉛筆のような。
一部ミステリ要素のない作品もありますが、全体として書簡体ミステリの話題が出たら真っ先に挙げるべき傑作短編集だと思います。





プロローグ「悪魔」
就職して世の中への希望を胸に羽ばたいていった女性が、知らぬ間にこの世のダークサイドに飛ばされてしまうお話。要するに不倫ものです。
純真な女の子がズルズルと不倫にのめり込んで行く展開のスピード感が凄かったです。ラストも意表を突く結末で書簡体ならではの切れ味があり、1話目にして一気に引き込まれました。傑作。



「葬送歌」
劇作家志望の女性が大作家に送った自作の脚本。大作家はこの脚本をどう評するか......?というお話。
まさにまるまる一本の短劇の脚本が入っていて読み応えがあります。この脚本自体物語としてはなかなか面白いのですが、それに対する大作家からの返信が解決編のような役割を果たしているのが面白いところ。さらにラストの大オチまで、一筋縄ではいかない人を食ったような話に心地よく弄ばれました。



「赤い手」
書簡体という凝った短篇が集まった本書の中でもこれは特に凝ってます。なんせ出生届や転入届など、作品の大部分が公的な文書から成り立っているんですから。そうした堅い文書で、主人公の人生を物語としてではなく知識としてインプットされた上で、最後にアレが来るという巧妙さ。ミステリ味は薄めですが、こんな形で物語が作れるのかと驚かされました。



「ペンフレンド」
旅行雑誌に投稿して北海道旅行の案内人を探すOLと、雑誌を見て名乗りを上げた男たちとの文通のお話。
卑猥な手紙や老害ジジイからの説教が来るのが笑えますが、個人的には老害ジジイの「男探しがしたいだけだろ。悪い男に騙されちゃえ!」という文にめちゃ同意しちゃいました。とはいえSNSの発達していないこの時代には男女の出会いも今以上に貴重なもので、出会い厨みたいなことする気持ちも分からなくはないですが、この女、露骨すぎてねぇ......。
それはともかく話は凄いです。思わぬ展開の連続の果てに上手すぎる着地。こういうシンプルで鮮やかな美しさが短編ミステリの理想ですよね。



「第三十番善楽寺
東京の障害者施設が、「四国巡礼をする」と言って去った古川さんという老人の行方を訪ねて四国の同じような施設へ手紙を出すお話。
ミステリ要素はなく、お話としてもやや着地がぼやけている印象ですが、良い話なのは間違いないです。人間やっぱり自分の労力を報わせたがるものですが、そこで他者の立場も考えてみることが大事ですね。なかなか簡単そうで出来ないから気をつけなきゃと思わされました。そんな考えさせられるお話です。



「隣からの声」
夫が単身赴任しひとり家に残された主婦が、隣家から恐ろしい声が聞こえると夫に手紙で訴えるお話。
手紙文であることでサスペンス性が増しているのがお見事です。仕掛け自体はありがちなものですが、(ネタバレ→)「地球は狭い」というセリフという思わぬ描写が伏線として拾われ、ホワイダニットのような意外性があるのには笑いました。



「鍵」
山籠りをする老画家に、未亡人のようにひとり家に取り残された妻が寂しさを訴える手紙を書くお話。
大人の男女の機微を描くのかと思いきや、いきなりオーソドックスなミステリらしい殺人事件が起こって驚かされます。その真相もオーソドックスなミステリらしいものではありますが、それにしても、犯人当てとしてのメインのネタをはじめ、タイトルの真の意味、さらなる真相と小粋なジョークのようなオチと、これだけの短さにアイデアがてんこ盛りに詰まっていて、「ペンフレンド」に続いてこれまた短編ミステリのお手本のような仕上がりです。傑作。



「桃」
婦人団体から届いたありがた迷惑なボランティアの申し出の手紙に、孤児院が「桃」という小説で返信するお話。
この話に関しては特にミステリ的な仕掛けもなく、これまでの話のような意外性を求めると肩透かしでした。
とはいえお話としてはさすがに普通に面白く。自分たちのありがた迷惑さに気付かないおばちゃんの「こういう人いるいる~」感に笑いました。作中作が訴える内容には身につまされるところもあり、説話のような読み心地で神妙な気持ちになりました。



「シンデレラの死」
人生のどん底にいる女性がつらい人生の唯一の救いである手紙を慰めに再起を図るお話。
これは良い意味で酷いですね......。仕掛けに関しては全然好きじゃないんですけど、その仕掛けによって見えてくる酷さには愕然としました。つらすぎ。



「玉の輿」
玉の輿に乗った女性が元恩師で元恋人の教師に宛てて手紙を書くお話。
どういう意味かは書きませんが、泡坂妻夫あたりを彷彿とさせる縛りのキツい実験小説です。最初から最後まで「そんなに面白くないな~」という気持ちで読んでいたら、読み終わった途端に凄い作品に化けました。



「里親」
作家を目指す青年に惚れた主人公が、青年と師匠である大作家との衝突に巻き込まれていくお話。
まずミステリ作家とその弟子の会話なんかがミステリファンには楽しく、作中で青年が書こうとしている長編のアイデアも面白かったです。オチはある種の脱力感のあるものですが、こういうバカバカしいアイデアになんともいえない滑稽な悲哀を込めて描けるのは凄いですね。



「泥と雪」
夫の浮気に悩まされる女性の元に、高校時代に自分を慕っていたという男から手紙が届くお話。
40を超えた主人公たちが高校時代に戻ったような恋をするというストーリーには文句なしに引き込まれましたし、オチもなかなか面白かったです。ただ、最後の手紙の宛先と内容は不自然な気がします。また、全体のストーリーも現代の視点から読むと男目線に過ぎて気持ち悪いと受け取る読者もいそうです。



エピローグ「人質」
立てこもり事件の人質たちが外部へ向けて救出を求める手紙を書くお話。
連作短編集の最後はこうじゃなきゃ!というお手本のような一編。これまでの短編に仕掛けられていた小ネタも回収しつつ、ミステリとしても素晴らしく物語としても感慨深い、非の打ち所のない最終話です。



本書全体を通して、各話のクオリティも高く、短編集としてもこの通り素晴らしかったです。井上ひさしがこんな凄えミステリ短編集を書いていたとは本当に驚きです。書簡体ミステリだとか、連作短編集形式のミステリが好きな方には自信を持ってオススメしたい一冊です。