偽物の映画館

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トマス・H・クック『夏草の記憶』読書感想文

チョクトーという田舎町で診療所を営む医師のベン。彼は今でも30年前のことを思い出す。高校生だったあの頃、転校生としてチョクトーの町にやってきた少女・ケリーに恋をしたこと。そして、あの夏、ケリーの身に起こった悲劇のことを......。

夏草の記憶 (文春文庫)

夏草の記憶 (文春文庫)


海外ものの(失われた)青春ミステリです。
普段海外ものはあんま読まないんですが、『撓田村事件』を褒めてたら、フォロワーさんに「これも暗い青春ミステリやで」と勧められたので読んでみたわけです。はい、暗い青春ミステリでした。

あらすじにも書いた通り、中年の医師が高校時代を回想するお話で、カットバックが多用されてなかなかややこしい構成になっています。
というのも物語に出てくる時間軸が
①現在
②高校時代
③高校時代の話に登場した人たちのその後という、近い過去

と3種類あって、それらをパッパッと行き来する構成だからややこしいんですよ。
ただ、その行き来の仕方が鮮やかで、カットバックが多用されているわりに話の流れが停滞した感じがないのが見事です。最初こそ人名を覚えるのとちょっと地味なので読みにくいものの、慣れてこれば一気に読むことができました。

ミステリとしての「謎」はただ一点、「あの日、少女の身に何が起こったか?」ということ。しかも、その顛末もだいたいは書かれてしまっていて、隠されていることはほんの一部。しかし、それでも最後まで読んでみるとその「ほんの一部」に仰天させられるから凄いです。
そして、ラストまでの展開は、ミステリとしてみると密室とか見立てみたいなギミックがあるわけでもなくかなり地味ですが、それでも読まされる要因は、青春小説としてのリアリティにあるでしょう。



そう、ミステリとしての真相も確かにインパクト大でしたが、それ以上に青春小説部分こそが本書を忘れがたい物語にしているのです。
......が、その辺を詳しく書くとややネタバレ気味になるのでそれは後回しにして、まずはかるーく本書の青春小説としての魅力を紹介します。

本書の面白さは、奥手な少年が味わう上手くいかない初恋のもどかしさにあります。

転校してきた少女と共に学校新聞を作ることになった主人公。
新聞に載せるため彼女が書いた詩を読んだり、一緒に取材をするうちに、彼女に惹かれていることに気づきます。その、恋愛特有の一喜一憂感がリアルなんです!

ちょっとしたことで彼女が自分のものになる予感がしたり、かと思ったらちょっとしたことで自分が彼女には似合わない卑小な存在に思えたり、そんな躁鬱的心理を見事に描き出していて共感してしまいます。作中に、ヒロインのケリーの、「この町で起こることは、世界中のどこでも起こる。いずこも同じよ」というセリフが出てきますが、人の心というものもいずこも同じ。日本とアメリカでも別にそう違いはないわけですね。
そして、中盤以降になると、どんどん躁部分が減っていって、終盤はもう身を切られるような鬱だけが残ります。で、読んでいくにつれ、ケリーという少女の魅力がどんどん増していくから余計につらいんですねこれが。
それはもう、運命というものの存在を仮定して、そいつを仮想敵として憎まなければやりきれないくらいに、残酷なお話なのです。


むかしむかし、先生は私に、「しかし君、恋は罪悪ですよ」と言いました。でも私は「罪悪っつうか、最悪じゃねーか」と思いました。かくして私は、恋をすることを辞めたのです。
しかし恋というクソゲーから降りてからも、あの喜び、そしてそれ以上にあの痛みは、決して忘れられません。本書は、そんな恋愛の痛みを知る全ての人に、特にモテない草食系男子には一層突き刺さる最高最悪の恋愛小説なのです。

というわけで、以下で、本書に描かれる恋の痛みについて書いちゃいます。致命的なネタバレはありませんが、だいたいの流れに触れちゃうので気になる方は読まないでください。あと恥ずかしいからあんま読まないで。















さて、本書は青春時代の恋愛が失敗に至るプロセスがまるっきりそのまま描かれていると思うのですが、いかがでしょう?
私はこれを読んで「なんでこんなに俺の気持ちが分かるんや!」と思ったものですが、きっと多くの人が若い頃にこういう気持ちを体験しているということでしょう。


まず序盤では、ケリーと出会ったベンが恋に落ち......というか、恋って落ちるというより少しずつ沈んでいって気づけば首まで浸かっているものだと思いますが、それはどうでもよろし、とにかく恋をして毎日ハッピー騎士道精神〜という感じで、(カットバックで行き来する「悲劇が起きた後の現在」さえなければ)わりかし明るい感じなんですよね。
しかし、それでも僕らオクテ男子がやってしまう全ての失敗の源、「拒絶されるのを恐れて踏み出せない」をギャグかと思うくらいベタに実行していくわけですよ。
この辺で好きなのが、親友のルークがベンに言う「好きになった女の子のことは、誰だって恐がるもんだよ」というセリフ。私もだいたい好きになった人のことは悪魔みたいに感じて怖くて話しかけれないので分かりみが強いですね、はい。


で、そんな好きな子できちゃったうふふ的な展開が起承くらいの間続くので、色んなイベントがあるにせよ、前半はやや単調であることは否めません。
しかし、物語が転を迎えるとベンへの感情移入度が加速度的にうなぎ登ります。
その転というのがそう、ケリーからの緩やかな拒絶と恋敵の登場なのですつらい!えぐい!死にてえ!うひゃー!!!
......はい、深呼吸。



恋愛において最高級につらいことは、好きな人が自分を好きじゃないということです。何をあんたは言ってるのよそんな当たり前な......と思われるかもしれませんが、実際渦中にある時にはそれはありきたりな悩みなどではなく地獄みたいな取り返しのつかない最悪な苦しみを伴うものなのであります。そして、例えば本を読んだり音楽を聞いたりと趣味の時間を取ろうとしても頭の中で希死念慮がどんどん増殖していって、そのほかの思考はオセロが下手くそな人の陣地みたいにパタパタとひっくり返されて死にたみに変わっていってしまいそれを成すすべもなく見ているほかないものなのです。
しかも、作中に

愛してくれない相手を愛する悲しみは、悲しみは悲しみでも、なぜか人の笑いや嘲りを誘うものだ

とあるように、それはどんなにつらくても他人からしたら滑稽なものでしかなく、それを自分も分かっているからこそ余計につらいという、もう自意識と相手からの拒絶と世間の目の三面楚歌。そして、残った一面に逃げ込むと、そこには相手への殺意が待っているのです。

自分のものにならないのなら、ケリー・トロイなどこの世から抹殺してしまいたい

冒頭から、ベンが事件において何かしらの加害者的役割を果たしたことは書かれていますが、終盤でケリーが恋敵と仲良くなっていく場面に至って、ついに明確な殺意が地の文において語られることになります。ここで一気に最初から隠されている「ベンが何をしたのか?」という本書最大の謎に読者の関心がリバイバルするとともに感情移入しすぎて苦しくなり、この苦しみから解放されるために早くこんな駄本は読み終えなければという焦燥に駆られてページをめくる手が倍速になります。今まで恋することで湧き上がってきた強い光の気持ちも殺意の前ではチリのように吹き飛んでしまうあたりがすげえリアルですよね。
しっかし、たしかに好きな人が他の人と仲良くしてたら、死んで欲しい気持ちにもなりますよね。私も若かった頃は夜中にコンビニで買った酒を飲みながらあの子をぶち殺すためにふらふらあの子の家まで行こうと彷徨い歩いて公園で寝たりしましたからねぇ。懐かしいなぁ。
......という感じで、本書は恋する感情の流れを描くことで、読者の実体験を想起させてつらみをマシンガンの如くぶっ放してくるのが特徴です。つまり、描かれる感情は多くの人に当てはまる普遍的なものでありながら、読者のそれぞれがそこに忘れられない思い出を持っている限りにおいて「この本あたしのこと書いてる!」と叫んじゃうほど個人的な作品でもある。この辺のバランスがめちゃくちゃ上手えと思いました。

また、ここまでベンの視点に寄って書いてきましたが、本書の凄いのはここまで主人公に感情移入させながらも脇役の描き込みにも手抜きがないところです。ベンの恋敵の男に惚れる女の子の同じような嫉妬心や、ベンの父親やケリーの母親の存在感、そして何と言っても、ベンの妻・ノーリーンの気持ちを想像するとそれもまたつらく、結局世の中何も上手くいかないし恋愛ということが世の中にある時点でもう人間はおしまいなんだよまじクソゲーかよと思わされますね。思う!

ただ、第三部の最後に「そんな話(=よくある失恋談)として、終わっていた可能性もあったはずだ。しかし、そうはならなかった」とありますが、読者の私にとっては初恋の思い出は苦いながらも「そんな話」として終わったものであり、多くの人の場合もそんなものなんでしょう。
失恋の苦しみなんてずっと抱えていたら重くて仕方がないもの。渦中にいる時こそ「いつまでこの苦しみが続くのだろう早く死にたい」と思うものの、それこそ、この小説で起こるような「悲劇」でも起こらなければ永遠に抱き続けるのは難しいのもです。
だからこそ、本書で起こる悲劇は、「自分に起きていたかもしれなかったけれど実際は起きなかったこと」として、身を切られるほど痛切でありながらギリギリで他人事としてエンタメに出来るわけです。

だから、ラストでミステリとしての真相が明かされた時も、めちゃくちゃつらいしつらさは"解決編"のせいで当社比1億万倍にまで膨れ上がりましたが、それでも上質などんでん返しを食らった時の「おお、まじか!」という知的興奮もしっかり味わえて、結局苦しい苦しいと言いながらミステリとしても青春小説としてもめちゃくちゃ楽しんでいる自分がいることに気づかされました。

はい、長くなりましたが、そんなわけで、本書は失恋を体験したことがある人なら必ずや当時を思い出してしんどくなる、そして今その渦中にあったらまじで死にたくなるんじゃないかなぁという危ない本です。が、それでいて素晴らしいミステリでもあるので、ぜひ暗い青春小説が好きな青春拗らせクソ野郎に読んでいただきたいです!

‪私としては、死にたい死にたいとだけ延々と、むしろ永遠と繰り返しながら何も手につかないから近所をただ泣きながら歩き回ってたあの頃の自分に「じゃあ死ねええぇぇ!」と叫びながらこの本の角で頭ぶん殴ってやりたいですね。あ、物理攻撃で殺しちゃった。