偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

ルビー・スパークス

2016年10月。
その時私は彼女が出来たことがなくて、好きな女の子にはフラれて、もう恋なんてしたくないような、早く次の恋をしたいような、そんな気持ちでいて......あの頃から私は恋愛映画を貪るように観るようになったんだと思います。

そんな時に出会った思い出の一本をこの度観返してみました。


わりと内容に触れてるので気になる方はご注意を


ルビー・スパークス (字幕版)

ルビー・スパークス (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video



傑作と称される1作目のプレッシャーから長らく2作目を書けずにいる青年作家のカルヴィン。
夢に出てきた女の子"ルビー・スパークス"のことを書くと、ある日創作であるはずの彼女が目の前に現れる。
かくして理想の恋人を手に入れたカルヴィンだったが......。





Back to the 2016年



リトル・ミス・サンシャイン』の監督だからというだけで気まぐれに借りてきたが......エグい。

作家の主人公が小説に描いた理想の女の子が、なんと実体化して彼女になっちゃう!?というラブコメ......の皮を被った最恐ホラー......と見せかけて......。

完璧に自分の理想の女の子だもん、初めてのキスのシーンは甘美よ。そこから続くデートのシーンも嗚呼、こんな女の子がいたらなぁと。だって一緒に『ブレイン・デッド』観てくれる人なんている?私には強いて言えばヘビースモーカーで授業サボりまくる髭の汚ねえ後輩くらいしかいねえよ?そんな奴にパンティ咥えられてもなんも興奮しねえよ?パンティ咥えてる顔エロかったなぁ。

というわけで序盤はキュンキュン度10000%のラブコメ......なのがおかしいんだよそもそも。そう、男が10000%もキュンキュンするような女の子がいるわけねえんだよ!ああ、そうさ、いねえよ!だって自分で書いてんだもん!

内から生まれ出た彼女が外の世界と関わって思い通りじゃなくなっていくのが切ない。釦を掛け違えていくように2人の間にはズレが生じていく。恋愛ってそんなもんなんでしょうけどね、経験のない奴にはそれが分からんのです。ということで彼女を思い通りにするために主人公は禁断のアレをしちゃうんだけど、そこからの展開は元カノからの一言が全てを表している。そしてこれは私に向けられた言葉でもあったのです。個人的にグサッときた。

※以下ちょっとネタバレかも。






そんな破綻の予感がジワジワと大きくなって行き着く果てが、あの地獄のようなクライマックス。今年観たどの映画よりも怖くて震えながら観てた。ヤバすぎる。エゲツない。

でもね、ここで終わっててくれたらまぁ怖かったなーで終わるんですよ。

ラストが......ああ、やめてくれ、俺に救いを、希望を、再生を見せないでくれ!だって俺は書けねえよ!っていう気分にさせられました。創作への憧れを持っている恋愛下手にとってこのラストは地獄。
でもね、映画を観て恋愛の失敗を疑似体験出来たから実際に恋した時に活かせるよね!ああ〜〜恋したいなぁ〜〜♡って、したくねえよ馬ぁ鹿!


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Now 2020年

あれからの話だけど 何人か好きな人が 出来たり出来なかったりしたの

というわけで、上記が本作を初めて観たあの時の感想そのままコピペ。
あれから、私も何回か恋をしたり破れたりしました。
そうこうして今では可愛い彼女がいるわけで、さぁ私も多少の恋愛経験を積んで成長したからもうこんな映画怖くないと思って満を持して観てみたら、やっぱりめちゃくちゃ怖かったです。
あれからたくさんホラー映画も観ましたが、未だに本作が人生で一番怖い映画ですね(二番目は「ヘレディタリー/継承」)。

なんつーか、昔は彼女が出来たらもっとマトモな人間になれるんだと思ってたし、彼女が出来たら非モテマインドは消えると思ってたけど、全然そんなことはなくて、相変わらず恋愛下手でこういう恋愛下手が出てくる映画に感情移入しちゃうんだなぁと忸怩とも諦念ともつかぬ気持ちになりました。結局俺は一生非モテなんだよ......。


欲しい気持ちが成長しすぎて 愛することを忘れて
万能の君の幻を 僕の中に作ってた

そんなわけで、本作のテーマは恋愛における相手の偶像化、つまりはa.k.a LOVE PHANTOMなんですよ!ちくわさん!

「理想の女の子を生み出す」という設定こそファンタジーですが、実際のところ恋愛において相手に理想を投影してしまいがちなもので。
もちろん、相手を美化することは恋の楽しさも生み出すもので、本作の前半ではそういう「理想の恋人との理想のデート」がニヤニヤしちゃうくらい甘ったるく描かれているわけでして、ゾーイ・カザンのめちゃくちゃ美人ではないけどとびきり可愛い感じなんかはオトコノコの夢を体現してて素晴らしくて......。
そういう偶像化の一見美しく見えてしまう部分を描いているからこそ、後半がよりリアリティを増すわけですね。
あと改めて観返してみると、ほんとに最初の方からもう「偶像」とか「理想」とかいうワードが伏線のように登場してたりもしました。


「君」は7画で 「僕」は14画で 恐いくらいよく出来てる
僕は僕の半分しか 君のことを愛せないのかい

というわけで、美化された相手への恋というのは一見楽しくも結局はオナニーに過ぎないということが、「小説を書けばルビーを意のままに出来る」というまさにオナニー的な着想によってファンタジックかつリアルに描かれていく後半はホラー映画として圧巻。

悪化し行くルビーとの関係を修復するために、「微調整」くらいの気持ちで彼女を「書く」カルヴィン。
しかし、それによるズレが彼女を少し人間じゃないもののようにしてしまっていく、それでも彼女には感情があって......というのが切なくも、でもそうしちゃうカルヴィンの気持ちはもちろん非モテ男子として分かるし、それが自棄を起こしたように行き着くところまで行き着いてしまう衝撃的な書斎のシーンは2度目に観てもやっぱり画面から目が離せないほど怖くて、恋なんていわばエゴとエゴのシーソーゲームってニーチェか誰かが言ってたけど相手からエゴを奪ってしまえばそれはもう虚しい1人シーソーでしかなく、あまりに苦くて痛いけれども最後にせめてああしてくれたのが救いではあって......。


私以外私じゃないの 当たり前だけどね

しかし、最後の最後に救いを見せてくれるんですよねぇ......。

かつて観た時は、恋したさと恋したくなさがせめぎ合っていたのでこんな救いなんか見せられたら困っちゃうよ〜という感じでしたが、今わりかし冷静に観ると、これが素敵なんですよね。
独りよがりだった自分に気付き、再び恋という難問に挑むカルヴィンくん。
そう、恋というのは大なり小なり誰もが間違うもの。
だからこそ、映画の中ではしくじり先生的大失敗と、それでもまた始まる希望を描いて欲しい......というのはロマンチストすぎるのかもしれないけど、私の大好きな恋愛映画って某作も某作も、エグいけど最後は前向きなやつなんですよね。

私もこないだ彼女に一回フラれてヨリを戻したので(別名:痴話喧嘩)、今はこういう破壊と再生(?)みたいなのがすんごい沁みるんですよね。

そんなわけで、素晴らしい恋愛映画は何度観ても素晴らしい。全ての恋する人にオススメの名作ですよ!