偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

多島斗志之『黒百合』読書感想文

私の中で勝手に多島斗志之ブームが来ています。同時に他の作家さんのブームも来ていながら、読書スピードは日に日に落ちていく一方なので、あんまりたくさん読めてるわけじゃないですが、それでも多島斗志之が今、来てます。
そんな多島斗志之作品の中でも、失踪から七年以上が経過した今となっては遺作であり、同時に最高傑作との呼び声も高い特別な作品が本書『黒百合』です。
そんな評判は聞いていたのでどんなもんかと読んでみましたが、裏表紙の作品紹介にある「文芸とミステリの融合を果たした傑作長編」という惹句の通りの傑作でした。

黒百合 (創元推理文庫)

黒百合 (創元推理文庫)


1952年、夏。14歳だった私ーー寺本進は、六甲にある父の旧友の浅木さんの別荘へ招かれた。そこで浅木さんの息子の一彦とすぐに仲良くなった私。私と一彦は二人で瓢箪池に出かけ、そこで倉沢香という同級生の少女に出会った。
同い年の3人で遊ぶうち、私と一彦は共に香に恋心を抱くようになるが......。


というような、少年2人と1人の少女の、一夏の瑞々しい恋物語が本書の主軸となります。

14歳、それは確かに初恋の季節であります。
それより幼いと、気になる女の子がいたとしてもそれは言ってしまえばノリみたいなもので恋愛未満なことが多いと思います。14歳の恋は、そんなノリの延長線上にありながらも、もっと明確に恋愛と呼ぶに足るものだと思います。
そして、本書に描かれる初恋というのが、とてもリアルで、しかも美しいのです。
2人の少年と少女の出会うシーンなんかどうですか!冗談に池の精霊を名乗っていたずらな笑みを浮かべる、ちょっと可愛い少女。これは惚れますよ。読みながら私も一緒に惚れましたもの。この、ちょっと可愛いというのがポイントで、やっぱり初恋というのは誰もが認める美少女じゃなくて、ちょっと可愛い女の子にするものなんですよね。......って完全に偏見ですけど、そういう人は多いと思うけどなぁ。
あと、個人的に好きだったのは白百合のシーン。「個人的に」とは言いつつ、これも多くの男子がきゅんと来るに違いない名場面ですよね。この辺の主人公の一喜一憂で躁鬱みたいになってる感じ、とても初恋ですね。


で、目次を見ても分かる通り、そんな初恋物語の合間合間には、昭和十年、進と一彦の父親たちがロンドンへ視察に行った際に出会った若い女性のお話と、昭和十五年から二十年までにかけての、香の叔母・倉沢日登美と「私」の恋の物語が挿入されています。
これによって少年少女の周りの大人たちの姿もくっきりと描かれる奥行きのある作品になっています。

と同時に、そんなトリッキーな構成が最後にミステリとしての意外性にも繋がり、"真相"が明らかになることで今まで見えていたドラマの裏面にあったもう1つのドラマが浮かび上がってくるあたり、まさに文芸とミステリの融合と言うべき作品に仕上がっています。
そこんとこについては、ミステリと文芸が分離しているという意見もあるかと思いますが、個人的には分離しているように見えるけど融合してると思います。まぁこのへんは好みですよね。

ただ、これってすごく分かりづらい仕掛けではありますよね。私は本書が凄いらしいという評判を聞いてたから普通に終わるはずがないと思いながら読んでて真相に気付けましたが、気を抜いてたらトリックに気づかずにスルーしてしまいそうです。

というわけで、分離か融合か、という点についてやトリックの是非についてはネタバレなしには語れないので、以下でネタバレ込みでいろいろ書いてみようと思います。

























というわけで、本書の最大のトリックは、相田真千子=黒百合お千=車掌の「私」=一彦ママという実は同一人物でしたトリックです。
トリックに関しての詳しい時系列などの解説は他の方のブログでしっかりまとまったものがあるので割愛(というか、ややこしいからまとめる気力がないです、まとめてる方に感謝......)して、ここでは私の感想だけ書いていきます。

まず、トリック自体には素直に驚きましたね。最近叙述トリック系の作品を読んでいなかったから全然気付きませんでした。また、自分で考えなければいけなかっただけに驚きも大きかったです。
そして、読み終わってみると、「倉沢日登美」の章をはじめ、本書の至る所に伏線がバラ撒かれていたのにもびっくり。
ただ、そうなると今まで出てきた思わせぶりだった人物たちがみんな赤い鰊(ルビ:レッド・へリング)だったということになり、さすがに無理やりミスリードしすぎやろ〜〜っ!とは思っちゃいます。

一方、もう一つ、ミステリとしてみるとトリックの中心にいる一彦のお母さんが存在感に欠ける......という点に物足りなさもありますが、これに関しては本書のテーマにも関わってくるので一概に悪いとは言えません。
というのも、本書はまだ人生を、大人の世界を知らない子供たちの恋物語というのが主題であります。
それを端的に表す言葉として、香のおじさんの

たぶん世の中のこと、まだ何も見えてへんのやろ。自分の周りのことすら見えてへんのやろ

というものがありました。
その通り、少年たちには大人たちの間で起きたこと、起きていることが見えていない。それでもそれは確かに起きていて、彼らに対して時には暗示的に、時には直接に関わってくるわけです。
そういう意味では、子供の側の物語と大人の側の物語は分離しているのが自然で、子供のパートの文芸性と大人のパートのミステリ性も分離していることが融合と言えるのではないでしょうか。

また、余白の多さも本書の一つの魅力でしょう。最後まで読んでみても、この物語を語っている現在の進の状況についてはほとんど分かりません。分かることは一彦と香が結婚して今でも毎年あの別荘を訪れているらしいこと、その3人以外の人物(大人たち)は既にこの世の人ではなく彼らも老境に入っているらしいこと、くらいです。
それでも、例えば一彦が結局父親と同じような運命を辿ったらしいことから、進もまたそうなのかなと想像したり、今なお彼らの親交は続いているのだなということとか、でも今さらまだ14歳の頃のことを回想してるんだ......という切なさだったり、描かれていないところを味わうのもまた面白く、そういう意味で非常に余韻の残る結末だと思います。


そんなわけで、主人公の進の視点をメインにしつつ、一冊の中に様々な人たちの人生が少しずつ、しかし印象的に描かれ、真相を知るとともに「黒百合」の物語が強く浮かび上がってくる......いろいろ分離しているようで一冊の中に上手くまとまっている、そんな不思議な小説でした。良さがあります。