偽物の映画館

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深緑野分『オーブランの少女』読書感想文

ミステリーズ!新人賞に入選した表題作をはじめ、「少女」をモチーフにした五つの物語を集めたデビュー短編集です。

オーブランの少女 (創元推理文庫)

オーブランの少女 (創元推理文庫)


まず全体の感想を一言で言うなら、バリエーションはんぱない!
表題作は「エコール」風の美しい庭園と少女たちの残酷な物語。続いて、霧の街ロンドンが舞台のサスペンス、寂れた食堂での会話劇、昭和の女学生の百合、そして架空の氷の国を舞台にしたファンタジックなロジックミステリと、各話の内容を一言で紹介しただけでもお腹いっぱいになるくらいのバリエーションよ。
なんとこれがデビュー作。知ってて読んでも「実はどっかの大御所の変名では?」と思っちゃうほどの器用さですよね。
もちろん、各話のクオリティも凄いからこそそう思うわけで......。それぞれの話に物語好きの心をくすぐるモチーフを各種取り揃え、それぞれ映像が頭に浮かぶような明快な文章でありながら、映像の感じはそれぞれガラッと違うっていう......。
そして、「少女」というコンセプトの扱いも素敵ですね。「少女」というものが持つ儚い美しさや、不気味なミステリアスさ、その奥にある存在の悲しさまでも......なんて、少女を過剰に神聖視してしまうのは私が少女未経験者だからかもしれませんが、とにかく時に儚く時に謎めいた彼女たちの姿が各話で印象的な余韻として残るわけですね。上手い。

てわけで、もうね、これがデビュー作なんて反則ですよ。レッドカード即退場ですよこんなもん。草野球にメジャーリーガーが来たと思ったら近所のおっちゃんだったみたいなもんですよ(わけわからん)。
とまれ、サッカーも野球もあんま知らないのにわけわからん下手な喩えを繰り出してしまうくらい、衝撃だったわけです!天才を見つけた!エウレカ

というわけで、以下では各話のネタバレなしの感想と、その下にはネタバレありのもね、ちょっとずつ書きますよ!



〜ネタバレなし編〜



「オーブランの少女」

老婆が老婆を惨殺するという凄惨な事件が起きたオーブランの庭。殺された老婆の妹の日記には、オーブランに集められた少女たちにまつわる恐るべき出来事が記されていて......。


冒頭、語り手の「私」が遭遇する凄惨な事件からの幕開けに、驚かされるとともに引き込まれました。なんせ状況がもはやミステリというよりホラーでしかない......。こんなセンセーショナルな事件には、不謹慎ながら好奇心が湧かずにはいられないですよね......。
で、「私」が入手した日記を再構成したものとして、本編が始まるという枠物語の構成がミステリファンをわくわくさせます。

さて、本編はというと、もう雰囲気がバリバリですわ。サナトリウムものにして、『エコール』みたいな寄宿学校ものっぽさもあり、さらには終盤で××ものに変わるという、「〜もの」のお祭り状態。基本的に「〜もの」なんて括られるようなモチーフはそれなりに物語ファンの間で人気がある証拠ですからね。それらがこうも集められたら雰囲気むんむんで堪らんすよそりゃあ。
最初のうちは、この雰囲気に思いっきり酔いしれます。なんせ、咲き乱れる花と、病を持つ少女たち。どちらも、今は美しくとも、いずら枯れる予感を抱いた儚い存在。かりそめの楽園のようなオーブランの庭に実は山積みになっている不穏な謎が悲しい結末を予感させます。
......とはいえ、後半の謎解きパートになると思いもよらぬ展開に唖然。さっき「悲しい結末を予感」と言った時に想像していたのとは全然違う方向からの"真相"に頭をガツンとやられます。ここにきて楽園は崩壊し、後に残るのは×××(伏せ字の文字数はテキトー)に課せられた重い運命へのつらみ......。そして、人間が壊れていくことの不可逆さへのつらみ......。その先も全て分かった上であそこで終わるのがなんとも心憎い、物語としてもミステリとしても優れた傑作です。





「仮面」

霧に煙る街、ロンドン。独身で、生きる意味を見出せずにいる貧乏医師は、とある少女たちと出会い、彼女らの雇い主のマダム暗殺に手を貸すことになり......。


ところ変わって舞台は霧のロンドン。詳しくないですが、ホームズ先生とかがいそうな時代ですよねきっと。
まず、冒頭で突然主人公が奥さんを殺すのにびっくり。殺人のシーンからはじまり、どのようにしてそこに至ったかを回想の形で描いていく物語です。
主人公の医師の世を捨てたような姿がまずは印象的で、そこがリアルに描かれているので踊り子の少女にいとも簡単に夢中になってしまうのもすんなり納得できました。それだけに、主人公があっさり転落していってしまうのに悲しい気持ちになります。孤独というのは人をここまで弱くするんですね......。
そうこうするうちに主人公に降りかかる苦難と真相についてはなんとなーくは読めてしまうものの、そこから見えてくる表題作とはまた違った少女の姿が印象的でした。
また、説明しすぎないどころか一番気になるところをまるっきりぶん投げる結末も見事。あえて説明しないことで想像が膨らむと同時にこの短編自体が大長編のうちのほんのワンシーンであるかのような物語の広がりを感じさせます。





「大雨とトマト」

大雨の日に、寂れた安食堂をわざわざ訪れた1人の少女。店主は、妙なことを言う彼女の正体に思い当たり、内心戦々恐々とするが、少女はそんな彼の心中も知らずトマトを食べまくる🍅

お話としてとにかく濃い作品が集まった本書の中で、本作は掌編に毛が生えたくらいの短さの人が死なないミステリーってやつで、ちょうど真ん中の3編目に位置していることからも箸休め的な気持ちで楽しめました。
とはいえやってることはやっぱり面白いですね。
どこかの国の、町から外れたところにある安食堂。大雨の日にわざわざやってくる怪しい常連と謎めいた少女......。日常のようでいてちょっと非日常の光景の味わい深さがまずは素敵。
傍目には、食堂をやってる夫婦がいて、飯を食ってる客が2人いるだけの何気ない光景。だけど、外に降りしきる大雨のように、店主の心もまたざわざわと不穏に荒れている。平静を装いながらあれこれ考える彼の姿が滑稽ながら(特に男には)どこか共感できちゃうっていうキャラ造形が上手いです。
真相に関しては薄々方向性は読めちゃうものの、たった一つの勘違いから全てが思っていたことの逆を行くような構成が面白く、知ってから読み返すと「なんでさっきまであんな風に読んでいたんだろう」と思わされるような繊細微妙な書き方の巧妙さにも舌を巻きます。
たしかに箸休め的な小品ではありながら、だからこそ新人離れした筆力がモロに出ちゃってる味わい深い作品でもありました。





「片想い」

女学校の寮の同じ部屋に暮らす、活発な少女と可憐なお嬢様気質の少女。2人は性格が正反対ゆえにむしろ気が合って仲良くしていたが、やがてお嬢様の方に片想いする少女が現れると......。


という感じで、なんとも百合ってる女学生モノ。これははっきり日本が舞台ですが、明治から昭和初期くらいの雰囲気だから本書の他の収録作と同じようにどこか浮世離れした雰囲気はしっかり味わえます。
そして、少女たちの間で流行のエス(シスターの略で姉妹のように親しいペアになることを言うらしい。今で言うニコイチの重い版的な?)という関係性に萌えます。
私は百合に対しては干し芋と一緒で「あれば食う」くらいのスタンスではありますが、干し芋と同じように百合も食べればとっても美味しくてまた食べたくなっちゃうものでして......。そんなにわか百合好きがあーだこーだ言うと専門家の方には怒られるかも知れませんが、この女の子同士の恋愛とまで行かないけどそれに近い特別な感情というのが、それ自体きっと大人になればなくなっていくもので、だからこそ儚く美しく感じられました。
百合の話は置いといても、主役2人のキャラのギャップはふつうに面白いし、天然少女は可愛いし、とか言って萌えきゅんしてるところへ意外な真相が来るのも良いし、真相が明かされることで結局さらなる萌えきゅんを生むのも完璧!
傑作揃いの本書の短編たちに甲乙はつけ難いですが、雰囲気に関して言えば本作が一歩抜き出て偏愛枠、といったところでしょうか。





「氷の皇国」

氷に閉ざされた大陸の漁村に流れ着いた、死後相当経過しているらしい首無し死体。吟遊詩人は死体に心当たりがあると言い、数十年前に滅んだユヌースクという国の物語を語り出す。
それは、残忍な皇帝が統べる国でとある少女に身に起きた悲劇の物語で......。


本書の収録作はどれも、舞台となる国がはっきりした作品でさえもどこかファンタジーめいた印象がありましたが、最終話の本作はそのまま架空の国のお話。100ページ近い中編並みの分量の(短編にしては)大作です。
序盤は枠部分の話や世界観の説明などでやや退屈ですが、本題に入ってからはべらぼうに面白くて一気に読書速度がギアチェンジしましたね。もうね、皇帝が絵に描いたような独裁者で、気に食わなければみんな死刑!こいつの酷薄さと氷の国の寒さのせいで、常に灰色のどんよりとしたイメージで読み進めることになります。
で、そこに主人公の親友の父親が作る美しいガラス細工の色彩が映えるのが見事。本書を読んでいて全体に映像的に想像しやすい印象はありましたが、それが際立つのが表題作と本作。表題作では美しい庭園の風景の中に凄惨な光景が現れるのに対し、本作ではモノトーンの風景に美しい色彩が映えるという対照的な映像なのが面白いですね。
もちろん、ミステリーとしても工夫が凝らされています。
実は真相はある程度話が進めば読者には丸わかりなのですが、問題はその解決にあり。詳しくは書けませんが、暴君である皇帝が唯一の法律であるこの世界で、論理的な解決というものは本来無効なもの。それをどうミステリとして落とすかというのが見どころでありまして......。ここの落としどころが......うう......はい......これ以上は読んでもらうしかないわけですが、巧いんです。
そして、表題作と対応するかのように、長い年月の余韻を残して終わるのも印象的。各話がバリエーション豊かでありながら1話目と最終話がほのか〜に対応関係にあることで一冊としてのまとまりもよく、短編としても短編集のトリとしても素晴らしい傑作でした。












〜ネタバレあり編〜

「オーブランの少女」

浮世離れしてファンタジックな雰囲気すらある閉ざされた少女空間のお話と思っていたら、まさかのホロコーストものに繋がってしまうのにはさすがに度肝を抜かれました。
そこまでは幻想的な儚さや不穏さを纏っていた物語が、ここに来て一気に現実に起きた悲惨な事件としてのシリアスさにガラッと転調しちゃう構成は見事で、そこからしかし社会派ではなく狂った先生によるホラーサスペンス風味のクライマックスになるのもまた軽い転調で面白いですね。
そして、現実から遊離したような幻想的な前半に対して、現実に起きた戦争を仕掛けとして持ってくるところの対比も鮮やか。一気に現実に引きずり戻されてはっとさせられるとともに、落差でより儚さも際立ちます。
最後もばっちしですやんね。こう、2人の少女がもう人としてどこか壊れてしまいながらもこれから先2人で生きていこうという前向きと取れなくもない終わり方......だけど、彼女らの凄惨な最期を我々はもう知ってしまっている。そして地下に閉じ込められた彼女もまた戦争に狂わされあんな目に遭うなんてあまりに......と、全方向に向かって、ここまで読んで感じていた「儚い」とか「切ない」よりもさらに強い絶望的な余韻が残ります。うえっ。





「仮面」

仮面というタイトルでありながら仮面を付けた人物がかなり脇役くさいところから、こいつはレッドへリングっちゅうやつで、実は少女たちが「少女」という仮面を付けていたってオチやろな......と思っていたらなんとなくは当たりました。
ただ、それはそれとして、お話の作り方がすごいです。最後の事情を知る仮面の女と影の主人公たる少女との会話。少女があんな考え方に至るまでにはきっと長編1本分くらいの物語があり、彼女のこれからも長編シリーズ3作品分くらいの物語は紡げそうな、そういう過去と未来への広がりを数十ページに収めてしまう贅沢さ。表題作も枠物語の体裁を取ることで長い年月を作中に封じ込めて長編のような満腹感を出していましたが、こちらもまたちょっと違う形で同じように満腹感を演出してる、お見事ですよね。





「大雨とトマト」

大雨という状況設定の中で、雨音に紛れて「この子の」という一言が聞こえなかった......たったそれだけの事実から、「自分が一夜のアヤマチで作ってしまった娘」だと思ってたのが「お腹に子供のいる母親」にガラッと反転する。......ようでいて、よく考えると結局「娘」ってとこには変わりないってのが滑稽で面白いですね。
読み返すとお互いにアンジャッシュみたいに会話がすれ違ってたりするのも笑えます。
ラストで黒幕(?)と見抜く者が会話するシーンはそのまま「仮面」と一緒やーんってなってそこも面白い。こういうシチュエーション好きなのが伝わってきます。いいですよね、主人公の知らないところで交わされる真相の会話って。





「片想い」

ミステリーとしてはなんとなーく読めてしまいます。最初は環さんが援交でもしてるんじゃないかみたいな方向に考えてましたが、名前のヒントとかがわりと露骨なので......。
ただ、お話は良い!「エモい」という言葉ってこういうことなんですよね。岩様が大見得を切るシーンもすごくいいし、ラストシーンの、なんかこう等身大に戻った感と「俺たちの戦いはこれからだぜ」感が素晴らしいです。「鯵に違いないわ」は名言すぎる......。
正直、ただただ良いので言葉で感想にするのは難しいです。だから「エモい」の一言で済ませるという怠惰をお許しください......。





「氷の皇国」

本書のこれまでの話は分かりやすい謎→解決の構図ではなかったですが、本作は殺人事件が起きて論理的に解決するというわりかしオーソドックスなミステリの形を取っています。
ただし、この皇国は、「論理的な解決」というミステリにおける大前提がまるっきり必要とされない世界。その中で、皇帝の機嫌をひどく損ねることなくかろうじて取れる妥協点を探す......という、あまりに消極的な謎解きに泣けます......。
「名探偵みなを集めて」どころか、皇帝が全国民を集めた集会みたいなもんで失敗すれば即首を斬られる(物理)なので解決編としての迫力がダンチですね!
まぁこの場面に関しては正直探偵役の登場が突然すぎてそこで物語の雰囲気がちょっと変わってしまったのに戸惑いを覚えもしましたがけどね......急にミステリ感強めてきたな?みたいな......。
15ページほどに渡る論理的推理はまぁベタといえばベタですが、きちっきちっとこれがこうでこうと分かりやすく説明してくれるので面白かったです(ミステリ読者とは思えぬ雑な感想)。しかし、せっかくロジックをこねてきたのに最後で無理やり犯人の正体を捻じ曲げるところが残酷......。結果として、エルダは老婆になるまで生きられたわけですが、その長い人生に陰を落とす後悔と悲しみ......それが静かに伝わってくるラストシーンがなにより印象的でした。
ところで、結局あの吟遊詩人は何者だったんでしょう。なんかヒントありましたっけ。ふつうに事情通のただの吟遊詩人?再読が必要ですね。

indigo la End『PULSATE』の感想だよ

はい、出ましたインディゴ感想シリーズ。
一年ぶりのアルバム、というか一年ごとに両方のバンドでアルバム出しつつ余技的バンドを増やしつつドラマにまで出たりM1の優勝予想したりラジオやったり休日課長や米津玄師らと毎日飲み歩いたりしてる川谷絵音。そのうち星野源みたいに倒れないか心配。

さて、今回のアルバムですが、うん、一言で言うと、おしゃれです。


PULSATE(通常盤)

PULSATE(通常盤)


もともとジャンルの枠に囚われるバンドではありませんでしたが、ついに完全に「ロックバンド」って感じではなくなりましたね。今作では弦楽器やピアノの音も目立ち、ジャンル分けするならR&Bやファンクの要素が濃いです......ってまぁジャンル名とか分かんないから他の人の受け売りですけどね!()

一方歌詞に関しても、「恋」「命」というテーマは今までの流れを汲みつつ、フィクション的な曲と私小説的な曲がくっきり分かれています。
というのも、詳しくはそれぞれの曲の感想に書きますが、今作では恋愛系の曲はほぼ女性目線で書かれているので作者の顔が見えづらく、完全なフィクションとして聴けるようになっているんですね。
一方で、アルバムの要所要所に挟まれている非・恋愛モノの曲では、作者本人の語りという雰囲気がより濃くなり、特にラストの曲「1988」は完全に「川谷絵音の独白」になっています。
こうした、物語の合間合間に作者の独白が入ってくるような構成が、通して聞いた時にメリハリを付けていると思います。
一方で、『幸せが溢れたら』のような統一コンセプトや、『Crying End Roll』のような整理整頓されたような綺麗な曲順ではないので、分かりやすいアルバムらしさは薄く、どちらかといえばプレイリストのような雰囲気も漂います。


まぁとにかく、音はよりおしゃれに、そして歌詞もこれまで語ってきたことの流れの中にありながらより洗練され、客観的に見ても最高傑作と言えるのではないでしょうか。毎度最高傑作を更新してくるのすげえ!

というわけで、以下それぞれの曲について書きます。
ではでは。




1.蒼糸

これまでアルバムの一曲目は疾走感のある王道ロックみたいな曲ばかりだった気がしますが、今回は弦楽器も入ったゆったりおしゃれなミドルナンバーなのでびっくりしました。どんどんおしゃれミュージックになっていきますね。けっ、おしゃれかよ!(語彙力)

タイトルの読み方は「あおいと」だそうです。ずっと「そうし」だと思ってました。
インディゴらしく赤い糸ではなく蒼い糸。
その正体は、「膨らんだストーリー 起承転結3文字目半の糸」とあるように、結の部首......「起、承、転、(コレ→)結」のことでしょう。川谷絵音がこういう言葉遊びを、しかもindigo la Endの方でやるというのは意外ですが、これが後で効いてきます。
歌詞を読んでいくと、いつもながらにブルーな、否インディゴブルーな切なさをまとってはいるものの、どうも失恋の曲ではないような、少なくともそうは言い切れないような雰囲気がありますね。

幸せか普通かわからない
普通か不幸かもわからない
でも両方あなたがいるなら
糸は吉に絡まるから

「糸」が「吉」に絡まる=「結」とのことですが、この「結」という文字は如何様にも解釈できるのがミソですね。これが失恋の歌ならば「結」とは気持ちの整理をつけて恋を完結させること。
しかしこれが失恋の歌ではないのなら、上手く行っていながらもどこかに残る不安の方に「結」をつけるということかも。もしくは「結」は結婚の「結」とも取れます。
ともあれ、ここの歌詞にあるように曲自体もハッピーかアンハッピーか分かんないですね。その時の自分の気分を反映できてどっちの時でも聴けるズルい曲です。

私のお気に入りフレーズは

大なり小なり誰もが間違う
経験とともに恋が下手になる
一番下手になった時こそ
本当に誰か好きになる

というとこ。それな、という感じ。





2.煙恋

読みは「けむりごい」。
「冬夜のマジック」e.pのカップリングの「夕恋」に連なる「恋シリーズ」だとえのぴょんが言ってました(夕恋は「ゆうれん」って読んでたけど、「ゆうごい」なのかな)。

煙草の煙に託して恋を歌った曲。
「蒼糸」では「経験とともに恋が下手になる」と歌われていましたが、この曲はまさにそんな主人公の歌ですね。
サビの静かに畳み掛けるような「愛されて惹かれて比べて疲れて振られて慣れた」というファルセットが印象的で、上手く行かない恋の経験の積み重ねから漂う諦念のようなものが現れています。この曲全体を覆っているのがこの諦念、気だるさ、しかしその裏に隠れた「混じり気のない気持ち」の熱さ。
そうした感情を表すように、前の曲に続いて弦楽器も入れつつ、R&Bなサウンドが、歌詞にとても合っていて、音・詞ともに気怠い美しさがステキな曲です。

この曲で特に気に入ったのは

暗い過去があってよかった 話題に困らない方でよかった

というフレーズ。それな、という感じ。




3.ハルの言う通り

昨年の夏に前のアルバム『Crying End Roll』がリリースされ、冬にはその流れを感じるシングル「冬夜のマジック」がリリースされました。
そして、今年に入って春に先行リリースされたのがこの曲。サウンド的にはギターもベースも音はしてるけどあまり目立たず、なんだか遠くで弾いているような聞き心地で、気怠さと切なさを感じさせますね。しかしその分ドラムははっきりと早めのテンポで打ち鳴らされていて、歌詞にあるように荒地を吹いて消えてく風みたいな印象がある音の曲です。

このアルバム中での曲順こそバラバラなものの、歌詞は(そしてタイトルも)「冬夜のマジック」で描かれた「冬」の後にある「春」という気がします。続編とまでは言わないけど、それに近い感じの。
ざっくり言うと、「冬夜のマジック」的な冬季限定の熱恋が終わったものの、それを引きずって春に進めない女性の歌。
この曲も具体的な描写はほぼないですね。

「バイバイ熱恋よ バイバイ熱恋よ」
からはじまるサビの、静かに畳み掛けるような早口がめちゃくちゃクセになります。
この人の歌はそもそもクセになりやすいけど、この語感の気持ち良さはその中でも屈指。それにしても、「恋傀儡」という言葉が最初なんて言ってるのか分からなすぎて勝手に「ためらうことなく回鍋肉〜♪」と買い物中の主婦みたいな詞に変えて歌ってたのはナイショ。しかし、言われてみれば、恋する気持ちって恋傀儡ですよね。恋傀儡わかる。語感が良いから言いたくなる恋傀儡。

待ち人から奪われないように祈ったのに

の、「待ち人」というワードチョイスのセンスもさすがですね。敵が待ち人ならもうどうしようもないという切なさと、自分は待ち人じゃないという切なさが、、、それな、という感じ。

そして、サビ終わりと、ラスサビ前、最後の最後が、それぞれこんな感じ。

何も言えずのままが美しいって
そればかり 思っていた春

手紙みたいな感情のダダ漏れ
落ちて流れて争って
結果何か寂しくなった
美は仇となり 溢れ返った

何も言えずのままが詞になって
結局傷付けると思うのは勘違いなの?

何も言えずのままが美しいと思ってたらそれが仇となり溢れかえって詞になって結局傷つける......という、失恋の体験を歌詞にして商売にしてるミュージシャンならではの表現が新鮮です。まぁしかし私も何も言えずのままがTweetになって結局傷つけたいタイプの人間なので、そういう点では現代人にとっては普遍的な感覚でもあるかもですね。「勘違いなの?」というところに、勘違いであって欲しくない、傷付けたい、というニュアンスがあるような気がしなくもなく......。
恋心ってフクザツですね......。

あ、全体にギターの音が目立たない曲ではありますが、アウトロでぎゃんぎゃん言ってるのがカッコいいです。




4.Play Back End Roll

ゆったりとしたバラード曲で、「ハルの言う通り」の激しく荒涼感の強いギターアウトロの後だと余計にほわんほわんほわんほわん(擬音)というこの曲のイントロが暖かく優しく響きます。

しかし歌詞の入りは「罪が消えてゆく」となんだか重たそうな感じ。そのイメージの通り、これまでの3曲でそれぞれひとりの主人公視点で歌ってきた"恋愛と失恋"からの流れで、一人称を使わず作者のモノローグのようなニュアンスで"恋と人生"にまで視点を敷衍した一曲です。

これまでの自分の人生のキャストたちをエンドロールにクレジットして何度も思い返すという意味のタイトル。
歌詞を要約するなら(歌詞を要約とはなんて無粋な)、恋と失恋を繰り返してきた男が恋愛の難しさを嘆きつつも人生の伴侶を探すことを諦められないというか、探さざるを得ないと諦めているというか、ゆるく決意しているというか、そんな歌ですね。
「男」と書いたのは何も女性を軽視しているわけではなく私が男だからで、つまりは「これは私の歌だ!」と思えてしまうくらいにわかりみが深いんですよね。
わかりみが深いとは言いながら、解釈しきれない余白が残ってそれを分かりたくて何度も聴いてしまうけど全ては理解しきれないのもこの人の歌詞に特有の魅力です。大好きな川谷えのぴょんのことを全て知りたいけど、ほんとに全て分かってしまえば魅力は失われてしまいますからね。




5.星になった心臓

音はこのアルバムでダントツに好きですこれ!最初はなんかちょっとスピッツっぽいなと思ったんですよね。イントロのギターの音色とかかな。でも一番が終わると急に謎の展開を見せるあたりは思っくそ川谷絵音の手癖全開で笑いました。「ん??どした??」という感じ。
さらにラスサビ前の間奏も凄く綺麗で、常連のコーラス隊の2人の弾むような、でも切ないふふふんが良いですね。まさに星が降るような美しさ。
イントロとアウトロが鏡写しになっているのも綺麗ですね。

で、音はって言ったけど歌詞ももちろん良いです。
ただかなり抽象性が高いのではっきりと何の話かは分かんないんですが()、たぶん「死」「孤高」「生きる意味」といった内容だと思いますね。
星というのは孤高の存在、上の方で輝いているもの、誰かを照らし温めるもの、そうしたイメージが語られ、漠然と「星になってみたいんだ」と歌われる。そして、「星になれたら あなたの心臓になって輝くよ」という。なんとなく、この「あなた」はこの世の人ではないような、もしくは神様とかそういう漠然とした存在?という気もします。
なんとも捉えどころがないですが、それもまた歌詞を聴く魅力のうち、と読解力の無さを誤魔化しておきましょう。
あと、あんまり作品と作者をそのままイコールで結びたくはないのですが、ABの歌詞なんか騒動後の川谷絵音という人を思わせるところがあり、むしろ彼のドキュメンタリーとして読むのが一番分かりやすく解釈できる気もします......。




6.雫に恋して(Remix by HVNS)

この曲のオリジナルについてはいずれ書くであろう『藍色ミュージック』の感想で触れたいと思うのでさらっといきます。
リミックスということでどうなるかと期待していましたが、こうなるか。
原曲の歌謡曲感バリバリな感じとは一転、音楽を聴いているのに静寂を感じるような、それでいてエモいアレンジになってて驚きました。「星になった心臓」がアルバムの中でも特異な曲だったので、そこから次に繋ぐ橋渡しとしてもちょうど良いですね。
といっても休憩タイムというわけではなく、夢の中で溺れるような不思議な聴き心地が気持ちいい、カッコいいリミックスです。




7.冬夜のマジック

おしゃれミュージック全開の本作にあって唯一普通にロックバンド感の強い曲がこちら。配信シングルとして出ただけあってかキャッチーですが、構成はなかなか一筋縄ではいきません。
冒頭で、

冬夜の魔法が解けるまで あなたを奪いたい

と美しい女性の声で歌われます。この部分はDADARAYのREISさんがゲストボーカルとして参加されているそう。
そして、この一瞬の女性視点パートの後、川谷絵音が登場して、男視点の歌詞を歌い上げていきます。

まず先に言わせてほしいのですが、最初の方の歌詞の「スピッツ スピッツ」という部分にはびっくりしながら笑いました。正確には「どっひゃああぁぁぁ今こいつスピッツゆうたぞ!?おいみんなこいつスピッツってゆったぞ!!」となりました。そりゃindigo la Endというバンド名がスピッツから取られてるくらい川谷絵音スピッツファンなのは知ってましたけど、そして文脈的にあのバンドのスピッツのことではないにしろ、しかし歌詞に「スピッツ」って入れるなんて!

で、他のバンドの話題が出たついでに言わせてもらいますが、この曲のサビが最後の最後まで温存される変わった構成は、サカナクションの「夜の踊り子」のオマージュだってえのぴょんインタビューで言ってました。どっひゃああぁぁぁ今こいつサカナクションってゆったぞ!!?という感じ。たしかに私も「夜の踊り子」を初めて聞いた時はあの構成に衝撃を受けましたからね。やりたくなるのは分かるけど。

それにしてもスピッツサカナクション両方へ同時にオマージュを捧げながら、indigo la Endの過去作「夏夜のマジック」(あと地味に「さよならベル」も)もセルフで借りてきてるこの曲は、スピッツサカナクション川谷絵音の大ファンの私としては一挙三得で、大好きな曲になりました。

で、そろそろ歌詞の内容に入りますが、「冬夜のマジック」というのはもちろん恋のマジックのことなわけですが、そんな魔法の渦中にいながら春になれば魔法が解けることも確信してしまっているというつらい歌です。
それが、別の言い方ではゼロから100という風にも描かれていて、余談ですがこれもスピッツの「みなと」という曲にも出てくるしサカナクションもいつかのライブでテーマとして掲げていたワードです......というのはまぁさすがに狙ってるわけでもないだろうし置いといて、、、

時間と時間が口説き合って
ゼロになるところを恋と呼んだ
100まで一緒にいませんか?

お互いの過ごしてきた時間、つまりはこれまでの人生があった上で出会って、新しくゼロから2人の時間を刻み始めるのが恋というもの......。素敵じゃないですか?さすがは恋の伝道師川谷絵音
しかし、「蒼糸」でも「経験とともに恋が下手になる」とあるように、恋というのは経験するほど別れを知り終わりの予感が強くなるもの。サビ前では君への熱烈な思いと、それと表裏一体の終わりの予感を繊細に歌い、「夜の踊り子」式に焦らした末のサビで

もうすぐ もうすぐ もうすぐ もうそこに
君がいない飾り付けた部屋が
当たり前に寒くなくてさ

と、鮮烈に少し先の未来を描き出します。もちろん得意の裏声で。
この人の失恋ソングはもちろんどれも切ないんですけど、この曲はいわばビフォア失恋ソングで、焦らすことでサビに切なさを凝縮させてぶっ放すというエグい技を使った、インディゴラブソングの新たな金字塔となる曲ではないでしょうか。




8.Unpublished manuscript

「冬夜のマジック」の最後のギターの音の余韻を引き継ぎながら、静かなギターの音で始まるこの曲。
ラブソングの金字塔に続いて命の歌の金字塔をと言わんばかりに、7分超の大長編の命の歌になっています。

見えないことが 実は見えてる
ズルいよ神様
僕にも見せてよ 命の項目だけでも

と、神様に向かって未来を教えてくれと懇願する歌になっています。
タイトルのUnpublished manuscriptは「未刊の文書」「未発表原稿」といった意味合い。
タイトルの意味は、神様だけが読むことが出来て人間には発表されていない"運命"という名の原稿......というところでしょうか。もしくは、この曲自体が川谷絵音自身の心の中の独白であり未発表原稿のようなものだという意味か......。
でも、サビで「Unpublished manuscript......」と渇望するように繰り返していることから、前者の方が自然には思えます。
7分超の大作ですが、ゲスで同じく大作の「いけないダンスダンスダンス」のような展開の広がりはなく、AメロBメロサビ......みたいなわりとシンプルな作りになっていて、しかしその分歌詞の切実さが際立っています。
「神様」とは言っていますが、具体的に神様の存在を信じて直訴してるというよりも、なにかこう行き場のない憤りや悲しみを神への祈りという形で言わずにいられない、というようなニュアンス。それも歌詞の切実さに拍車をかけます。さらに、終始静かに展開していた曲が、終盤ではボーカルとコーラスとを交えて畳み掛けるように訴えかけギターもまた叫ぶように鳴り出し......というエモーショナルな終わり方を迎える、これも切実感。
要は、そういった歌詞やサウンドや歌の切実さが印象的でついつい何度も聞いてしまう、その点やはりゲスとは違ったindigoらしい大作です。




9.魅せ者

一方こちらは、ギターのカッティングと波のようにうねうね動くベースが印象的なイントロで、思わず「ゲスやん」と思っちゃうような、ファンクな一曲です。やっぱベースとドラムが上手いとどんなジャンルでもこなせちゃうんですね。すげえ。

ただ、音はゲス寄りでも歌詞は女性視点の失恋ソングというインディゴの王道。
(たぶん)年上の「兄がいたらこんな感じ」と思うような男に「魅せるだけ魅せ」られながりも、きっと向こうも妹みたいにしか思ってないから「程よい距離で届かない」わ......っていう、誰にも知られない自分の中だけの失恋を描いた切なすぎる青春ラブソングです。
このへん、スピッツの「仲良し」という名曲のちょっとだけ大人になったバージョンという雰囲気もありますね。スピッツ厨はそう思うよ。

何とかなった想像をしてみるけれど
あなたじゃない あなたじゃない

というサビがキラーフレーズ。恋することと付き合うことはまた別で、めちゃくちゃ好きなんだけどあの娘と付き合ってるところ想像できひんわーっていう恋が私にもありました......。なんやねん!魅せるだけ魅せといて!という気持ちもすごくわかりみ......。
最後の大サビの

さようなら束の間の淡い淡い 私だけの話
恋なんてこれくらいのことしか書けません
最後まで読んでくれてありがとう

というところで、ちょっとメタ的というか、これがこの歌の主人公によって書かれたものだという視点が出てきます。
辻真先の小説で、「誰にもバレない犯罪が完全犯罪なら、誰にもその気持ちの存在を知られていない恋は完全恋愛と呼べるのではないか」みたいなやつがありましたが、この主人公の恋も、知られていない、知られてはならない恋でした。しかし、殺人鬼が現場に自分のマークを残すように、知られてはならない完全恋愛も、誰かに知ってほしいという気持ちが絶対に生まれてしまい、それが綻びの元となるわけです。だから、この主人公はこうして言葉にして我々に読んでもらうことで気持ちに整理をつけようとしたのでしょう。
私がこの曲を聴いたことで彼女の不完全な完全恋愛が少しでも報われますように......。

そして、リズムが伸縮するようなカオティックなアウトロがけっこう長いこと演奏されて頭がぐわんぐわんしてきたところで......




10.プレイバック(Remix by Metome)

......この曲の静寂なイントロに入るわけです。
前のアルバム『Crying End Roll』の収録曲のリミックス。
歌詞など原曲についてのことは前作の感想に書いたので割愛しますが、リミックス版もまぁ素敵ですこと。
こういう音楽にまるっきり疎いので、「〜っぽい」とか、「〜の要素を取り入れた」とか言えないしMetomeさんも誰か知らないのでほんとに書くことないですが、静謐で原曲以上に憂いを増した音がこのアルバムにぴったりです。
前作では3部構成のうちの第3部の1曲目として、再びアルバム全体の最初に戻るかのような効果を出していましたが、本作では最後から2番目の曲ということで、ここまでのアルバム全体のことをもう一度だけプレイバックさせるような、例えるならロックのアルバムでよくある「Reprise」というやつに(前作の曲の繰り返しという意味でも)近い効果を生んでいると思います。
前の曲がサウンドは賑やかで、最後の曲はしっとりバラードなので、そのつなぎという意味でもいい感じ。




11.1988

静かなピアノの音からはじまり、ゆったりとしたベース、ドラムに乗せて歌っていくしっとりしたバラード調の曲。
1988年は、川谷絵音の生まれ年で、彼には珍しく自分の歌を作ってみた様子。
川谷絵音は本作のインタビューで、「自分には"業"がなくて、なに不自由なく幸せに育ったけどそれはアーティストとしては負い目にもなる」みたいなことを(私のうろ覚えの意訳なのでちょっと趣旨がずれたらすみません)言っていました。
それは私も普段感じていることで、両親は健在だし恋人を亡くしたこともないし心身ともに健康でなに不自由なく暮らしている。それは素晴らしいことだし、そのことを嘆いたらバチが当たるけど、それでも失恋したら悲しいんですよ。でも、私みたいに幸せなやつがたった一度や二度女にちょっと振られたくらいで不幸ヅラすること自体も本当に大変な人に失礼だし、でも私だって悲しみたいからいっそもっと不幸な目に逢いたいわ〜〜みたいな気持ちは以前からずっとあって、それはまぁ私の気持ちだから川谷絵音の気持ちとは違うものではあるのですが、そういうことをこの曲に重ね合わせて聴いてしまいます。

ところで、最後の

1988 言葉で小さな命をつぐむ

という歌詞ですが、これが謎でして......。
「命を」ときたら普通は「つむぐ(紡ぐ)」と繋がるのが自然ですが、ここでは「つぐむ(噤む)」となっているのが気になります。単なる間違いなのか、意図があるのか。
なんしろどっちとも分からないので解釈が難しいです。ラジオに質問でも投稿してみようかしら。

この「言葉で小さな命をつぐむ」というフレーズが繰り返され、だんだん盛り上がっていくのですが、さぁいよいよクライマックス......というところでぶつっと曲が終わってしまう。
生まれ年を冠した曲なので、ぶつっと終わることでこの先も人生が続くことを暗示しているのかなんなのか。とにかくぶつっと終わってしまうのでまた最初から聴きたくなってしまい、一曲目の蒼糸を再生するという無限ループに落とされてしまうのでうまい終わり方だとは思います。

住野よる『君の膵臓を食べたい』昔書いた感想。

キミスイの略称でお馴染み、実写映画化されたと思ったらアニメ映画化も決定という話題が沸騰している青春小説です。この度文庫化されたのを機に読んでみましたが、なるほど、良いですねこれ......。しょーもない恋愛小説かと思っていたらまんまとハマってしまいました。


彼女も友達もいなくて本ばっか読んでる根暗高校生の僕が、偶然にクラスの人気者の女の子の"ある秘密"を知ってしまったことで彼女と過ごす日々が始まる......。というボーイミーツガールものなんですね。で、その秘密っていうのがまぁ膵臓の病気で余命が1年ほどであることなんですね。

そんなあらすじから切ない恋愛小説を想像してしまいますが、この作品はそれをいい意味で裏切ってきます。極端に言ってしまうと、難病も2人が男女であることもエンタメとして読ませるための飾りでしかなく、ただあれを言いたかっただけなんだろうと思います。それくらい強く、あるメッセージが込められた作品なのです。そのメッセージが何かは書いてしまうと興醒めなのでぜひ読んで確かめてほしいところです。

私はこの作品を読み始めた時に、鼻に付くなぁと思った箇所が3つあるんですよ。
それは、タイトル、僕の名前の表記、難病ものとは思えぬ会話の軽さ。でも読んでいくうちに会話の軽さは心地よくなっていきましたし、読み終わってみるとこれらにもきちんと意味があったことが分かりました。

まずタイトル。
読む前は、「奇を衒ってバカな女どもを取り込もうという作戦だなしょーもな」と思ってました。読み始めてタイトルのフレーズが出てきたところでは、「ああ、そういう意味なのね」とちょっと感心しました。
そして、クライマックスでもう一度出てくるこのフレーズを読んで、私はこう思いました。
「ぐわああぁぁ!君の膵臓を食べたい......」
読んだ誰もが君の膵臓を食べたくなること請け合いです。

次に僕の名前。
作中では後半に至るまで僕の名前は出て来ず、人から呼ばれる時にはその相手が僕をどう思っているか(【目立たないクラスメイト】とか【仲良しくん】とか)で表記されます。これも最初は奇を衒いやがってと思っていましたが、このシステムが上手いこと使われてるんです。ミステリ的な仕掛けとかではもちろんないんですが、「あぁ、それでこういう表現なのね」と、読んで納得。これが見事に主人公の人格を表現してるんですよねぇ......。
ちなみにラストで明かされる主人公の下の名前も意味深で素敵ですよね。苗字も名前も読みながらある程度推測出来るものなので、名前当てに挑むのも一興かもしれません(私は「宮沢圭吾」だと思って全然違いました)。

最後に、軽さですね。
完全にラノベ調のノリで、一見難病という思いテーマには不謹慎に思えます。しかも、ヒロインは自分の病気をがんがんネタにしてきます。主人公はそれを冷たく受け流します。お前ら!不治の病ものならもっと真面目にやれ!と読者の方がメタ的な苛立ちを覚えてしまいかねないほどの軽さ。
でも、読んでいるうちに2人のこの漫才みたいな掛け合いがクセになってくるから不思議です。恋人でも、ただの友達でもない2人だからからこそのこの距離感がすごく愛おしくて羨ましくて、読んでいる間中にやにやしながら泣きそうになっていました。
そしてヒロインが亡くなるラストまで読んでみるとまた、このふざけた日常がかけがえのないものだったと気付かされます。

そんなこんなで、鼻に付くと思っていたところが読んでいくうちに好きになったり最後にそういう意味があったのかと驚かされたりします。だからタイトルや設定で避けている人にも読んでほしい作品です。あと男なら彼女の可愛さに悶えること間違いなしです。

サスペリア(ルカ・グァダニーノ版)

通称"ルカペリア"。
ダリオ・アルジェント監督による1977年の同名作を、「君の名前で僕を呼んで」のルカ・グァダニーノ監督がリメイクというわけで、アルジェントファンとしては観ないわけにはいかないので観てしまいました。

最初にサスペリアがリメイクされると聞いた時には「やめてくれや......」と「どうなるんだろう?」という不安と期待が半々だったのですが、ルカ監督がやると知って一気に期待に傾き、実際見てみた今では衝撃とわけわかめが頭の中を支配しています。

というのも、本作は設定や大まかな筋ではオリジナルを踏襲していながら、純真無垢なまでに「恐怖の美学」を追求した浮世離れなオリジナルとは異なり、政治・歴史・宗教・芸術......といった社会的、現実的な方向へ軸足を移しているからでして......。
正直なところ私のようなFラン大学出身の無教養クソ野郎にはベルリンの壁だの赤軍派だのメノナイトだのコンテンポラリーダンスだのと言われてもなんとな〜〜くしか分からない......あ、すんません、見栄張りました今......まぁ〜〜ったくわっがんねぇ!

だから観終わった後頭ん中でわけわかめが水に浸したみたいに増え続けていくのを止められず、しかし「俺は今 観てはいけない ものを観た」という心の俳句が思い浮かびました。
オリジナルと内容はまるっきり違うのに、この背徳的で禁忌的で陶酔的な観後感はオリジナルと近いものがありました。

一方、エログロ描写に関しては、ダリオ・アルジェントは快として描くのに対し、本作では終始不快なものとして描かれていてスタンスが正反対なのが印象的。
映像はもちろん、音響も絶妙に人間の脳の不快感を司る部分を刺激してくるような気持ち悪さで最低でした。
特につらかったシーンは、前半の死の舞踏のとこ。これにはグロいの慣れてる私でも吐きました。いや、実際映画館だしさすがに吐いてないですけど、まじで食欲失せてそのあとポップコーン1ミリも食べれずに半分捨てました......。コレ、訴えたら勝てますかね?
ともあれ、血とか内臓はまだ大丈夫でもこういうタイプのグロさ(というよりエグさ)はマヂ無理ドン引き左衛門でしたよ。まぁ人によって得手不得手はあると思いますが、これから見る方はどうか覚悟を決めておいてください。これに関しては、あの人間食べ食べカエル氏も「こういう死に方は絶対したくないオブ・ジ・イヤー」と発言なされているゆえ......。

一方、終盤のグロいシーンはアート的な映像美に偏りすぎて全然グロくないです。相変わらずさっきのエグいシーンを引きずっていたのでめちゃくちゃびびりながら見てましたが、このシーンだけならユッケ食いながらでも見れます。むしろ、ここに至って監督の人を殺すことへの無頓着さにちょいむかつくほど。アルジェントならもっと気合い入れて殺すぞ💢と思う。

エロに関しても、ふとももやおっぱいが写りはするし、めちゃくちゃエロいし、ジャケ写のあの赤い紐のシーンなんかまんま緊縛ものAVなんですけど(違)、なんかこう、肉っぽすぎてといいますか、女の子を徹底して肉の塊として描いているんですね。エロ目線が入る隙がなく、ジャケ写からそういうエロ的な期待をするとイマイチですね。

で、ストーリーに関して言えば、まぁ大半わからないんですけど分からないなりに分かるところで考えると、ベルリンの壁にまつわる純愛と罪悪感の物語と言ったところでしょうか。その辺を中心に見ていくと最後かなり泣けるんですけど、泣けるけどこれでいいのかというでかい問いかけが投げかけられつつそもそも魔女はなんだったの?と、本作のメインストーリーであるはずの部分が分からなくなる......という、まぁ一筋縄には解釈できない、そもそも解釈すべきなのかも分からない......難儀な作品でありますよ、まったく。

あと、ダンスと音楽は良かったです。
コンテンポラリーダンスというらしい。調べてみたけど「現代的な新しいダンス」みたいなことしか分からなくて、その定義自体曖昧なようですが、とにかくいわゆるダンスと言って思い浮かべるパキパキしたかっこいいやつではなく、それこそ魔女の儀式のような不穏な感じの踊りで見てて怖かったけどインパクトやばいです。音楽はレディオヘッドトム・ヨーク氏が担当。ゴブリンとは違いいい意味で映像に溶け込んで印象に残らない、でもなんか後から引っかかるような音。現代音楽ってやつですかね。サントラ欲しいわ。

てわけで、とりあえず少なくとももう一回は見ないとはっきりと評価もくだせないと思いますが、とりあえず以下でネタバレありでちょっと書いて終わります。いや、まじで伏せるほど分かってないからすんませんけど。



























とりあえずオルガまじかオルガ〜〜っ!
あの場面、鏡の部屋に一人きりというところで既に気持ち悪いのに、ダンスによって人間が捻れるという異次元の発想も気持ち悪いし、なにより血とかじゃなくて小便や体液が漏れるところのリアルさがめちゃくちゃ気持ち悪くて、吐きました(だから吐いてないけど)。
あとあの人の顔がまた失礼ですけど不気味なんですよね。これ美女が捻られるならまだ見れたかもしれませんが、あの苦悶の表情の恐ろしさったら。悲鳴も実際捻り殺されたらあんな声出るんだろうなぁという感じで、最低最悪でしたわ。

ストーリーに関して。
ほんとにまるっきり分からないけど、どうやらベルリンの壁に分断された夫婦の物語らしい。
冒頭から出てた精神科医のじいちゃんが最後に「実は俺が主人公なのじゃ!」みたいなノリでラブストーリーをはじめるのには驚きましたが、その顛末には泣きました。
奥さん(なんとジェシカ・ハーパー。ばばあになったけど未だに可愛いですね)は恐らく死んでいて、魔女の力か何かで会えたということ?
老医師は戦中に罪を犯し、その罪悪感に苛まれていたようです。ラストでスージーが彼に手をかざすことで、その記憶を消す。これは救済のようでもあり、しかし記憶を消すことはその人の人生自体を消すような残酷なことでもあり......。ここんとこのなんとも言えない余韻はとにかく泣けました......。これでよかったのか......っていう。

気になるのは、エンドロール(これも美しい!)の途中でスージーが一瞬映ってカメラのこちら側、観客の方に向かって、老医師にしたように手をかざすんですね。これが何を意味しているのか。私は「観客の記憶も消した」だと思ったのですが、これに関して他の方の解釈を見てると「ベルリンの壁を消した」と言っている方もいて、解釈が分かれるのが面白いですね。なんせもっかい観ないと自分の考えも固まらないのでもっかい見たいですけどね。怖いから見たくない気持ちもある。
しかし、これだけ本作の内容が分からないのは、実は見てる間は分かってたけどエンドロールでスージーに分かっていた記憶を消されらたからだ、と考えれば一番自然な気がします(いや、そうだろうか)。

あと、この手をかざす行為に象徴されるように、「手」が重要なモチーフになっているのも気になるところ。しかし私は手にまつわる文化史とかも知らんですからね。



結局なんやらまぁ自分なりに考えてみたものの、「無知とは恐ろしい」というメタ的な感想しか出てこないのでこの辺で終わっときます。あいすみません。

浦賀和宏『こわれもの』読書感想文

浦賀和宏初期のノンシリーズ長編です。
前々から浦賀ファンみたいな感じを出していた私ですが、実はまだまだ未読がたくさんで本作もその一つ。というのも、あちこちで「傑作だ」という話を聞いていたのでむしろ勿体無くて今まで読めなかったわけなんですが、読んでみて納得しました。傑作っしょ。

なんせ、浦賀作品の大きな魅力である、青年の鬱屈した心理描写と、ミステリアスな展開の末のどんでん返しが備わっている上に、前半は「予知能力は本物か?」というオカルト的なミステリーだったのが後半ではさらに物語がスピードアップする仕掛けもあり、これぞまさに徹夜本!翌朝早い時は読んじゃダメですね!

こわれもの (徳間文庫)

こわれもの (徳間文庫)

人気漫画家の陣内は、恋人の里美を事故で失ったショックから連載中の作品のヒロインを殺してしまう。陣内の元にはファンから抗議の手紙が殺到するが、その中に一通、神崎と名乗る女からの里美の死を予告するような内容のものがあり......。



物語は、主人公の漫画家・陣内と、彼の作品のヒロインの狂的なファンであるフリーター青年・三橋という2人の視点から描かれます。

過去に恋人を亡くし今また再び婚約者を亡くして失意に暮れる陣内と、人を愛することを知らずブスのセフレと惰性で一緒にいる三橋。
この相反する恋愛観、恋愛経験をしている2人の戦いが本書の軸の一つです。
で、2人は相反する存在ではあるわけですが、どちらもけっこう嫌なやつにして、ある種非常に共感しやすいキャラクターでもあり、どっちにも部分的に激しく共感できるのが本書の最大の魅力だと思います。

というのも、私は「ロマンチックな恋愛に憧れながら、実際には人を愛することができない自分に絶望もしてる系男子」だからなんですね。
婚約者を亡くした陣内さんに向かってこんなことを言うのは酷く不謹慎であり、全てのそう言う人に謝りたい気持ちはありますが、それでも率直な感想としては心から愛する人との死別こそ最もロマンチックなラブストーリーではありませんか。なんていうのも私がそういう経験をしたことがなく他人事だから言えることでありやっぱり陳謝したい気持ちですが、実際そういう映画や小説や歌は心に突き刺さるものでして......。
そんな経験をした陣内さんへ憧れの混じった共感をしつつ、現実の自分は(もちここまで極端ではないものの)明らかに三橋の側。
あらゆるものへの行き場のない不満を抱きつつNo Futureな日々を生きている様はより自分を重ねやすく、それだけに彼に対しては分かるけど分かりたくない同族嫌悪の気持ちが非常に強く、「三橋はよ死んでくれ〜」という名の共感をしましたね。
だから、2人が出会ってお互いへの憎しみを吐露する場面からはいよいよ物語も私の読む速度も加速していった次第でございます。



一方、本書のもう一つの軸は予知能力者を自称する神崎という女の存在。
最初は彼女に対する懐疑的な気持ちを抱き、その能力が本当なのかどうなのかというところにミステリーとしての謎があったところを、中盤での神崎のとあるセリフからは一気にサスペンスに転じてこれまた加速度を増していく。

この、陣内vs三橋神崎の予知という、二つの加速装置が途中にあるから、本書は恋愛小説としてもミステリーとしてもめちゃくちゃな没入感を得ているわけですね。すげえ。

そして、オチに関しても盛りだくさんで、いくつかは見破れても全てを予想するのは難しく、どこかしらではあっと驚かされるのではないかと思います。
ただ、キャラ名だけで最初から分かってるあれはギャグなのかなんなのかよく分かんないところですね......。

で、ラストがこれまたすごく良いので少しだけネタバレで触れます。




































『こわれもの』というタイトル。
それは死んだ里美やハルシオンのことのようでもあり、物語が進むにつれて壊れていく陣内と三橋という2人の主人公たちのことにも思えますが、最後に神崎という女もまた誰よりも壊れてしまっていた人間だと分かる............というところで終わるかと思いきや、さらに物語は里美のところまで戻ってきて、冒頭で既に死んでいる本書のヒロイン里美ちゃんに、再び『こわれもの』としての強烈で儚い存在感を浮かび上がらせます。この美しさ............。
そして、ここに至ってこの物語がある種の夢オチ(予知オチ?)であったことも判明します。
全ては里美がこの朝に見た一瞬の未来予知。
その内容を変えられるかどうかは......という、リドルストーリーなわけなんですね。とはいえここまで読んできて「やっぱりこの後里美は死を回避してハッピーエンドや!」と思うほどオメデタイ脳味噌は持っていないので、なんとも宙ぶらりんな余韻を抱えたままそっと本を閉じて壁に投げつけました......。もうっ!

てか、陣内クソ過ぎませんか!?あれは引くわー。でも、こと恋愛においてはクソみたいな失敗をしない方が難しいのでそんなところにもやはり歪んだ共感をしてしまい苦しいのであります......。


ちなみに、浦賀氏の『透明人間』という小説も漢字こそ違え「さとみ」ちゃんが主人公ですね。よっぽど好きなんかな......。あれもめちゃくちゃ泣ける美しいラブストーリーですので、さとみという音がそういう響きを持っているのかもしれませんね。

今月のふぇいばりっと映画〜(2019.1)

今月は『ミスターガラス』『サスペリア』という、今年楽しみにしてた二大映画を観に行ってしまったので、旧作はそんなに観れてないです。
この二つもいずれ感想書きたいと思いつつなかなか難しいもんですね......特に『サスペリア』まじわけわかめだったからな......。
というわけで今月のふぇいばりっとがこちら〜。





お熱いのがお好き
リバディ・バランスを射った男
ストレンジャー・ザン・パラダイス
ソナチネ



お熱いのがお好き

ひょんなことからマフィアに追われることになった楽団員のジョーとジェリーは、身を隠すために女装して女性楽団に入ることにする。そこで2人はシュガーという絶世の超絶セクシー世界一美女(※個人の思い入れです)に出会い......。


マリリン!最高!
これはもうあかんでしょ。完全に恋に落ちましたよ。
今までマリリン写真でしか観たことなかったので、「別にそんな可愛くなくない?」と思ってましたが、動くと可愛すぎる......。この笑顔が素敵ですよね。幸せそうな、でも憂いの香りもする......というのは彼女がマリリン・モンローであること自体に私が勝手に投影してしまう憂いなのかもしれませんが、とにかく一種異様の魅力を湛えたその笑顔に私のハートはぐっちゃぐちゃのぎっとぎとですよ。はぁ、、、
あと、たぶん、特にこの作品の時の髪型がヤバいんですよね。割と晩年ですが、髪型で若く見える。色っぽい美人なんだけど、少女のような可憐さもある。
そして、キスシーンのあの寂しそうなこと、嬉しそうなこと、、、はぁ、、、
彼女のことを考えるとついついため息が出ちゃうんですよね。これってもしかして......///

はい、そんな感じでマリリンめちゃかわな映画でした。みんな観てね!



......っておい!
実はこのレビュー始まって以来マリリンの可愛さについてしか書いていないことに気づいたので、そろそろ内容についても書きます。
ブコメだと思ってたらオープニングから序盤そこそこかけてマフィアに追われるサスペンスで「あれ?」と思いましたが、ラブコメでもだるだるの甘甘にせずにこういう引き締めを入れてくるエンタメ極道というのがビリー・ワイルダー大先生なのですよね。彼の映画を見るのはこれで5本目ですが、全部最高にエンタメしてて最高にただただ面白いですからね。要は最高。

サスペンスから一転して女装してバレないように女の園に忍び込むという全男子憧れの最強シチュエーションをぶち込んできてしっかり脚フェチ映像を入れてくるあたりもさすがですよ。ここからはコメディ色を強めに、でもマリリン演じるシュガーという女の子の抱える憂いという文芸的な香気も隠し味で入っているのもおしゃれ。色々起きてドタバタしつつも「逃走」「恋」という2つの軸はブレないから何が起きても安心して見られる親切設計。ラストもスカッと胸のすく痛快なThe End!
もうね、私が金田一京助なら国語辞典の「エンターテイメント」の項に「ビリー・ワイルダーのことである」と書きたいくらい面白いです。
面白すぎてもはや面白いとしかかけませんけど、ベタ甘だけどホロ苦な大人のスイーツみたいな名作ですよ。あとマリリン可愛いサイコーYeah!




リバディ・バランスを射った男

リバティ・バランスを射った男 [DVD]

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西部劇でありながら社会派ミステリというなかなか斬新な映画でした。


3人の男が登場します。
銃と暴力が"法"である西部の町に、法律による秩序を齎したいと願う、若き弁護士のランス。
銃の名手で、暴力によってやりたい放題の悪事を働く悪党リバティ・バランス。
そして、牧場主でありながらリバティと互角の腕を持つ銃の名手であるトム。

冒頭、上院議員になったランスがトムの葬儀のために町へ戻ってきて、そこで過去を回想する......という体で物語がはじまります。
タイトルの「リバティ・バランスを射った男」が誰のことなのか分からないままお話が進んでいくので、その大きな謎が観客を惹きつけます。

そして、3人の関係性がすごく良い。
ランスとトムはそれぞれ法と銃を武器にするヒーローであり、一方でトムとバランスは共に西部劇の時代の象徴でもある。
正反対のランスとバランスの間に、トムという人物が入ることで、ただの勧善懲悪ではない深みが立ち現れます。

また、脇役もそれぞれ魅力的で、出てくる人物全員に愛着が湧く映画でしたね。そういうの好きだからね。みんな好きですよね?

一つの時代が終わっていき、もっと良い時代が来ることへの希望。そして、それでいながら終わるということ自体の切なさや寂寥も感じられる名作でした。

なんせ、脚本とテーマとキャラが今見ても色褪せず良いもんですから、西部劇に馴染みがなくても全然面白かったです。




ストレンジャー・ザン・パラダイス

ストレンジャー・ザン・パラダイス [DVD]

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退屈もここまで極まると面白いですね。

定職につかずにギャンブルなどで稼いで何にも縛られず生きる主人公のウィリーと相棒のエディ。ある日、ウィリーの従妹のエヴァを一時的にウィリーの家で預かることになり......。


「新世界」「一年後」「パラダイス」という、30分ずつの3つの章を連ねた90分映画でして、カメラの動きはかなり少なく、ワンカットごとに暗転を挟むという変わった撮り方が特徴です。映像というより、動いてはいるけど漫画やボラギノールのCMみたいな雰囲気ですね。

で、とにかく何も起きない。日常。
その日暮らしの男たちといえば暴力沙汰や麻薬取引なんかが出てきそうですが、出ない。従妹の可愛い女の子を家に泊めたら一夜の過ちなんかありそうですが、ない。
とにかく、出会って、くだらないことを話して、別れて、再開して、というそう特別でもないことが淡々と描かれていくのみ。
じゃあつまらないのかというとそうでもなくて、退屈だけど面白いんですよね、これが。
なんせ短い章が連なっていて、それぞれ舞台が変わるので長編だけど連作短編のような気楽さで観れますからね。
また、日常とは言っても、主人公たちはヒッピー?っていうのか分かんないけど、働かずに生きてる人たちなので、その日常自体が我々サラリーマンの毎日とは一線を画していて面白いんですよね。彼らにゃ会社も仕事もなんにもないげげげのげな生活ですからね。
で、途中で工場労働者をバカにするシーンが出てくるんですね。これが働いている身からすればなかなか腹立つんですけど、それもまた憧れの裏返しですからねぇ。なかなか憎たらしい映画です。

最後もちょっとした事件は起こるものの、さらっと終わってしまいますが、ここに何とも言えない切なさと愛おしさがじわじわと滲み出てくるんですよねぇ。説明がないからこそ、勝手に自分の解釈をぶち込める余白もあって、その余白に私は自分にも分かりやすいあんな感情を当てはめてみたりして遊びました。あんま書くとネタバレ(って話でもないけど一応)になるので伏せますがね。

そんな感じで、ゆったりとした退屈な面白さを味わえる贅沢な逸品でした。
あと関係ないけどパターソンにカーラ・ヘイワードちゃんが出てるらしいからあれも観たいですね。




ソナチネ

北野映画といえば、私のイメージだとこれか最近なら「アウトレイジ」。たぶん世間的にもそうであろう、北野武監督の代表作の一つです。
10月43ナントカ(タイトル覚えれない)の沖縄パートを気に入った監督が、そのまま全編沖縄パートで作った作品とも言われています。


うん、まぁ感想はうまく書けないけど好きです。
オープニングがエグいっすね。ナポレオンフィッシュとかいう変な魚が食人族のジャケみたいに串刺しになってる画像が久石譲の不気味に美しい音楽に乗せて出てくる、このなんとも言えないヤバみ。
内容もヤバみですね。ヤクザの世界。一触即発の殺し合いは、退屈な日常と隣り合わせにある。いわばヤクザの世界のゆるふわ日常コメディですよね。

沖縄出張。絶対みんな死ぬだろってことは武映画だから最初から分かってるんだけど、そのわりにゆるい。全編にわたって嵐の前の静けさのような、それとも死の前の走馬灯のような雰囲気が漂います。
相撲したり落とし穴で遊んだり、みんなおっさんであることを除けば小学生の夏休みそのもの。人生の無意味さというか、儚さというか。
それでも、「あんまり死ぬのが怖いとな、死にたくなっちゃうんだよHAHAHA」というセリフが象徴する死というものの恐ろしい存在感。たぶんこの映画の主人公は死ですよね。深淵さんと同じで、死も正面から覗き込もうとすると、こちらも見つかってしまうものなのかもしれません。ひえー。

多島斗志之『少年たちのおだやかな日々』読書感想文

というわけで、『私たちの退屈な日々』が読みやすく面白かったので、間髪いれずこちらも読んじゃいました。いやはや、これも面白かったです。

少年たちのおだやかな日々 (双葉文庫)

少年たちのおだやかな日々 (双葉文庫)


『私たちの〜』が中年の女性を主人公にした短編集だったのに対し、こちらはタイトル通り少年たちが主人公。
私は中年女性を経験することは不可能ですが、少年だった経験ならそう遠くない過去にあるので、そういう意味では本書の方がより共感しやすくて楽しめました。
特に、本書では多くの短編において仄かな性の匂いがあって、そこが堪らなく良かったです。少年特有の女への欲望と畏れとが空気に溶け込んでいる感じ、といいますか。あの感じがすごい懐かしくてめちゃくちゃ興奮しましたよ。げへへ。
まぁそんなわけで以下で各話ちょっとずつの感想を。





「言いません」

級友の母親の不倫現場を目撃した少年は、その日から彼女に付きまとわれるようになり......。

き、気まずい......。
別に誰にも言わないからほっといてよ!という主人公の心の叫びを無視し、おばさんのストーキングがどんどんエスカレートしていくのが見所です。あまりに脈絡なく非論理的なおばさんの言動が逆にとてもリアルに感じられますね。特にラブホテルのシーンの1人で理屈を乱反射させて色んな感情を迸らせるおばさんの怖さはヤバかったです。





「ガラス」

ガールフレンドから幼い頃に兄を殺したという秘密を打ち明けられた少年は......。

甘酸っぱい少年少女の恋......だったのが、どんどん不穏な方向に傾いていってしまうイヤなお話ですね。
彼女の考えていることがまるっきり分からず戸惑うしかない少年。もちろん、この彼女は特別ヤバいですが、だいたい中学生の恋愛というのはこういう女という生き物の不可解さとの出会いでもあるわけですよね。懐かしいなぁ。まぁ中学生の時なんか彼女いなかったし知らんけど。
また、ガラスというモチーフや回想の風景などもノスタルジーを感じさせます。本書で唯一恋愛を直に扱った話でもあり、衝撃的なラストでもあるのでなかなか印象的な作品です。





「罰ゲーム」

親友の家にはじめて遊びに行った少年は、親友の姉ととあるゲームをすることになり......。

これはエロい!(途中まで)
雨の降る日、友達の家でゲームをしていると、可愛らしく年上の色気もあるお姉さんが部屋に入ってくる......。これ、中学生の頃に誰もが一度は......いや、嘘つきました100000回は妄想するえっちな期待に満ちたシチュエーションですよね!!!もちろん主人公は期待しちゃってちんちんもっこり。私はさすがにちんちんもっこりはしないけど同じように期待しつつ、「あれ、これ多島斗志之だしそんなことないかーはは」とどこか客観視する自分もいました。そんな気分で読んでいくと、しかしどう考えてもえっちなことにしかならないであろう展開に再び期待。そしてその期待が最高潮に達したところで、すと〜っんと投げ落とされるようなゾッとする展開が。最初から分かってはいたもののあまりのエグさに一気にちんちんしょんぼり。なんの話や。そこからはおぞましさが加速していき、最高潮の目前で終わる。この巧さですよね。
ここまで散々「罰ゲームってなんだろう?」ということを想像させることで怖さを演出してきて、最後もまた、この先どうなるのだろう?というところを敢えて全ては描かないことで想像させて嫌な余韻をぶちかまします。
また、お姉さんの会話の噛み合わないイライラ感は小林泰三作品にも近いものを感じました。小林泰三大好きな私は当然これが本書で一番のお気に入りです。



ヒッチハイク

半島縦断の旅をする少年たちは、若い男女の乗る車をヒッチハイクしたが......。

これもえっちな期待モノ(なんだそれは)。
ヒッチハイクした車のお兄さんがヤの字が付きそうなチンピラで、なんでこんな車に乗ってしまったのかと後悔しつつ、乗せてもらった恩があるせいで悪く思いづらいのがなんとも居心地悪いっすね。
そうこうするうちにどんどん嫌な展開になりつつ、最悪にはなりきらないような微妙な居心地悪さがまた続きます。そして最後はある意味衝撃というか......。
あと、お姉さんが良かったですねぇ。そもそもお姉さん好きなんで「罰ゲーム」も好きなんですけど、このお話のお姉さんも良かったです。オトナのオンナってカンジ(中学生並みの感想)。





「かかってる?」

遊びに行く待ち合わせに現れた友達は、叔父に催眠術をかけられたと語り......。

待ち合わせ場所だけに舞台が固定された会話劇です。淡々とした掛け合いと不穏な感じとの緩急が見事で、動きの少ない話なのに引き込まれました。なんせ、催眠術をかけれてたらいつ何をしでかすか分かんないからハラハラしますよね。状況設定がずるい。そして、予想から少しだけ外れるようなオチもインパクト大。





「嘘だろ」

少年は、電車内で目撃した痴漢の男が姉の婚約者ではないかと疑い、それを確かめようとするが......。

やばい奴が家族に加わろうとしているのではないか......という疑念が描かれますが、そこがなかなかはっきりしないので、主人公視点で読みつつ微妙にどっちを信用して良いのか分からないのが面白かったです。
で、主人公が下手な小細工をしようとして失敗したりするところの子供っぽさを微笑ましくも恥ずかしく鑑賞していたら、思わぬオチにびびりました。似たようなオチの映画を見たことがあったので映像としても思い浮かべやすくてつらい......。
そして、最後の主人公の気持ちの変化がじわじわと余韻を残します。





「言いなさい」

放課後の教室で女性教師からクラスメイトのお金を盗んだのではないかと問い詰められる少年。やがて男の体育教師も加わると、事態はおかしな方向へ......。

最初の「言いません」とタイトルは対になっていますが内容は特に関連はありません。
本書のこれまでの短編ではか弱い少年の視点から大人や女や何やらへの恐怖を描いたものでしたが、本作は一転して少年は何も言わずにただそこにいる装置のようなもので、彼......否、"それ"を通して見えてくる先生たちの本性が話の筋になってきます。それゆえに少年に再びフォーカスが当たるラストは印象的で、オチとしての決まり方も本書随一。「世にも奇妙な物語」とかで使われそうな話だと思っていたら、世にもでは「罰ゲーム」が使われていて、「言いません」「言いなさい」が「悪いこと」というオムニバスドラマで使われているそうです。気になる......。
というわけで、本書の締めくくりに奇妙な印象を残す好短編です。