偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

チャイルド・マスター

はい、今日はさっき見たB級スラッシャー的なヘンテコ映画を紹介します。


チャイルド・マスター [DVD]

チャイルド・マスター [DVD]

タイトルとジャケ写からも分かる通り、チャイルド・プレイの二匹目のドジョウを狙った売り出し方がされている本作ですが、人形はむしろアンソニー・ホプキンスの『マジック』みたいな感じで、ストーリーはもっとこう、うまい例えはないけど『ナチュラル・ボーン・キラーズ』みたいな殺人ロードムービーになってます。

主役は、話せない兄のノルベルト、意思を持つ腹話術人形のダミー君、サイコでビッチな妹のアンジェリーナの3人組。
で、ジャケ写的にこのダミー君が人を殺していくのかと思いきや、なんと妹のアンジェリーナちゃんがサイコキラーで兄と人形は彼女に怯えてるっていう謎の関係性が面白かったです。
なにより、アンジェリーナちゃんの見た目がめちゃくちゃ私のタイプでして、その可愛さを伝えたい......いや、違うな、自分のために残したいがためにわざわざブログに感想を書こうと決意したもので、つまりこの記事はもはや感想ではなく好みの女の子の記録でしかないわけですが......


しかし、この3人組、最高じゃないですか?

お兄ちゃんはお兄ちゃんで、常にこういうおしっこ我慢してるみたいな顔でおしっこ我慢してるみたいな歩き方するのが最高だし、一言で言えば、このビジュアルを見て良さげだと思う人にはオススメの映画ってことですね。

なんせ、ストーリーは別に面白くない。

彼らがゆるーく人を殺しながらベガスを目指すってだけの話で、出会った人を殺すという短いエピソードを積み重ねているだけみたいな展開だから、最初は面白いけどだんだんマンネリ化していきます。
一応途中で女の子を誘拐して子供を産ませようとするみたいなとんでもない展開にはなるんだけど、それにしてもコメディと呼ぶにはシリアスだけど、サスペンスと呼ぶには緊迫感がないという微妙な作り。
オチにしても、一捻りあるにはあるけど、その捻り方もまぁ予想の範囲内だし、ギャグのようでいて悪趣味すぎてちょっと引いた失笑しか出来ないという珍妙なもの。

まぁ人を殺すシーンはなかなか頻出する上にそれぞれ趣向が凝らされていてそこそこ面白かったっすけどね。フェラチオのやつとかは最高。

......と、こうやって書いてみると、あんましハマってない感じにはなっちゃいますが、前述の通りとにかくアンジェリーナちゃんが可愛い、それだけであり、それだけで唯一無二の存在価値を持つ映画なので、あえてここに書いてみた次第です。
なんせ、彼女を演じるペイディン・ロパチーンさんはどう探しても本作以外に出演作がなさそうなので、本当にその意味では唯一なんですね。
というわけで、けっこうキモいですが最後に可愛いすぎる彼女のスクショを貼っといてこのグダグダすぎる感想を打ち切りたいと思います。



ロリっぽいのに色っぽくもある感じ、タイプですね。



富士フィルムインスタントカメラ、世界で使われてるんですね。殺した人の記念写真を撮るサイコなシーンですが可愛い。


這いつくばらされて言葉攻めされたくなる画像。最高っすね。


それでは、ばいちゃ!(この記事なんだったんだろう)

松井玲奈『カモフラージュ』読書感想文

昔は話題の本とか避けてたんですけど、この歳になってそういうのも逆に恥ずかしいなと思い、話題書のこちらを買ってみたわけでごんす。

カモフラージュ

カモフラージュ

著者の松井氏は元SKEとか乃木坂とかに所属してたアイドルで現在は女優やタレントとして活躍してる一流芸能人。
そんな彼女の小説デビュー作となる本書はしかし、なんとなくイメージされる「自らのアイドルとしての経験を主人公に投影した半自伝的長編」......とかではなく、若い女性に限らず様々な境遇の主人公たちを描いた短編集だったから驚きました。

しかも、その振り幅も広くて、不倫を題材にしたピュアな恋愛小説から、ファンタジックだけどエゲツないホラー、等身大のビルドゥングス・ロマンに、YouTuberが題材の時流に乗ったものまで、専業作家の短編集でも贅沢なレベルに色とりどり。
もちろん、各話の内容もしっかり起承転結あった上でその先への余韻をも残すという見事なもの。
その上で、「カモフラージュ」という言葉と「食べ物」の存在が全話に緩く共通しているから寄せ集めた感じはしない。
また文章も、読みやすくい上にめちゃくちゃ共感出来るという、ツイッターとか歌詞とかに近いイマドキっぽい作風が確立されています。

褒めまくったので一つだけ欠点を挙げるなら、描きたいテーマについてちょっと説明的すぎるきらいはあるかと思います。
各話とも話の最後の方で「この話はこういうことが伝えたくて書きました」という著者の声が聞こえるようで、作家デビューだけにちょっと力みすぎな気はします。
......なんて何様目線で書いてしまいましたが、あれだけテレビとかでもしょっちゅう見かける本業の忙しい著名人が、「自伝的」というひみつ道具を使わずにあくまで小説家としてこれだけの本を書き上げたということに感動しました。
今後も注目ですよ!

それでは以下各話のちょいちょい感想。





「ハンドメイド」

不倫......というか、結婚はしてないから浮気?セフレ?モノの恋愛小説。

まず、そう、一言目にまずこれだけ言っておきたいんですが......
この男まじクソやな死にさらせアホんだらぁ!!
というわけで、クソ野郎の描写が的確すぎて読みながら要所要所でキレてしまうあたり、読者を引き込む技の巧みさを感じます。
正直、こんなクズに引っかかる女も女だわとすら思ってはしまうのですが、それでも彼女の一人称を読んでいくとそこに描かれるどうしようもない気持ちにバチっと共感してしまっている自分に気付くのでして......。
そう、部外者としてはそんな男やめときなと言いたくなるんですけど、それは当人の決めること。相手はどうあれ、恋する彼女の姿はとても素敵なんです......。
それを描き出す小道具としての、"ハンドメイド"のお弁当がまた上手いこと使われてますよね。個人的にはp16で描かれる、"ミスマッチ"なお弁当の映像がとても印象的でした。

そして、結末はとても切ないんですけど、最後までこの男はクソすぎてなんかもう読後の一言目の感想は「トホホ......」でしたよね。
まぁしかし、クソ野郎と食べ物を上手く描けるのはいい作家の証拠ですよね!





「ジャム」

小学生の少年が主人公のシュールなホラー。

子供の視点からの無邪気な世界はそれだけでファンタジーめいていて、前話との振れ幅に驚かされます。
あまりにも無垢でミクロな彼の世界にじわじわと侵食してくるモノ、そのギャップの気持ち悪さがたまらんですな。
そのへんまで幻想的なだけに、あいつの正体が意外と現実的なことには私はちょっと引いてしまいましたが......。
しかしラストはああいうエグい描写を、ただやりたいからではなく物語に合わせてやっちゃってるところのセンスは凄いっすよね。心理的にエグいスプラッタという新感覚を楽しめました。





「いとうちゃん」

からの、またもガラッと雰囲気が変わって、メイドさんになる夢を追いかけて上京してきた女の子の成長物語。

変わった設定の話が多い本書の中で、メイド喫茶という舞台こそ一風変わっているものの、最も等身大にリアルな話がこれ。
まずはメイド喫茶に行ったことがないのでその内情の描写が興味深かったです。興味本位や冷やかしのお客さんが結構くる、というところなんか、なるほどなぁと思いましたね。
そんな、夢を手にしたはずが、憧れとは違ったものだったという夢のその後を描いたストーリーがチクっと痛くて、でもそこに明太子スパゲッティという癒しがあり、最後はさわやかな読後感を用意してくれるその優しさに惚れました。





「完熟」

桃にかぶりつく女性に異様な執着を見せる男のフェティシズムを描いた、掌編くらいの本書中最も短いお話。

冒頭で描かれる桃の場面の、なんかこう、いい意味の昭和っぽさが好きです。
そこから話は一転して夫婦とは、という別のテーマが浮かび上がってくるのも面白いですね。短いページ数の中で、幻想からだんだんと現実に寄っていく展開が見事です。
そして最後に語られるこの作品の真のテーマは、どこか諦観のようでもあり、希望のようでもあり、つまりは、達観した熟年の作者が書いたようでもあり、夫婦関係に夢を見る若い人が書いたようでもあり、といったアンビバレントな揺らぎのある結末がじわじわと尾を引きます。
実は、個人的にはこれが本書で一番好きですね。





「リアルタイム・インテンション

で、実は個人的にはこれが一番いまいちでした。
YouTuberの光と闇といいますか、良いところと悪いところみたいなのを描いた作品です。

まぁ、そもそもあんまりYouTuberに詳しくないし、良い印象は抱いていないので、どうしても題材からして色眼鏡かけちゃってたわけですけどね。
しかし、正直なところ、主役となる3人組にあまり魅力を感じられず、本当になんか大学の部活内の喧嘩を見てるような内輪のノリで疎外感を感じました。
話の内容も、結局あの2人がしょーもないことするからああなったのを美談みたいにされてもなぁ......という醒めた目線で読んでしまいどうにも......。





「拭っても、拭っても」

最終話のこれは、第1話と対になるかのように、クズ男と付き合って別れた女性が主人公の恋愛小説です。

まぁこれも病気みたいなものなので悪く言うのも差別的にはなってしまいますが、それでも正直めちゃくちゃ胸糞悪くてわろえないですよこいつ......。付き合いたくない男を描かせたら天才なのかも知れませんよこの作者。
もう、彼の存在がなかなかにトラウマ級で、餃子とか絆創膏に対して嫌な感情を植え付けられそうになるわけですが......。
しかし、そんなトラウマを吹っ飛ばす、あの人の救いの言葉が素晴らしく、爽やかな気持ちで本を閉じることができました。
この終わり方は第1話のラストを踏まえてのことでしょう。こういう短編集としてのちょっとした気配りも良いですね。それのおかげで一冊通して良い本だったなぁという感慨にまた改めて浸れました。

千澤のり子『シンフォニック・ロスト』読書感想文

「いつも一緒にいたかった となりで笑ってたかった」(PRNCESS PRNCESS『M』より)



こないだオフ会に行った時に話題に上がったので気になって読みました。なんせ、Amazonマケプレで3万円とかついちゃってる稀覯本なので図書館で借りるしかなかったのですが、めちゃくちゃ面白かったので近所の図書館に本書が蔵書されてるという方にはぜひ読んでいただきたいと思います。


シンフォニック・ロスト (講談社ノベルス)

シンフォニック・ロスト (講談社ノベルス)


とある中学校の吹奏楽部。2年生の泉正博は自分と同じホルンの先輩に想いを寄せていたが、彼女が自分を蔑んでいたことを知る。そんなある日、「部内でカップルができるとその片方が死ぬ」という噂の通りに部員が不審死を遂げ......。



というわけで、本作は吹奏楽に打ち込む少年たちを描いた青春ミステリです。

「青春ミステリ」というものに、私が求める理想は、ミステリとしてのトリックが意外なものでありながら、それが物語と結びついていて、トリックが明かされると共にストーリーも一層深みを増すような作品、なんですよね。
本作は、まさにそれ。
種明かしと共に物語が一瞬にして姿を変え、綱渡りのトリックもキャラクターの心理描写によって不自然ではないものに補強されている、まさに(私にとっての)理想的な青春ミステリの一例であると言ってしまっても良いでしょう。



まず、冒頭でいきなり主人公の泉少年が憧れの先輩に「あいつアタシのこと好きやんねまじキモイわーwwてか楽器下手過ぎ最悪ww」と言われるというなかなかにトラウマな(ああ、彼は中学時代の俺なんだ......)幕開けで非モテ男子たる私は一気に引き込まれてしまったのですが......。
そこから読み進めていくと、なんとそんな泉が他の女の子たちにはモテるモテる。一気に(こいつは中学時代の俺なんかじゃない、クソイケメン野郎だ!)と気付かされるのですが、自分に気のある女の子と付き合いながらも「自分は本当にこの子を好きなのか?」と悩む彼にはやはり感情移入してしまいます。

そんな中で起こる事件自体は、ミステリファン特有の不謹慎な言い方にはなりますがわりと地味なもの。
事件の魅力だけではやや牽引力に欠けるところはありますが、そこで泉モテモテ伝説が始まることで物語に加速がかかって一気に読めちゃいました。
あと、泉の中に起こる"あの感覚"なんてのもいかにも心に闇を抱えたラノベの主人公みたいで中2心をくすぐりますね。まさに彼は中2ですし。
いや〜、しかし、私も中学時代にこれだけモテたかったっすよ!私もわりと好きな子にキモいとか言われてたけど、その分他からモテたりしてたらもうちょい自己肯定感の強い人間になれたのに!

なんて、ついつい青春エピソードに入り込んで読んでしまうのですが、最後まで読んでみると、まさに見えていた景色がひっくり返るような驚きと、ひっくり返った後の景色への感動が味わえるのでした.......。


というわけで、ラストについては完全にネタバレなしでは語れないので、以下ネタバレコーナーになります。


























というわけでネタバレ。

そう、本作に仕掛けられていたのは、奇数章と偶数章が別の時代(1990年と2007年)であったという時系列トリック+それぞれの時代で「泉」が泉正博と日向泉ということなる人物であったという人物誤認トリックでした。

どちらも単体ではありがちな叙述トリックですが、両者をまとめて使っちゃうとこれはもう、時間も人物も全く異なる話が一つの話のように描かれるという、なかなかの離れ業になってしまうのです。
実際、思い返してみれば偶数章はやけにページ数が短く人名も伏せられているところばっかりだということに思い当たりますが、読んでいる間はそこまで違和感を感じなかったので、してやられたなぁと悔しい気持ちでいっぱい。

ただ、普通ならここまでの綱渡りをしてしまうとどうしてもインチキ臭さが出てしまいますが、本作では物語としての説得力を駆使してそれを最小限に抑えているのがお見事。

例えば、吹奏楽部の様子が17年を経てもあまり変わっていないことなんかも、部に歴代の先輩が残したノートがあるなんていう伝統を守っている描写があるからこそすんなり受け入れられますし、2人の泉がたまたま(犠牲者の特徴が)同じような事件に遭遇することも、p67の時点で「偶然が重なっただけだ」という伏線が張られていることで先手を打たれてしまっています。
そして何より、日向泉がホルンに転向して母校で吹奏楽部の顧問をしているという事実に対して、これまで散々描かれてきた日向から泉正博への想いというバックボーンがあることがズルいですよね。千澤さんよぉ、そりゃズリぃよ......そりゃあ......。

さらには、部が演奏するJ POPの名曲たちの使い方も絶妙。
p101で、Mについて「男性目線の曲としても聴ける」という論をぶつことでMの歌詞に共感する「泉」の姿を自然なものにしつつ、泉が日向泉であることが明かされた時には、やっぱり女性目線の名曲としてもう一度あのメロディが脳裏に浮かんでしまうという巧さ。
もちろん、Mの歌詞も彼女の心情を読者に伝える媒介になっている。
また、平成の卒業ソングの代名詞とも言える「3月9日」という曲名で2007年という時代を印象付けたり、「浪漫飛行」の最後のサビの歌詞もなんとなくこの結末とリンクするところもあって、こうした誰もが知ってる最強のサントラたちによって感動を増幅させるのがズルいっちゃズルいけど、しかし非常に効果的です。

そうして、技巧を凝らしたトリックで描かれるのは、青春の終わりと、終わらない青春。
最近は歳のせいか、こういう大人になるところまで描いた青春小説に滅法弱くなってしまったのでね......。
青春は終わってしまったし、もう元には戻れないところまで来てしまったけど、それでもあの頃の気持ちを忘れられないの......っていう。そういうアレですよね。はぁ、エモいわ。

やみよいくよ。

サカナクションの6年ぶりのアルバムが出た。
4月に発売決定と発表されてからさらに延期したことに対して根に持ってるから言わせてもらうと、正確には6年3ヶ月ぶり、のアルバムだ。

6年と3ヶ月前、2013年の3月。
私は高校を卒業して大学に入る直前の、最も輝かしい時期であった。
そんな時に聴いた前作『sakanaction』は、大学生になって好き勝手に夜更かし出来るようになったことも相まって私の夜のお供になった。
大学生の4年間、サカナクションの新作を待ち続けた。ラジオで山口一郎が次なるアルバムの話をするたびに胸をときめかせていた。本当に、それは恋と同じであった。
しかしどんなに恋い焦がれてもサカナクションの新作という思いびとは振り向いてくれない。

そんな折、個人的に色々とあって、社会人になってすぐに、もうサカナクションのことは忘れようと思った。
CDもDVDも売り払い、iPodからもサカナクションの曲は消した。

それからsyrup16gとか聴きながら死にたい死にたい言ってたもののなんやかんやでけろっと立ち直ってまたサカナクションを聴けるようになったけど、一度醒めてしまった気持ちはもう戻らない。一時はスピッツと並んで一番好きなバンドだと公言していたものの、もはや単にたくさんある好きなバンドの一つに成り下がってしまった。そう思っていた。

忘れていた。
忘れかけていただけか。

そう、思い出したんです。
新作が出ると発表された時、収録曲目が出た時、新曲が解禁された時、そして、今日、新作を通しで聴いて。
あの頃のサカナクションへの恋心を思い出したんです。

正直、聴く前は既発曲の寄せ集めのアルバムなんか作りやがってクソがと思ってました。
それが実際聴いてみたら、既発曲がまるでこの作品のために書き下ろしたかのように、ぴったりと一つの大きな物語として再構築されている。そして、新曲たちは今までよりグッと大人っぽさを増して6年という月日を感じさせる。
アルバムの全てがディスク2のラストのセプテンバーという曲に収斂して、聴き終えた時には興奮で意味もなく部屋の中をぐるぐる歩き回ったり意味もなくストレッチをしたりしてしまいました。

いずれちゃんと感想を書きたいという気持ちと、ここまでの破格の作品の感想なんて書けないという諦めのアンビバレンツに引き裂かれつつ、とりあえずせっかくだし発売日の今日に一言書いとこうと思い立って書きました。発売日は明日ですけど。特に意味のない個人的は呟きですけど。でもやっぱり私はサカナクションに身も心も捧げてしまっていたんだと思い知らされてしまったんです。サカナクションの曲になりたい。サカナクションの曲としてスピーカーから鳴りたい。

道尾秀介『光』読書感想文

はい。ちょっとご無沙汰してましたが、道尾秀介補完計画の最後の一冊がこちら。
これで離れていた時期の道尾作品のうちで文庫になっているものは全て読み終えたことになります。

光 (光文社文庫)

光 (光文社文庫)


という個人的な事情はどうでもいいとして......。
本作は語り手の"私"こと利一が、少年時代に友達の慎司、宏樹、清孝、そして慎司の姉の悦子と過ごした日々を回想するという物語。
各章がそれぞれ1つのエピソードになった連作短編集とも呼べる長編です。

道尾作品では頻繁に"少年"が描かれますが、本書は『月と蟹』とともにその一つの集大成というか到達点とも言えそうなくらい、どストレートに少年時代というものが描かれていて、道尾版『スタンド・バイ・ミー』などとあだ名されるのも納得でした。子供達それぞれのキャラクターも、最も普通で感情移入しやすい「私」こと利一が主役で、抜けてる親友の慎司、金持ちで嫌味な宏樹に、両親を亡くして貧乏だけど強い心を持つ清隆、そして活発だけど大人な悦子と、分かりやすく立ってるのもあれっぽい。

スタンド・バイ・ミー』という作品を観た時に(映画版。原作は未読です......)、「なんで外国の作品なのにこんなに懐かしさが心に刺さるんだろう!?」と思いましたが、きっと自分の実体験とは関係なく人類共通のノスタルジーみたいなものがあるのではないでしょうか。
本作もそんなノスタルジーに満ちた作品で、実際には私は少年時代にこんな経験してないんですけど、なぜか本書を読んでると感傷が疼くことが度々あったんですよね。
例えば、第1話の冒頭にしてからが、担任の綺麗な女の先生が今日はデートなんじゃないかと友達と2人で茶化してたり。
あるいは友達のお姉ちゃんにちょっと異性を感じてドキドキしたり、または悪いことをしてしまった時の取り返しのつかない絶望感だったり。
そして、子供同士の間でもけっこう気を使ったり空気を読みあったり探り合いをしたりしてる感じもなかなかリアルだったり。
そんな、なんとなーく少年時代に経験したことのありそうな気持ちが見事に描かれているからこそのノスタルジーの強さなんでしょう。むしろ、著者はこんな気持ちをどうしてまだ覚えているんだろうというところにびっくりしてしまう、謂わば少年時代あるあるみたいな作品ですね。

また、一方で各話にはそれぞれミステリ的な捻りもあったりして、1話1話が独立した短編としても読める、非常に贅沢な作りになっています。
各話のタイトルも非常に秀逸ですよね。「光」「アンモナイト」「夢」という言葉が非対称だけど対になる形で配置され、その中に1話だけ「女恋湖の人魚」なんていう怪奇探偵小説みたいなタイトルが並んでたら気になっちゃうに決まってますもん。

そして、本編は少年時代の出来事が、「ぼく」とかではなく大人になった「私」が一人称で回想する形で描かれていることで、よりいっそう先の展開が気になる作りになってるのも上手いですね。回想と現在が交差するクライマックスではやっぱりかなりジーンときちゃったし、うん、これまた傑作でしたよ。

一応短編集的な作りなので、以下で各話の感想も少しずつ。





「夏の光」

ニコイチ的な親友同士の利一と慎司が、宏樹と清隆の喧嘩を目撃することから彼らと親しくなっていく様を描いた第1話。いわばアンモナイツ結成編ですね。
子供の時の「こいつちょっとウゼェな」みたいなやつともなんだかんだ仲良くしたり、「こいつちょっと大人の世界の住人だな」みたいな子に一目置いたりする感じが絶妙。
あと、キュウリー夫人というばあちゃんのあだ名も絶妙。ザビエルとかキュウリ夫人とかって絶対イジられますもんね。
で、話としては宏樹の父親が、清隆が犬を殺した証拠となりそうな写真を撮って......という日常の謎。その写真の謎自体はいまいち面白くないんですけど、その事件から見えてくる清隆というクラスメイトの姿が非常に印象的に描かれ、花火などの「光」もまた印象的な、つかみはオッケーな第1話でした。
ちなみに、本作はカッパノベルス創刊50周年記念の『Anniversary 50』というアンソロジーに収録された作品だそうです。まぁ「50」というテーマへの絡め方に関してはあまり上手いとは思えませんが......。





「女恋湖の人魚」

この、昭和の怪奇探偵小説かモノクロのSF映画みたいなレトロ感のあるタイトルからして良いですよね。
内容は夏の怪談スペシャルみたいな感じで、普段は寡黙な教頭先生が突然人魚伝説について語り出すという異様さが怖いっす。そして、洞窟の冒険なんていう、ザ・少年時代な展開がもう最高。けっこう小学校中学年くらいまでってまだ半分くらいは怪異の存在を信じてるんですよね。そんなものいないことを頭では分かっていても、気持ちはついつい怖くなっちゃうというか......。そういう時期の彼らにとってこの冒険はとても恐ろしいもので、それが読んでるこっちにも伝わってくるので可愛さ半分のつられて怖さ半分くらいで読みました。
そして、ミステリ的な解決もまた別の意味で印象的。とあるキャラクターの言葉が刺さりました。この辺はなんか怪談番組の最後のエピソードだけちょっと泣ける話になってるみたいな雰囲気(?)。





「ウィ・ワァ・アンモナイツ」

嫌味な宏樹に腹を立てた3人が彼を騙すために偽アンモナイトを作るというお話。
個人的にあまりカタツムリって好きじゃないので、正直読んでてちょっとつらかったですが🐌、内容は面白かったです。
まずアンモナイト作り作戦自体がめちゃくちゃ楽しそうで、こういう遊びに全力を尽くせる年代の彼らへの羨望さえ感じます。
と同時に、ここに来て利一くんの中にほのかにあった女の子への関心(初恋、というのともきっとまた違う、自分と違うモノへの好奇心と畏怖のような)がメキメキと頭角を現してくるくるのも、もう一つの見どころでしょう。
なんだか分からない欲求とコントロールの効かない嫉妬......そういった描写が、私の場合は中学の頃でしたが自分の初恋的な何かに重なって刺さりました。

そして、物語は次のエピソード以降でだんだんシリアスさを増していきます。この話はそのちょうど過渡期のような感じで、みんなで遊ぶ楽しさの中にちょっとだけ翳りの見えてくる雰囲気がやっぱり好きですね。はい。





「冬の光」

この辺からはあんまあらすじも書くとネタバレになっちゃうからぼんやり書きますが、第1話と対になる、とある"冬の光"にまつわるお話。
グッとこれまでより深刻な雰囲気が出てくるものの、前話と同様にとある作戦を立てて目的を遂行しようとするあたりは子供らしい楽しさに満ちています。
この話の内容とは関係ないですが、私も子供の頃に友達と秘密基地を作ろうって言ってあれこれやったことがありました。けっこうそういうのって未だに思い出に残ってたりするもんですので、この作品で描かれるアンモナイト作りや×××の××探しなんかにはやはり強烈な懐かしさを感じてしまうのです。
そして、クライマックスのシーンは、静かな一瞬の出来事でありながらエモエモのエモでありまして、本書の中で描かれる"光"の中でも最も強烈に印象に残っています。
道尾秀介はよく「小説でしか出来ないことがしたい」と言いますが、このシーンなんかも現実的な光景を描いているようでいて、実際に見たらきっとここまで美しくはならなくて。想像力を使って見た光景だからこそ、印象に残る。そんな、道尾作品らしい名場面でもあると思います。





「アンモナイツ・アゲイン」

続きましてはアンモナイト作りの話と対になるタイトルのこちら。ただし、内容はわりとガラッと変わって、主人公たちにとっては非常にシリアスなお話になっています。
ここまで読んでくると、(ネタバレ→)序盤で「私たちは犯罪を犯そうとしていたのだ」みたいな予告が出てきても、「ゆうて別に誰にも迷惑のかからない軽犯罪とかなんでしょ」と思ってしまいましたが、まさかのガチに窃盗未遂と器物損壊という悪意のあるもので驚きました。
しかし、これまでは少年時代の楽しい面や暖かな懐かしさが描かれてきましたが、こういう過ちを犯してしまうこともまた少年。
読んでて1番しんどい話ではありますが、こういう感情を描いてくれるお話もまた本書には必要だったと思います。





「夢の入口と監禁」「夢の途中と脱出」

この2つの章で1話分の最終話となります。
本書のクライマックスだけあって、タイトル通り利一たちが監禁されるという大事件が起こります。
彼らが脱出のために弄する作戦は、とても分かりやすいといえば分かりやすいですが、少年探偵団的な趣があって良いですね。昭和な感じ。
そこに絡んでくるのが「夢」というテーマ。みんなで夢を語り合うシーン、小学生の頃から将来の夢の欄に「お金持ち」と書いていたノー・ドリームな私には眩しすぎたのでサングラスをかけて読みました。

そして、あんまり書けないけど最後の方の構成も見事。一気に物語がぐわーっと広がりつつ、広がりの果てもまた見えてしまっているようなところにはリアリティもあります。また、(ネタバレ→)巻頭に引用された『時間の光』という小説の作者が利一だと明かされる(勘のいい人は最初から気付きそうではありますが)ことで、「光」の印象が強烈に焼き付けられて本を閉じることができました。



ちなみに帯には仕掛けが云々と書かれていますが、ミステリ的などんでん返しとかではないのでそこは期待せず、少年たちが目にする光を一緒に見るつもりで読むと良いかと思います。

西澤保彦『腕貫探偵』読書感想文

はい、私的西澤保彦ブームなので、ついにこの今だと代表作というか一番メジャーであろう腕貫探偵シリーズに手を出しましたよ。

腕貫探偵 (実業之日本社文庫)

腕貫探偵 (実業之日本社文庫)


これ、読む前は表紙のイメージや売れてるらしいということだけで「どうせキャラ萌え系のほのぼのライトミステリやろ?」とかちょっと舐めてたけど、読んでみたらとっつきやすさの中にも西澤保彦らしさが全て詰まった、ファンも初心者も楽しめそうな作品でした。

まず意外だったのは、腕貫探偵のキャラが前面に押し出されてるわけじゃないこと。
第2弾からはちょっと前に出てきますが、この1作目では彼はほんとに狂言回しというか、推理する機構のようなものに過ぎない。
そして、その分それぞれの話が、ちゃんとそれぞれの主人公たちの物語になってるんですね。
また、探偵の設定が「その辺に突如現れるなんでも相談サービス」ってことで、持ち込まれる事件の幅も広い。
だからそれぞれの短編の作風も毎回変わって、殺人事件ものもあれば日常の謎風味のものもあり、シリアスなものもあればコミカルなものも、と、著者の作風の多彩さの見本市の様相を呈しています。
当然その結末も、イヤミス風のから優しいものまで、つまりはいわゆる黒西澤から白西澤まで様々。

いやぁ、一冊でこれだけ濃くて色とりどりの短編がいくつも読めるなら、そりゃあ売れなきゃ嘘でしょ、なんて思っちゃいましたよね。おすすめの一冊です。

では以下各話について少しずつ。





「腕貫探偵登場」

コンパ帰りに酔って変な駅から歩いて帰る羽目になった大学生。帰る途中のバス停で、同じアパートの先輩の死体を発見する。しかし、慌てて通報をして戻ると死体は消えていて、アパートに移動させられていて......。


記念すべき第1話は、大学生が主人公で、死体移動の謎が描かれる比較的オーソドックスな短編ミステリです。
大学時代の飲み会の帰りというのを懐かしく想いつつ、意想外のところから繰り出される真相には素直にあっと驚かされました。
メルカトル鮎並みに不親切な腕貫探偵による"謎解き"も面白く、こりゃなかなか拾い物かもな、と、しかしこの時はまだ軽い気持ちで思っていたのですが......。





「恋よりほかに死するものなし」

母が学生時代にすれ違いの悲恋に終わった恋人と再婚することになった。しかし、幸せ絶頂のはずの母はなぜか沈みがちに......。


西澤保彦らしいエモさとイヤさのある短編。
これで、「おっ、このシリーズなかなかヤバいのでは!」とずぼっとハマってしまいましたよ......。
途中で語られる母親の悲恋の物語がめちゃくちゃありがちなんだけどなんかエモくて、でも主人公の視点からは母が父以外の男とそんな......っていう居心地の悪さも分かるしで感情を振り回された後、あの結末ってのがさすがです。
また、そこに気付くためのちょっとした違和感の正体もミステリ的にお見事。サクッと読めて意外性も物語性も楽しめる一編でした。





「化かし合い、愛し合い」

二股をかけていた浮気男だったがひょんなことからバレてしまう。本命の女とよりを戻そうとした矢先、とある殺人事件に巻き込まれ......。


からの、またガラッと雰囲気が変わってプレイボーイの視点からのちょっぴりコミカルで、しかしそれ以上に反感の湧くお話(←)。二股の相談にクソ真面目な口調で答える腕貫さんに笑います。
金も女も簡単に手に入れれちゃう主人公に全く感情移入できないながらも、自分とは別世界のお話すぎて逆に面白く読めました。
なんといってもオチがいいですよね。いやもうミステリ部分なんかはどうでもいいけど、あのアリバイトリックのひっどい利用法といっそ清々しさすらある恐るべき結末。これはさすがに笑いました。







「喪失の扉」

定年退職した大学の事務員。自宅から20年前の学生証が大量に発見されるが、彼には身に覚えがなく......。


さらにガラッと作風を変えて、老年に差し掛かった主人公が記憶から抜け落ちた過去に向き合うというシリアスで内省的なお話。
なんせ大勢の学生の個人情報を盗んでおきながら記憶にもないということで、嫌でも悪い予感しか抱くことができずに常に不穏な空気が流れます。
そして真相はミステリとしての発想の飛躍を楽しみつつ、こういうライトなイヤミスのお手本みたいなダークな味わいが楽しめました。





「すべてひとりで死ぬ女」

公衆トイレで殺されていた作家。彼女は死の直前に、昼食のために入ったレストランで食事を摂らず不自然に退出していて......。


次作の『腕貫探偵、残業中』ではかなりがっつりとグルメ描写が入ってきますが、本書ではこれが唯一のグルメにじゅるっとしちゃうお話。
まぁとはいえそれはそれとして、殺人事件でありながら、被害者の生前のちょっと不思議な行動がクローズアップされることでやや日常の謎みたいな雰囲気もある、魅力的な謎の提示が良いですね。
ただ、真相は、仕方がないこととはいえややスッキリしないというか、推論としては面白い論理だけど気持ち的にはモヤっとするんですよね。まぁ、言いたいことはわかるけど......。やや消化不良。





スクランブル・カンパニィ」

身元がバレないように互いの部屋を使ってワンナイトラブを繰り返していたセクハラコンビ。その片割れの部屋で盗難事件が発生し......。


一見合コンの体をとった、セクハラコンビ vs 強い美女コンビというヤバそうな戦いになぜか巻き込まれてしまう体調不良の主人公くんが最高ですね。ラノベの主人公っぽくて。まぁラノベ読んだことないからイメージですけど。羨ましいですよね。
これも「化かし合い、愛し合い」と同様にミステリ部分よりもコメディとして面白いですね。まぁなんせ森奈津子シリーズとかやってるくらいだからこういう性にまつわるお笑い系のお話は得意とするところでしょうからね。





「明日を覗く窓」

とある老画家の展覧会の片付けにヘルプで参加することになった主人公。絵をそれぞれ対応する箱に入れるだけの簡単な仕事のはずが、箱が一個だけ余ってしまう。この箱に入るはずの絵の行方とは......?


最終話にして前に出てきたあるキャラクターの後日談にもなってて感慨深い一編。
ここまでの短編の中には嫌な後味のものもありましたが、この話は冒頭から優しいタッチの日常の謎です。
ミステリーとしてはどうしても自分がその場にいないといまいちピンとこないところがありますが、それはそれとして青春ものとしてちゃんとこうしてくれるところが本作の良さであり、西澤初心者に勧めやすさですよね。これは、ヒットしたのも分かるわ。

思い出のラーメン

お題「思い出の味」


突然の謎の投稿をごめんなさい。

フォロワーさんに「たまにはなんかエッセイでも書いてみたら」と言われ、「食べもの」というお題を出されたのですが、正直お題の範囲が広すぎるわとちょっとぷりぷり怒っていたところ、こちらの方のお題ルーレットにも「思い出の味」というのがあるのを見つけたので思い出の食べ物について書いてみます。
という内輪ノリによるブログなので、特に面白いことも深い意味も鋭いオチもなく、読んだところで得るものは何もない記事です。どうかこれを目にした方がいても、読まないようにお願いいたします。





さて、学生時代のことですが、私の通っていた大学の近く、八事の駅前にある「豚鯱」というラーメン屋さんによく部活の人たちと食べに行ってました。

初めて行ったのが正確にいつ、誰となのかは記憶にありませんが、たしかその当時仲の良かった、学年は1つ、年齢は4つくらい上の先輩に連れられてだったような気がします。
というのも、当時、田舎から名古屋に通っていた私はその人に連れられて色んなお店に行っていたから、そこもそうだったはずなのですね(尤も風俗にだけは誘われても「純潔は本当に好きな人に捧げたいですので」と言って断っていましたが)。

そこは駅前にありがちな幅が狭くて奥行きだけでなんとか成り立っている類の小さいお店でした。でもお客さんはわりといつも多かったので、店内で話し込んだりしようものなら「食べ終わったなら出てってもらえる?」と店主さんに追い出されるようなお店でした。
しかし、その味は無類で、こってりしたスープにチャーシューではなく焼いた豚肉と生卵が乗っていて、なぜかご飯が一緒についてくるという、ラーメンなんて一風堂スガキヤしか食べたことのなかった当時の私には衝撃的な内容だったのです。
私も今となっては肉そばという文化があることを知っていますが、何事も初めては実際以上に素晴らしく感じられるものでありまして、初めて食べた肉そばの味の虜になってしまったのでした。

それからというもの、そのお店には事あるごとに足を運ぶようになりました。

2年生の時には、昨年先輩に連れて行ってもらったのをなぞるように、はじめての後輩と一緒に行って、その後で近くのジャスコのフードコートで好きなAV女優の話やセルフフェラチオの可否、先輩の中でヤリたいのは誰かなどと、他愛のないエロ話に興じたり。

3年生の時には、わりと仲がいいと思っていた同い年の友達とその店に行く道すがら、「××くんって下の名前なんだっけ?」と3年目にして衝撃の知らんかったんかーいをぶちかまされた挙句、「そっちだって私の苗字知らないでしょ」と逆ギレされ(ちなみに知ってた)、普段より塩気の効いた肉そばをすするなどしたことも今となっては愉快な思い出であります。

そして、4年生になってからは、当時好きだった女の子を、他の人たちと抱き合わせで誘って行ったりしたような気がしなくもないけどその件については記憶があらかた抹消されているので詳細は不明であり......。

しかし、とにかく、あのお店はたしかに大学生の4年間を彩る思い出の味でした。



社会人1年生の終わり、人生で初めての彼女が出来て、先方もラーメンが好き......というかもはや共通の趣味がラーメンだけみたいな状況であったので、ちょっとドヤ顔で「俺の知ってる美味いラーメンの店に連れてってやるよ」と言ったら「ああ、あそこね、知ってる」と返されてすごく恥ずかしい思いをしましたが、ともあれこれは共通の話題だラッキーとばかりに行ってみたらなんと閉店していました。
味も良かったしお客さんも結構いたのになんでだろうと、今でも悔しく思います。むしろ、今こそデートで行きたいのに!と。


働き始めてから多少はお金も持てるようになって、それなりに食べたいものはいつでも食べられるようになったものの、潰れた店の味だけはもう二度と味わうことができない......。
そう考えると、今でもたまに、あの味が無性に懐かしくなっては、理不尽に喪ったものの大きさに呆然とすることがあります。
そして、その度に思い出は膨れ上がっては美しくなって、きっともはや実際以上に美味しいあの肉そばの味が、私の脳裏と舌に何度も何度もフラッシュバックするのです。

しかし、あのお店はたしかにあの頃の私の青春の象徴の1つでした。あの味との再会は叶わぬにしても、最後にここで一言だけ言わせてください。

青春の思い出を、ありがとう。