偽物の映画館

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桜木紫乃『ホテルローヤル』読書感想文

北海道東部にある『ホテルローヤル』というラブホテルに関わった人たちの人生を切り取った連作短編集です。

直木賞を受賞した際に話題になりましたが、著者本人の実家がそのまま「ホテルローヤル」という名前のラブホテルで、そういう家に生まれた人が、ラブホテルを舞台にどんな物語を書くのか......と気になったので読んでみました。


ホテルローヤル (集英社文庫)

ホテルローヤル (集英社文庫)



まず構成が変わっていて、第1話で廃業して廃墟と化した「ホテルローヤル」が登場し、そこから時系列が戻っていく形式になっています。
作品全体に共通して切なさや虚しさが強く漂っている本書ですが、終わりから始まる構成がそんな切なさ虚しさをより強めているように感じました。

また、ラブホテルが舞台ということでセックスについてが一つのテーマにはなっていて、特にセックスにまつわる虚しさや後ろめたさが強調されています。恋愛の後に来る体の繋がり......とでもいったような。それが北海道の片田舎の寂れた風景と相俟って、寂寥感もまた濃密です。
しかし、セックスよりもむしろ、社会の真ん中より少し外れたところにいるような人の「生活」というのが本書の大きなテーマになっています。解説にもありますが、金銭についての描写の細かさなどが、普通より少し下の人たちの日々をリアルに切り取っています。

そうした虚しさ、寂しさ、貧しさを描いて胸が苦しくなるような作品ですが、淡々としていながらもそんな人たちへの優しさも垣間見える描き方のおかげで、読後感はそう悪いものではありません。
各話で、また本書全体でもそんな繊細微妙な余韻を味わえるいい短編集でした。

それでは以下各話の感想を少しずつ......。





「シャッターチャンス」

廃墟となったラブホテルでヌード写真の撮影をしようと言い出す恋人と、それに付き合わされる主人公のお話。


この第1話の時点ではホテルローヤルはもう廃業していて、営業時のローヤルが出てくるこれ以降のお話とは少し雰囲気が違いますが、それでも愛の不毛(?)と生活という2大テーマを端的に描いている点では第1話に相応しいお話だと思います。

主人公は地元のローカルなスーパーで働く、もう若いとは言えない年頃の女性。「恋愛に対して無駄な夢をみなくなった」彼女が、しかし「俺、もう一回夢を見たいんだ」などと言う男に惹かれてしまうのが痛いくらいリアルな感じがしますね。
そんな彼らが廃墟でのヌード撮影を通して"ズレていく"様が、これまた徹頭徹尾リアルに描かれていて、その一文一文にぐわーやめれー!と内臓が口から出てきそうなエグさがあります。
そして、"ズレ"の物語の着地点をここに持ってくるのもリアルで内臓が口から出ました。
もはや「男」という存在自体が悲しくなりますね。女に生まれたかったよ俺は。

ちなみに廃墟でヌードというジャンルを初めて知ったのですが、検索してみてまた切ない気持ちになりました。





「本日開店」

経営難の寺の住職の妻である主人公は、布施を集める名目で檀家の男たちへ"奉仕"をしていた。ある日、父親の後を継いで檀家総代となった男を同じようにホテルに呼び出すが......というお話。


設定がとても古風な官能小説風でびっくりします。お布施のためにご奉仕......。いつの時代だよ......。
しかし、もちろんただの官能小説にはならず、複雑すぎて私みたいな若僧には理解しきれない心理描写、そして生々しいリアリティに圧倒されました。
ホテルローヤルの絡み方も、当然こうだろうというところをちょっとハズしてきてて面白いですね。





「えっち屋」

ホテルローヤル」を廃業することにした創業者の娘が、使われなかった"大人の玩具"を返品するためにアダルトグッズ会社の営業の男・通称"えっち屋"を呼び出すお話。


"えっち屋"という通り名に反して生真面目に過ぎる宮川という男のキャラクターがまずは魅力的です。「仕事ですから」「自分不器用ですから」みたいな。萌えますね。私も好きになっちゃいそう......。
そんな彼が淡々と職業柄の奥さんとのギクシャクエピソードを語るのでなんとも不思議な切なさがあります。
そして、クライマックス(?)のシーンの儚さもまた性的嗜好に刺さりましたが、そこから本書の中ではかなり良いあと味のラストでの、久しぶりに青空を見たような少し眩しくて切ない爽やかさが心地よいです。





「バブルバス」

家族で法事に参加するはずが、頼んでいた住職がすっぽかした。浮いた布施の5000円で、妻は夫をホテルに誘う......というお話。


大きな子供もいる夫婦が、久しぶりに人目を憚らずにするためにラブホテルに行く、それだけのお話ですが、本書で最も生活の生々しさが出た一編です。
ギリギリでなんとか保っている「普通」の生活のリアルが、5000円という金額への感慨や赤裸々な給料と家計の描写からヒリヒリと伝わってきます。
バブルバスというモチーフが、そんな日常からふと離れた泡のような時間を見事に象徴しています。そして最後の主人公のセリフが続いていく日常に対するちょっとした救いになっていて、これだけの話なのに印象的でした。





「せんせえ」

高校教師の男は、妻が結婚前から別の男と付き合っていたことを知ってしまう。しかも、その相手は自分に妻を紹介してくれた恩人の校長先生で......。絶望しながらも帰宅しようとする彼に、「せんせえ」と頭の悪そうな声をかけて来る女生徒が付きまとい......というお話。


これですよ!!この本で一番好きな話を選ぶならもう間違いなく段違いにこれ......。
不倫もので、先生と生徒ものという、本書の中でちょっと浮いてるマンガみたいな設定の物語ではあるのですが......。しかし、その分分かりやすいえげつなさに満ちていて泣きました。泣きます。泣きました。😭。
私なんかそもそも恋愛経験が少ないから失恋経験も少ないのでアレですが、この主人公の圧倒的つらみ体験を読むと過去の失恋の思い出が増幅されて襲って来るような読み心地でTSU・RA・I !!!なんでこんな酷いことを思いつくんだ!作者は人の心がないのではないか!
......はぁ。で、読んでるうちはこの2人の関係性にけっこう萌えたりもするわけですよ。特に女の子が一瞬女になるシーンにはドキッとさせられたりもするわけですよ。
しかしだ!!!(一応→)
ホテルローヤルが出てこないことに違和感を持ってよく考えると、この2人はホテルローヤルの3号室で心中した教師と高校生なんですよね!!!読者にだけこれが分かるようになっているのが上手いですけど、つらい!!!
これ、普通にこの短編だけを読んでいたら、「孤独な2人が手を取り合ってこれから生きていくんだろうな」という読み方が読者の人情として自然だと思うんですよね。......それが短編集の中では正反対になるというサディスティックなギミックがしんどいです。
丸っ切り救いのない話ですが、せめて孤独に野垂れ死ぬのではなく2人でいられたことを良しとする以外にちょっと気持ちのやり場がないですよね。あーつらい。





「星を見ていた」

ホテルローヤルで部屋の掃除のパートをする初老の女性のお話。


若い2人の話から一転、ラブホの掃除のおばちゃんが主人公。
一生脚光を浴びることなく、頑張っているという自覚もないまま懸命に淡々と生きている人間の人生を掬い上げる、切なくも優しさに満ちたお話です。
60歳のおばちゃんが、いつでも母親に昔言われたことを指針に生きているというそれだけで胸に迫るものがありますし、長い人生経験で彼女が正しいと実感する母の教えの説得力もすごくて、特に捻った感想もなく、ただ出てくる人と言葉が愛おしいお話でした。





「ギフト」

愛人を連れて「ホテルローヤル」を創業しようとする、創業者・田中大吉のお話。


最終話のここに来てようやく登場しました、ホテルローヤル創業者の田中大吉氏。
廃業後からローヤルの歴史を遡って来た本書ですが、最終話=最初の物語はホテルローヤルがまさに今から創られる時のお話です。
主人公がとにかく昔ながらの馬鹿な男で、ロマンだけを追いかけて大きな夢を見たり、不倫しておいて家族も不倫相手も背負った気になったりと、なんとも嫌いなタイプの人間なのですが、それは私にはないものへの反発ということもあるでしょう。ただ団子屋の娘が可愛いから不倫をし、ただ夢を見たいからラブホテルを建てようとする、そんな彼のある種の純粋さ。それがあるから、馬鹿だなクズだなと思いながらも気付けば応援したくなってしまう......彼にはそんな主人公気質があると思います。ホテル命名の由来となった"あるもの"の場面では不覚にもジーンときたり......。

......しかし、読者はその後の成り行きを全て知っているから、「えっち屋」や「本日開店」を思い出してなんとも切なくなる。しかし、ここで「本日開店」という言葉が効いてきて、まぁ人生そんなもんか、という、案外悪くない余韻に浸ることができました。それもこれも、やはり本書に通底する、「日陰者を物語として掬い上げて描くこと自体の優しさ」によるものでしょう。

読み終わってしばらくしてからも、あの人やあの人やあの人......登場人物たちのことをふと思い出してしまうような、そんな良い小説でした。