偽物の映画館

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トマス・H・クック『心の砕ける音』読書感想文


現実家の兄・キャルと、ロマンチストの弟・ビリー。田舎の港町に暮らす正反対の兄弟の前に、ドーラという流れ者の女が現れた。
ビリーはドーラに恋をし、ロマンチストらしく彼女を「運命の女」だと思うようになる。
しかし少しして、ビリーは殺され、ドーラは行方をくらませる。
弟の死にドーラが関わっていると考えたキャルは、彼女の行方を追うことを決意し......。


心の砕ける音 (文春文庫)

心の砕ける音 (文春文庫)


いわゆる『記憶シリーズ』と呼ばれる作品群(邦題が似てるだけで内容の関連はないらしい)の後に発表された、記憶シリーズの延長線上にある作品らしいです。
らしいらしいと言ってるのは、クック作品を読むのが先日の『夏草の記憶』以来2冊目で、他の記憶シリーズは未読だからなんですが、たしかに『夏草〜』と比較してみても、同じパターンの上にありながらラストの読み味にははっきりと変化が見られると思います。

正反対の兄弟が、ある一人の女の登場によって人生の歯車を狂わせていく大人の青春小説。

冒頭の、兄弟が子供の頃に川で溺れる少女を見つけたことの回想シーン。ここで現実的に考える兄のキャルと迷わず飛び込んで助ける弟のビリーの正反対さが分かりやすく示され、早くも彼ら兄弟に興味を持たされるのが見事です。
そして、物語の本筋は、以前読んだ『夏草の記憶』と同じくカットバックの手法で過去と現在を行き来しながら少しずつ事件の謎に迫っていく......というものです。が、本作の場合は話が始まった時点での「現在」が、まだキャルが弟の死の謎を解くために消えた女・ドーラの行方を追う......というところにあるので、回想も交えつつ、現在のパートの動きもかなり激しく、過去への潜行と未来への模索が同じくらいの振れ幅で動いている感じなのでどっちにも興味が持てて読みやすさという点ではより読みやすかったです。
また、本作では主要な登場人物が、兄弟とファムファタールであるドーラ、そして兄弟の両親くらいの狭い範囲に留まっているので、その分主人公のキャルと、メインキャラたちそれぞれとの関係性がより幅広く描き出されていたと思います。
この辺は好みの問題で、個人的には好きだった少女のこと一辺倒で深く掘り下げていく『夏草の記憶』の方が好みではありましたが、本作の読後に全員の人生を想って胸がいっぱいになる感じもまたエグかったです。

エグい、とはいっても、本作のラストはたしかに壮絶なものではあるものの、どこかまだ未来が見える、風通しの良さがありました。だから読後感もただの「エグい」ではなく、祈るような気持ちになりました。

もちろんミステリと物語の融合という点でも優れていて、ほとんどのことはクライマックスまでにすでに分かっていて、なんの謎もないようなお話でありながら、"解決編"では思わぬところからの不意打ちにやられてしまう......と共に、それを「考えもしなかった」こと自体もまたテーマを深く読者に浸透させるための装置にもなっていて、謂わばどんでん返しであること自体がメッセージの伝達方法にもなっているという、これをミステリと文学の融合と言わずして何と言おうか、というようなものでした。傑作ミステリです。

そして、ここまで「人を好きになる瞬間」を美しく、そして切なく(刹那く)描けるものなのか、と......。あのシーンの取り返しの付かなさと、取り返しをつけなくてももういいやという力強さと、でも何かは壊れてしまうという事実と、そういう諸々のエモが非常に印象的でした。このシーンがあっただけでも、これは恋愛小説の傑作とも言えるでしょう。

いやぁ、クックやべえわ。とりあえず色々買い溜めてしまったのでそのうち読みます。そのうち......。