偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

「アンダー・ザ・シルバー・レイク」への小並感、あるいはメモ程度の文章


フォロワーさんに勧められながらも観れないまま上映最終日を迎え、運良くその日に仕事が早く終わったのでこれも巡り合わせかと名駅まで観に行ってきました。


『イット・フォローズ』のデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督による、L.A.を舞台にした映画です。「映画です」とはまたざっくりしすぎてますが、本作はジャンル分け不能の奇妙奇天烈なストーリーが魅力なので、「映画です」くらいの紹介しか出来ないのです......。

それでも一応あらすじを書いてみますと......

L.A.の"シルバーレイク"地区に住むサムは、現在は無職で家賃を滞納し、あと5日で払わなければ追い出すと大家に脅されている冴えないニイちゃん。
ある日家のベランダから隣家を盗み見ていると、引っ越してきたパツキン美女のサラを発見。彼女に声をかけ、おうちデートにこぎつけるも、いいところでルームメイトが帰ってきて「また明日」と追い返される。
そして、待ちに待った翌日、彼女の部屋はもぬけの殻だった。
訝しみ、彼女の行方を探すうち、サムはL.A.の街と世界のポップカルチャーに隠された"秘密"にのめり込んでいき......。


という、それだけ見ると消えた美女を探すハードボイルドな探偵モノの筋立てで、街の秘密や暗号や都市伝説を調べていくのはミステリーっぽいですが、そういうところは別に本質じゃないという......。

では何が本質かというとこれも難しいところで......。前作『イット・フォローズ』が"It"の正体が明示されないリドルストーリーならば、今作はそれをさらに推し進めて、テーマ自体が明示されずに観た人によって気に入ったところを好きに取って食べてねという立食パーティーみたいな映画だという気がします。

そのため、感想を言おうとするとほぼピンポイントなネタバレになってしまいますが、まずは少しだけネタバレなしで本作の魅力を紹介しましょう。できるかな。難しいな。

まぁ、ネタバレなしで言うなら一番わかりやすいのが

ヒッチコックとリンチが融合した悪夢版「ラ・ラ・ランド」だ

という惹句でしょう。
L.A.を舞台によく分からないことが起きていくというお話のベースの部分は『マルホランド・ドライブ』の雰囲気。現実なのか妄想なのか分からないままどんどん変な人がなんの説明もなく登場してきて「???」と思いますが、視点は常に主人公視点なのでお話についていけなくなることはないのがまた上手いですね。
そして覗き(裏窓)や女探し(めまい)のようにヒッチコック風のモチーフを取り入れていき、ハリウッド近郊で生きることにまつわるテーマ性は、裏「ラ・ラ・ランド」とでも言うべきものになっています。

加えて、オタク文化(スーパーマリオも出てきます!)やポップカルチャーの要素、そして陰謀論や都市伝説、暗号といった好奇心をそそられるものたちが詰め込まれていて元ネタに詳しくなくてもめちゃくちゃ楽しかったです。

さらに女性陣のエロさも良かった!
直接的にエロいシーンは主人公のサムが彼女とファックするところくらいですが、ここがむしろ滑稽に描かれていてそこまでエロくなく、代わりにヤれなかった女たちの方がエロいというのがなんとも分かってますよね。これは本作のテーマにも密接に関わってくるので詳しくはネタバレ感想で書きますが、とりあえずジャケ写のプールから顔を出してるヒロインに惹かれたら観るべきです。ああいう幻想的なエロさが良いんです。


とまぁそんな感じで、分からないなりに色々変なものが出てきて観てるだけで面白いしエロいのでサブカルとエロいのが好きな人は見てください!(雑)


というわけで、以下はネタバレでーす。ただ、ネタバレだからといって考察とかは出来ないのでいつも通り思ったことだけ書くだけなんだからっ!勘違いしないでねっ!

























はい、というわけで、まぁ正直に白状すると、本作について私はほとんど何も分かりませんでしたよ。ただ、それはきっと監督がそういう風に、全部を理解されることを拒んで作っているからで、だとすれば私は私が感じられたことだけで本作を語ってもいいんだと思います。

で、私が感じた本作のテーマというのは、いっちばん大きく言うと「オタクが現代を生きること」です。

我々オタクというのは、パンピーよりたくさんの映画や漫画やゲームや音楽や小説の知識があることを誇り、いつか自分もそんな作品を作ったり演じたりしたいとまるっきり本気ではなく思っています。しかし、実際には私は他の平凡な人たち同様平凡な人間であり、何か大きなことをしたいという気持ちだけを燻らせながら現状を享受して生きていくしかないのです。



主人公のサムはまさにそんなダメな普通のオタクのひとり。L.A.はハリウッド近郊の街"シルバーレイク"に上京(?)してきて有名人になりたいとなんとなく思い、それを言い訳に職にも就かず、ついにあと5日で家賃滞納の罪で追い出される状況にまで陥っているダメっぷり。
それでも何もせずに部屋の裏窓から向かいの部屋の裸の女を覗いたり、セフレに近そうな愛情など抱きあっていない便宜上の彼女を連れ込んで後ろからファックしたりするだけの生活。
そんな、何かチャンスを待ちながら何もしない生活の中で、一つの事件が起こります。
それが、隣人のサラへの恋と、彼女の失踪。

ここからして意地悪なんですが、実際のところサムはサラに恋しているわけでもなければ彼女を心配して探し始めたわけでもないのでしょうよ。ただ、家から追い出される期限が迫っていて何か現実逃避の対象が欲しかったこと、その時たまたまヤり損ねた女が失踪したこと。そしてその失踪に自分の唯一の特技であるオタ知識を活用できそうな「謎」があったこと。
結局、彼は「恋する女を探す私立探偵みたいな俺」になりたかっただけ。それは映像にも残酷なまでに現れていて、映画自体は一人称視点のハードボイルドのカッコイイ雰囲気で進むのに、主人公は両手を下げて欽ちゃん走りじゃないけどあんな感じの走り方の情けないもやし(もちろん役者さんがイケメンなのでギリギリ見ていられないほどではないのがあざとい)。

主人公はそんな風に、漫然と夢を見つつ叶える努力はしない人、夢の残飯を漁っているような人ですが、他にも本作では「夢」という観点から印象的な人がいます。
まずは主人公がたびたび目にするコンタクトレンズの広告看板の女性。
そして、映画に出てたデリヘル嬢。
2人とも女優になるという夢を一応叶えた人たちですが、前者は「これからも努力するわ」と語りながら終盤では彼女の看板が書き換えられるという、「あの人は今」みたいな象徴的な扱いがされさています。とはいえ、努力できる彼女は主人公の視点からは嫉妬の対象として描かれているわけですが......。
一方、後者のデリヘル嬢さんも「売れない映画一本出ただけじゃ食ってけないから」と話しながら主人公に抱かれます。
このように、本作では努力して夢を少しだけ叶えてしまった人の姿も描かれるのです。
この辺が、「ラ・ラ・ランド」の裏と呼ばれる所以でしょう。
syrup16gの「夢」という曲を思い出しました。


また、現代を生きるということで、夢という観点の他に、「情報の氾濫」と「消費」というのも本作の分かりやすいテーマだと思います。
そもそも主人公が暗号探しにハマっていくのも「これだけ情報が溢れてるけどそれらには本当は裏の意味があるのではないか」という妄執に囚われることから始まります。つまり、情報が多すぎる現代特有の情報への畏れが本作のスタート地点にあるわけです。

そして、我々の大好きなカルチャーもまた情報、オタクというのはそれをどれだけ消費しているかを競う仕事とも言えますが、そんなオタクに水をかけるように現れるのが「作曲家」です。
彼が登場するシーンは本作でも屈指の名場面といって異論は出ないでしょう。
あいみょんの歌に「僕はこんな歌で あんな歌で 恋を乗り越えてきた」とあるように、我々オタクは歌とか、なんかの作品に自分の私生活さえも投影して、「これは俺のために作られた作品だ!」と喚きながら毎日歌詞ツイします。
しかし、このシーンではそんな思い入れさえも全否定されます。これはつらかった。私はNirvanaにはそれほど思い入れはありませんが、それでもあの曲は「青春の象徴」「反骨の象徴」のイメージが十分にあり、あんな使い方をされたのには胸が痛み、大好きなスピッツ毛皮のマリーズ川谷絵音を想って泣きました。結局私にとっての特別は私だけの特別ではなくみんなの特別で、それはそのために当の反骨する相手によって計算されて作られたという事実に泣き、ゴーストライターなんかに頼ったカート・コバーンが大嫌いになりました。
一方で、私の人事として映画を見ている冷静な部分では、「テルミーワイ」ってやつとか、クラシックのなんか聴いたことあるやつとか、ビバリーヒルズコップとか、ジャンルレスに名曲が引用されることに快感を覚えてもいて、その悲しさと気持ち良さのギャップがクセになりそうでした。危ねえ映画だよこれは......。
そして、今までは主人公のサムにわりと感情移入して「これは俺の映画だ」と思いながら見ていましたが、そのことさえも相対化されて茶化されるという、観客に直接牙を剥く映画でもあるのです。おそロシア
結局我々は出された料理をただ食わされるように作品を消費させられ、そこに意味を見出すことすら暇なジジイの手遊びによって操られていたことなのですね。つらい。
そんなジジイが作り物のように小気味よくぐしゃっと潰れるのも意味深ですけど......。


消費というところからの連想で、窃視というのも本作全体に通底していますね。
主人公自体も最初っから隣家を覗き見てはおっぱいを眺めている。
彼の友達はなんとドローンでハリウッド女優の部屋を覗き見ます。部屋では女優が泣いている。それは上に書いた「夢」というところとも通じますし、それを窃視する主人公の友人は、川谷絵音に「ゲス不倫」とあだ名をつけた我々ワイドショーを見る世間の人たちを表しているようにも見えます。他人の悲しみも画面一枚通せばエンタメとして消費できてしまう。


そして、夢というのは叶えてもまだ足りず、消費というのもいくら消費しても足りることはない。ヤれなかった女はエロく見える。なんにせよ結局「ないものねだり」という言葉に落ち着くようにも思います。人はないものをほしがっては上を見て嫉妬して、逆に自分の持つものを持たない者を、サムがホームレスにするような態度で見下す。見下し、見下されながら常にさもしく何かを欲しがって行くことこそが人生......という身も蓋も慈悲もないメッセージが、本作には込められていますね。つらい。


そんなテーマをまとめ上げるのが、最後に出てくる宗教団体みたいな人たちのパートでしょう。ここがホドロフスキーの「ホーリーマウンテン」っぽくなっているのも狙いでしょうね。
彼らは人生の虚しさを説き、「上へと登っていく」ために集団自決をするといいます。そして、サムが今まで探していたサラは、人生の虚しさを象徴するようにそんなところにいたのでした......。


部屋に帰ってきたサムは、そのまま家賃滞納の廉で部屋を追い出される形で、なぜか隣家のおっぱいおばさんと寝ることになります。この辺のいきなりセックス展開は村上春樹っぽさを感じてむむむ???と思いましたが、隣家から自分の部屋を、そして自分の冒険の日々を客観視して終わるのには、何も説明されてないのに不思議と「あ、終わった」という余韻が滲み出てくる良い終わり方だと思います。
正直この辺の解釈は上手くできてないのでDVDが出たらもっかい見たいですが、ともあれ、まとまりは無くとも上に書いてきたようなことがとりあえずの私の本作の感想ということになります。犬殺しとは?ホームレスの王とは?そんなことは私の知ったこっちゃないから誰か解説してくれ〜。
とりあえず、人生に迷っている人が観るとつらくなるし人生の意味は見失うけど、みんなそうだという下衆な安心感は得られる映画でしたね。

では、長く書きすぎて何が言いたいのかも丸っきり見失いましたので私はここで失礼します。ばいちゃ。