偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

望月拓海『毎年、記憶を失う彼女の救い方』読書感想文

例によって読書会のために読みました。といっても、読書会がなくても読んでいたでしょう。なんせ、メフィスト賞にして記憶障害系ラブストーリーと聞けば、この私が読まないなんてことは許されませんもんね。


毎年、記憶を失う彼女の救いかた (講談社タイガ)

毎年、記憶を失う彼女の救いかた (講談社タイガ)


〈あらすじ〉
二十歳の時に事故に遭い両親を亡くした尾崎千鳥。それからというもの、彼女は毎年事故のあった日付が近づくと、事故以降の記憶を失ってしまうようになった。
三度目の記憶喪失から三ヶ月。クールで聡明な女性になろうと決意する彼女の前に、天津真人という謎の青年が現れる。「1ヶ月デートして、僕の正体がわかったら君の勝ち。わからなかったら僕と付き合ってもらうぞ!ぐへへ!」と交際を迫る真人。しかし、デートを重ねるうちに、千鳥は真人の優しさに惹かれていき......。

すべての伏線が、愛ーー💖



というわけで、読んだんですが、うーん。
いや、めちゃくちゃ泣ける良い話なんですよ。なんですけど、だからディスるとこっちが心汚れてるみたいになるのがもにょります。
しかし、おいどんも男だ。ここはひとつ汚れ役を引き受けてでも物申してやろうじゃないか。



......というわけでディスるので好きな方は読まないでください。

でもまぁ、まずは褒める点からいきましょうか。

本作の褒めポイントを一言で言うなら、「いろんな意味で読みやすい」です。

まずは、もちろん文章がめちゃくちゃ読みやすいです。
著者は本作が小説家デビューということではありますが、放送作家や脚本家の畑から出てきた人らしいのでそれも納得です。これは読者が能動的に読む文章ではなく、ページを眺めているだけで頭に話が入ってくるような映像的な文章ですね。

また、話の進め方にしても、「1年間で記憶が消えてしまう」「1ヶ月付き合って正体を当てる」といったタイムリミットがはっきり設定されています。それが「一気に読ませる」という意味で効いているかというと微妙な気もしますが、それでも明確な区切りがあるお話はその分読みやすくなりますよね。

そして、物語の見せ方は本当に上手いですよ。
前半は、強気な「毎年記憶を失う彼女」と、気弱だけど優しい「彼女を救おうとする謎の男」というキャラ設定によって素直になれないラブコメみたいな軽めの導入になってます。
中盤では、真人の謎の言動や、千鳥の葛藤が描かれることで、徐々にシリアスムードにギアチェンジして物語が加速していきます。
そして終盤では「すべての伏線が、愛」という惹句に現れているような全米が泣く系涙腺大崩壊超絶感動純愛物語になります。
この起承(ライト)→転(シリアス)→結(感動)の王道な展開は、小説というより映画でよく見る展開だと思います。

このように、映像的な文章にしろ映画的な構成にしろ、「映画っぽさ」が本書の魅力を表すキーワードだと思います。

実際に、本作の中ではいくつかの映画のタイトルも挙げられており、著者が映画好きであることが窺われます。

ただ、この映画っぽさというのが、私みたいな「記憶障害系ラブストーリー映画」のファンからすると......あ、言い忘れてたけどここからはディスりコーナーですからね。

※※ネタバレも入るのでご注意ください。※※
なお、作中に登場する映画に関しても書きますが、そちらのネタバレはしないのでご安心を。

















というわけで、はい、「記憶障害系ラブストーリー映画」ファンからすると、

「あれ、この話どっかで見たことあんぞ」

が読後の第一印象だったりします。

そう、この小説、

👼既存の映画からの影響が強すぎるんですよ

👿名作映画の良いところをパパッとコラージュした浅さが気に食わネェ!

いかんいかん。こら!悪魔ちゃん!黙ってなさいって言ったでしょ!いや今のは私じゃなくて悪魔ちゃんが言ったんですよぅ。


というわけで、読んでいる間は映画っぽさが魅力でしたが、読み終わってあまりに(いくつかの特定の)映画っぽすぎたというのがもにょりポイントです。

いやまぁ、借用元の作品のタイトルを律儀に作中に書いているのは潔いと思います。悪く言えば映画のコラージュですが、良く言えば映画へのオマージュと言えなくもない気もします。

ただ、あまりに本書中に占める借用部分の割合が高すぎるんですな。



まず、作中には、メメント、②きみに読む物語、③光をくれた人という3つの映画のタイトルが登場します。
ひとつずつ見ていきます。


①「メメント
10分しか記憶が保たない主人公が、メモを駆使して殺された妻の復讐をする、という映画。
時系列にトリックが仕掛けられているのが特徴です。

人を殺すか救うかという違いこそあれ、健忘の男がメモなどを使って目的を成し遂げようとするという執念を描いているのが本書と共通します。
また、時系列にトリックがあるこの映画のタイトルが出てくることで、本書の日記の時系列トリックにも見当がついてしまいました。


②「きみに読む物語
老紳士が、アルツハイマーの妻に記憶を取り戻してもらうために、3人の若い男女の恋の物語を読み聞かせるお話。

この映画自体私は大嫌いなのです。
きみ読む勘違い褒め記事
勘違いに気づいてディスる記事

そんなこの映画を主人公が褒めちぎってる時点で本書もお里が知れるってもんでしょ(きみ読むアンチ過激派)。

記憶を蘇らせるために繰り返し物語を読み聞かせる「きみ読む」の主人公と、記憶を蘇らせるために同じデートを繰り返す本書の主人公の行動はかなり似ていますし、「愛は見返りを求めないものだ」という偽善的な純愛アピールもそっくりです。


③「光をくれた人」
この映画は健忘ものというわけではありませんが、生きる意味を見失った男が家族を持って再び生きる意味を見出すという点で、同じく千鳥に出会って生きる意味を見出した本書の主人公の姿が重なります。


というわけで、本書の中に登場する映画の要素を切り取ってくっつけただけでなんとなーく本書が出来上がる気がしてしまうんですよね。
ただ、私が一番もにょったのは、これだけたくさん映画のタイトルが出てくるのに、どう考えても下敷きにしてる「50回目のファーストキス」というタイトルは作中に出てこないこと。


④「50回目のファーストキス」
1日しか記憶が持たない女の子に本気で惚れてしまったプレイボーイの主人公が、毎日彼女に告白して毎日惚れさせようとするラブコメ

映画のネタバレになるので詳しくは書けませんが、この映画のラストはテーマ的にかなり本書に影響を与えていると思います。
「記憶を失う彼女を何回もナンパして何回も惚れさせる」っていうところも同じです。
ただ、この映画の「1日しか記憶が持たない」という設定が明からさまに本書の真相を暗示してしまうためにわざと名前を出さなかったのではないかと思います。


というわけで、この①〜④の映画をパズルみたいに組み合わせると大体本書の枠組みができちゃうわけなんですよ。もちろんその組み合わせ方のセンスは抜群だし、そこに肉を付けて新しい物語を作る手際も見事なものです。
そもそも、勘違いして欲しくないんですけど、私は「パクりだパクりだ」と言って騒ぎ立てるのもあんま好きじゃないし本当はこんなこと言いたくないんですにゃん🐱🐱

でもあまりに借用部分がプロットの大半を占めていることと、『毎年、記憶を失う彼女の救い方』というタイトルを見た感じ、売れた映画のキャッチーな部分だけ借りてきて、キャッチーな本を書いて売れようとしてる感が半端ねえなと。要はタイトルが嫌いなのかも。

もちろんエンタメ小説なんだから売れてなんぼですけど、この作品は売れる要素を計算で継ぎ接ぎしてるような浅さが透けて見えるので素直に感動出来なかったんです。

そう考えてみると、登場人物のキャラ造形も浅いですよ。
たしかに二人ともめちゃくちゃ良い人ではあるんですけど、良い人すぎて感情移入出来なかったです。
「凄絶な人生を送ってきてトラウマがあってそれでも希望を持って生きてます」ってもはやマウンティングでしょ。
「見返りを求めるなんて愛じゃない」っていうセリフも、そういうキザなこと言う自分に酔えることが既に見返りでは?と思いますね。性格悪いよ私は。

あと、天津真人の日記の一人称が「ぼく」なのもいい歳こいてふざけやがってという気分になります(悪質クレーム)。

それから、これは大事なことですが、「古いものは本物っぽい」という価値観自体が本書の偽物っぽさを言い表しているような気がします。「私は流行に流されない」と頑なに宣言している時点である意味流行に流されてるじゃん、みたいな。死んだら神様っかぁ〜!?みたいな。



なんだか、書いてるうちにまとまりがなくなってしまいましたが、要は、価値観も、既存の作品を継ぎ接ぎしたような作りも偽物っぽくて魂を感じねぇ!というところが嫌いです(言ってしまった)。

エンタメ恋愛小説として一級品であることは間違いないですが、そんなわけで個人的には読み終わったあとNO感情になりました。器用なコラージュよりは不器用なラブレターの方が好きな性分ですので。