偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

「きみに読む物語」ネタバレなし感想+ネタバレ解説


「ちゃん、ちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃん」
(宮城道雄『春の海』より)




はい、皆様あけましておめでとうございます。誰か見てる〜?


えー、みなさん昨年はいかがでしたか?新年の抱負はありますか?

私はですね、一昨年、昨年と人生最低の年を更新し続けて参りましたので、今年はそろそろ幸せになりたいなぁなどと思います。なんたって24歳、年男ですからね。

で、ど初っ端だし景気付けに王道な胸キュン・ラブストーリーでもと思って、世の中の映画で最も「王道なラブストーリー」のイメージが強いこの映画を観ました。

それがどうしてでしょう、こんな作品だったなんて......。



きみに読む物語 [DVD]

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製作年:2004年
監督:ニック・カサヴェテス
原作:ニコラス・スパークス
出演:ライアン・ゴズリングレイチェル・マクアダムスジェームズ・マースデンジーナ・ローランズジェームズ・ガーナー

☆5点



私の今年の年賀状です。かわいくない?



閑話休題
最初に言っておくと、これはただの「王道なラブストーリー」ではありません。物凄く巧妙に作られた物語です。別にどんでん返しとかがあるわけじゃありませんが、最後まで観てその作り込まれた構成に鳥肌が立ちました。その辺、私のようなミステリファンにも勧めたい傑作だと思います。

一方で、ネットで色んな人の感想を見てると「ベタなラブストーリーでまぁ普通かな」とか、「王道の純愛もので泣けましたぁ〜😂😂」とかいう感想をよく見かけて、それは別にいいけどさ、こんな凄え話をベタだの王道だので片付けて、本当に内容わかってる?とか思ってしまった(性格悪い)ため、今回はネタバレなしの感想ネタバレ有りの解説の二段構えでつらつら書かせてもらいます。

もちろん、「ちゃんと分かってるよ」という方には今更私なんぞの解説なんざ余計なお世話だと思うので読まないでおいてください。




《ネタバレなし感想》

まずは終盤のネタバレは無しでの感想です。中盤までの展開には触れるので真っさらな気持ちで見たい人はご注意。


とある病院にて。認知症の老女の元に老人が一冊の本を持って読み聞かせに訪れます。
その本は、アリーという少女と、ノアという若者の数奇な恋の物語。

この映画は、その本の内容を中心に、ときどき枠となる老人と老女の話を挟みながら展開していきます。



まず前半は2人が出会ってから一夏の淡い恋の日々を描いた王道ラブストーリーです。

ヒロインのアリーは箱入りのお嬢様。友達の友達くらいの間柄でしょっちゅうナンパしてくる若者ノアを鬱陶しく思っています。しかし、ノアの言動には箱入り娘のアリーが今までに触れたことのないものがありました。それを意識した時、2人は一気にFallin' Love!! The ありがち!!
ありがちなんですけど、夜の街路のシーンややたらと熱いキスシーンなど2人の度を越したイチャイチャぶりはもはやファンタジーの世界の出来事で、リア充爆発しろ」とすら思わず菩薩のような微笑みを浮かべながら観てました。

しかし、そんなアツアツの2人でしたが、厳格な家に育ったお嬢様のアリーと肉体労働者の負け犬ノアでは身分が違いすぎました。
ノアは彼女が夏の間滞在する別荘で彼女のご両親に会うものの、けちょんけちょんにディスられてしまいます。ショックを受けたノアはアリーと喧嘩になって帰ってしまいます。その後アリーが大学進学のため遠くの街へ行ってしまうことで2人は引き裂かれてしまうのでした Of The ありがち!!😂😂
両親に肉体労働者のクズめ!とか言われるあたり自分を見ているようでイライラして「死ねババァっ(アリーのご母堂)!!!」と思いましたが、後のババァのとあるエピソードを見て、最終的にはババァのことも嫌いにはなれず......。


と、まぁ斯様にここまでとてもありがちな流れになっていますが、この後から本作の本領が発揮されます。



第2部(?)

大学に入って三年。アリーは、まだたまにノアのことを思い出しながらも、ロンという富豪の御曹司と恋に落ちて婚約します。

一方、ノアはもう世界の終わりですよ。紅茶飲みながら静かに待つなんてもんじゃなく、あの夏アリーが暮らした別荘を買い取って改装して人に売ると見せかけて「やっぱ売らないよ〜ん」という迷惑行為に及んじゃって街の名物おじさんと化してますよ〜。ここ泣けます。

そして、そんな名物おじさん・ノアのことを新聞で見てしまったアリーは、彼を心配して婚約指輪をつけたまま、あの夏のあの家に行き......。

その夜、何があったかは想像がつくと思います......。
そこから、この映画は純愛ものだと思っていたのにまさかのゲスな三角関係、いや四角関係へと発展していきます。これには川谷絵音もびっくり。
ただロンがいいやつなんですよね。これでこいつが嫌な金持ちだったらこいつを憎めるんですけど、誰も悪くない。だからこそこの辺のドロドロの展開は観ててつらいです。

そして終盤に至ると、ちょっとした仕掛けと感動の結末が待っているわけですよ......。


※以下ネタバレ解説に入っていきま〜す

P.S.
この解釈が制作側の意図と合ってるかどうかは分かりません。もしかして見落としてるだけで反証があるかもしれません。ただ、合ってなかったら私の解釈の方がこの映画より面白いとすら言い切る自信はあります。




《ネタバレ解説》

というわけで、ここからはネタバレ有りで私の解釈を書いてみます。
んじゃ、さっそくいきます。

まずは終盤の展開を段落ごとにざっくり文章化します。以下の考察ではこの段落の数字を使ってみていきます。


老人と老女が暗い部屋でディナーをする。読み聞かせの物語はもう終盤。
「彼女はどっちを選んだの?」と急かす老女に、老人は続きを語る。


ロンは、アリーにノアとのことで小言を言うが、そのあと「愛してる」「アリー、初恋は忘れられないものさ」と彼女の過ちを許すようなことを言う。アリーは「分かってる。私が誰を選ぶべきかは......」


そこで、老人が「めでたしめでたし」と言い、老女は「誰がよ?」と尋ねる。
少しの沈黙の後、老女は「そうよ」と言う。


家で目覚めたノア。車の音に気付き、ベランダに出てみるとそのにはアリーが。抱き合う2人。


老女は、「思い出した。それは私たちのことね。ノア......」と言い、老人を抱きしめ2人で踊る。
2人は孫の"ノア"のことなどを話すが、老女は突然また記憶をなくし、錯乱して老人に「あなた誰よ!?」と叫ぶ。


老人は2人の幸せな頃のアルバムを見る。そのあと今まで読み聞かせていた本をめくると、そこには「アリー・カルフーン著。愛するノアへ」と書かれている。
その後、老人は気を利かせた看護師に甘えて、錯乱状態の後で眠っている老女に寄り添って眠る。

朝、看護師は寄り添って冷たくなっている2人を見つける......。

まとめると、ざっとこんな感じです。


ぼーっと観てると④⑤のシーンから、一見、
老人=ノア
アリーはあの後結局初恋に従ってノアを選び、2人は死ぬまで純愛を貫いた

......という風にも見えます。

でも騙されちゃいけません。
本当はそうじゃなくて、老人はロンだという風にも観ることが出来るのです。

その根拠として、まず⑥のアルバムを見る場面で、アルバムに写っている写真がノア、ロン、どちらの顔でもない(恐らく老人役の俳優の若い頃?)ことが挙げられます。
そして、老人がロンであると思って見れば......。
③のシーンで老人は「めでたしめでたし」と物語を締めくくっています。
すると④の、アリーがノアの元へ行くシーンは、本に書かれた物語の結末ではなく、老女が思い出した(と思っている)光景であることが分かります。
また、老人と老女の孫が「ノア」という名前であることも、祖父の名前を付けたのではなく、あの後2人の共通の友人となったノアから取った、とも考えられますよね。

以上のことから、老人=ロン説を取ると、老人がノアであると考えるよりも更に切なく更に強い純愛の形が浮かび上がってきます。

あの後ロンはアリーと結婚、子供や孫にも恵まれて幸せな日々を送っていた。しかし、年老いたアリーはある時アルツハイマーになってしまう。
何も分からなくなってしまった彼女がたまに思い出して語ることは初恋の人・ノアとのことばかり。更に、ロンは入院して家からいなくなった彼女の部屋から、ノアとの思い出を描いた物語風の日記を見つけてしまう。
しかし、たとえ自分以外の男との思い出に浸っていても愛するアリーが幸せならと、ロンはノアのフリをしてアリーに合わせることにする......。


これは大変なことですよ。愛する人がボケて自分のことを忘れて他の男のことしか思い出さなくなってしまって、それでも彼女のために尽くすロン。これってものっっすごい純愛じゃないですか?
そして、この説を取ると、②のロンの「初恋は忘れられないものさ」というセリフが効いてきて、アルツハイマーになったアリーの状況と、ロンがそれに尽くそうとする心理にきちんと納得がいくんですよね。こういう伏線の巧さが私がこの作品をミステリファンにも勧めたいと言う理由なわけですが、それはともかく......。



じゃあ老人=ロンなのか?いえいえ騙されちゃいけません。

これはあくまでアルバムの写真やロンのセリフから「観客」である私が「作者の意図」に見えるものを切り取って読み取っているに過ぎません。

そう、上に挙げた手がかりは全て物証ではなく状況証拠にすぎず、このストーリー自体は、老人はあくまでノアでもロンでもあり得るという立場を取っているんです。

そして、ノアだと考えれば紆余曲折を経て初恋が実るというロマンチックでベタで王道なラブストーリーになります。
一方、ロンだと思うと、切なくて苦しい純愛ものになるわけです。

ところで、恋愛の目的って何でしょう?恋愛のゴールとは?
結婚?それも確かに一つの到達点ではあるかもしれませんが、そこで終わることもあればそこから続くこともあるような気がします(結婚どころか恋愛もロクにしたことないのによくもまぁ偉そうに言えたもんだ!)。
畢竟、恋愛のゴールがあるとすれば、それは相手のことを想って満足して死ぬことしかないのではありませんか?私は心中したい!(映画の趣旨と外れる)。

そう考えると、この物語は老人がノアでもロンでも結局のところめちゃくちゃ切ないけど最強のハッピーエンドなのかもしれません。



というわけで、結局老人がどっちなのかハッキリさせないリドルストーリーのような体裁を取り、どちらだと考えるかでそれぞれ違った味わいの、しかしどちらも素晴らしい恋愛映画になるという構成は凄過ぎます。


そもそも、「恋」と「愛」の違いってなんでしょうか?
まぁ人それぞれいろいろあるとは思いますが、私は

恋→自分の欲求を満たすために相手を利用すること
愛→自分の幸せよりも相手の幸せを優先することを幸せとすること

だと思います。

この映画の場合、老人がノアなら、自分のことを思い出してもらうために物語を読むという「恋」の物語。
老人がロンなら、アリーに幸せを感じてもらうために自分を捨てる「愛」の物語だと思います。

一つの映画でありながら同時に「ノア説」「ロン説」の二つの物語として存在するシュレディンガーの猫的映画で、二つ同時にあることで 恋/愛 映画になるのです。
さらにはノアのセフレやアリーの母親の物語も観客に想像させ、観終わった後に頭の中を様々な物語が乱反射するような、大変な傑作ですよこれは。余韻が終わりません。