偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

青山文平『半席』読書感想文

時代小説というものをほとんど読みません。
読んだことがある時代小説を考えてみましたが、ほんとに、大好きな泡坂妻夫先生の諸作と、時代小説というよりは少年漫画に近い山田風太郎忍法帖くらいしかありませんでした。
そんな私ですが、ミステリ界隈で「ホワイダニットミステリとしても読める時代小説の短編集がある」という評判を聞いて本書を読んでみました。そしたらびっくり。なるほど、確かにミステリとしても読めました。そして、それ以上に小説としてめちゃくちゃ面白かったのです。いやはや、普段なんとなく避けているジャンルにも当然いい作品はあるもんなんだなと自分を省みましたね、はい。

半席 (新潮文庫)

半席 (新潮文庫)


江戸幕府開府から200年が経ち、江戸文化の円熟期を迎えた文化年間。
徒目付の片岡直人は、"半席"の家筋から脱して片岡家を永代の旗本の家にするため日々仕事に励んでいます。
しかし、飄々とした不思議な上司の内藤雅之から、表の仕事とは別の"頼まれ御用"を任されます。
その頼まれ御用とは、形式の上では既に解決している事件の動機を明かすというもの。直人は、頼まれ御用で罪を犯してしまった人たちの心をじっくりと見つめるうち、出世だけを考えていた今までの自分をも見つめ直すことになります。


というように、本書は成熟した江戸文化を味わう時代小説であり、主人公の変化を応援するビルドゥングスロマンでもあり、"なぜ"の問われぬ世界で"なぜ"を探る(川出正樹氏の解説より)ホワイダニットミステリでもあるという、非常に贅沢な連作短編集なのです!



まず、普段時代小説を読まない人間からすると、こんなに読みやすいんだというところへの驚きが大きかったです。
当時の役職や身分や地理などの用語こそ馴染みがなくてやや難しいものの、そのほかの文章は時代小説のイメージに反してとても平易。下手な現代小説より全然読みやすくて、作者の文章力に敬服しました。また難しい時代用語にしても、説明は上手いし、細々と説明せず文脈でなんとなく分からせる技術がそれ以上に上手いので、重要な用語はちゃんと分かるし、その他の用語はなんとなく「こんな感じだろう」で読めてしまいました。くどくどとあれこれ説明されるよりよっぽど読みやすく、時代小説に変な敷居の高さを感じていた私もすらすらと一気読みしてしまいました。
また、当時の風俗についても、サラッとですがしかし魅力的に描かれていて、特に主人公の直人と上司の雅之が行きつけの「七五屋」の場面をはじめ、料理や酒の描写なんか読んでるだけで心地よくほろ酔い加減になっちゃいそうでした。

ミステリとしてはホワイダニットにあたります。あくまで人情として納得できるものばかりなので大胆な発想の飛躍や怒涛の伏線みたいなのではありませんが、動機が分かることでその人の人生の重みが迫ってくるのは小手先のトリックなんかよりよっぽど衝撃的で、ミステリファンにも満足でしょう。
ちなみにミステリ的に見るなら「半席」と「見抜く者」は意外性が高かったと思います。

また最期の2話では、事件が直人の身近なところへとにじり寄ってきて、それによって彼が色々と考えるあたりは大人の青春小説としても読めます。「武家は"自裁"する者」、というテーマこそ時代小説らしいですが、結局のところ自分の生き方について悩み抜いてひとつの決断を下すラストはそのまま現代人にも当てはまるものです。そして、その顛末もまた味わい深いですね。ラストシーン、最期の会話がじんわりと余韻として胸に残りました。


各話の感想は省きますが、そんなわけで、読みやすくお手軽に江戸時代の雰囲気に浸れて、人の心の奥底を浮き彫りにする文学性の高いミステリであり、それを通して若くて青い主人公の成長もエモーショナルに描かれた、エンタメ小説として非の打ち所がない傑作でした。ジャンルレスにあらゆる層にオススメの逸品です。

多島斗志之『黒百合』読書感想文

私の中で勝手に多島斗志之ブームが来ています。同時に他の作家さんのブームも来ていながら、読書スピードは日に日に落ちていく一方なので、あんまりたくさん読めてるわけじゃないですが、それでも多島斗志之が今、来てます。
そんな多島斗志之作品の中でも、失踪から七年以上が経過した今となっては遺作であり、同時に最高傑作との呼び声も高い特別な作品が本書『黒百合』です。
そんな評判は聞いていたのでどんなもんかと読んでみましたが、裏表紙の作品紹介にある「文芸とミステリの融合を果たした傑作長編」という惹句の通りの傑作でした。

黒百合 (創元推理文庫)

黒百合 (創元推理文庫)


1952年、夏。14歳だった私ーー寺本進は、六甲にある父の旧友の浅木さんの別荘へ招かれた。そこで浅木さんの息子の一彦とすぐに仲良くなった私。私と一彦は二人で瓢箪池に出かけ、そこで倉沢香という同級生の少女に出会った。
同い年の3人で遊ぶうち、私と一彦は共に香に恋心を抱くようになるが......。


というような、少年2人と1人の少女の、一夏の瑞々しい恋物語が本書の主軸となります。

14歳、それは確かに初恋の季節であります。
それより幼いと、気になる女の子がいたとしてもそれは言ってしまえばノリみたいなもので恋愛未満なことが多いと思います。14歳の恋は、そんなノリの延長線上にありながらも、もっと明確に恋愛と呼ぶに足るものだと思います。
そして、本書に描かれる初恋というのが、とてもリアルで、しかも美しいのです。
2人の少年と少女の出会うシーンなんかどうですか!冗談に池の精霊を名乗っていたずらな笑みを浮かべる、ちょっと可愛い少女。これは惚れますよ。読みながら私も一緒に惚れましたもの。この、ちょっと可愛いというのがポイントで、やっぱり初恋というのは誰もが認める美少女じゃなくて、ちょっと可愛い女の子にするものなんですよね。......って完全に偏見ですけど、そういう人は多いと思うけどなぁ。
あと、個人的に好きだったのは白百合のシーン。「個人的に」とは言いつつ、これも多くの男子がきゅんと来るに違いない名場面ですよね。この辺の主人公の一喜一憂で躁鬱みたいになってる感じ、とても初恋ですね。


で、目次を見ても分かる通り、そんな初恋物語の合間合間には、昭和十年、進と一彦の父親たちがロンドンへ視察に行った際に出会った若い女性のお話と、昭和十五年から二十年までにかけての、香の叔母・倉沢日登美と「私」の恋の物語が挿入されています。
これによって少年少女の周りの大人たちの姿もくっきりと描かれる奥行きのある作品になっています。

と同時に、そんなトリッキーな構成が最後にミステリとしての意外性にも繋がり、"真相"が明らかになることで今まで見えていたドラマの裏面にあったもう1つのドラマが浮かび上がってくるあたり、まさに文芸とミステリの融合と言うべき作品に仕上がっています。
そこんとこについては、ミステリと文芸が分離しているという意見もあるかと思いますが、個人的には分離しているように見えるけど融合してると思います。まぁこのへんは好みですよね。

ただ、これってすごく分かりづらい仕掛けではありますよね。私は本書が凄いらしいという評判を聞いてたから普通に終わるはずがないと思いながら読んでて真相に気付けましたが、気を抜いてたらトリックに気づかずにスルーしてしまいそうです。

というわけで、分離か融合か、という点についてやトリックの是非についてはネタバレなしには語れないので、以下でネタバレ込みでいろいろ書いてみようと思います。

























というわけで、本書の最大のトリックは、相田真千子=黒百合お千=車掌の「私」=一彦ママという実は同一人物でしたトリックです。
トリックに関しての詳しい時系列などの解説は他の方のブログでしっかりまとまったものがあるので割愛(というか、ややこしいからまとめる気力がないです、まとめてる方に感謝......)して、ここでは私の感想だけ書いていきます。

まず、トリック自体には素直に驚きましたね。最近叙述トリック系の作品を読んでいなかったから全然気付きませんでした。また、自分で考えなければいけなかっただけに驚きも大きかったです。
そして、読み終わってみると、「倉沢日登美」の章をはじめ、本書の至る所に伏線がバラ撒かれていたのにもびっくり。
ただ、そうなると今まで出てきた思わせぶりだった人物たちがみんな赤い鰊(ルビ:レッド・へリング)だったということになり、さすがに無理やりミスリードしすぎやろ〜〜っ!とは思っちゃいます。

一方、もう一つ、ミステリとしてみるとトリックの中心にいる一彦のお母さんが存在感に欠ける......という点に物足りなさもありますが、これに関しては本書のテーマにも関わってくるので一概に悪いとは言えません。
というのも、本書はまだ人生を、大人の世界を知らない子供たちの恋物語というのが主題であります。
それを端的に表す言葉として、香のおじさんの

たぶん世の中のこと、まだ何も見えてへんのやろ。自分の周りのことすら見えてへんのやろ

というものがありました。
その通り、少年たちには大人たちの間で起きたこと、起きていることが見えていない。それでもそれは確かに起きていて、彼らに対して時には暗示的に、時には直接に関わってくるわけです。
そういう意味では、子供の側の物語と大人の側の物語は分離しているのが自然で、子供のパートの文芸性と大人のパートのミステリ性も分離していることが融合と言えるのではないでしょうか。

また、余白の多さも本書の一つの魅力でしょう。最後まで読んでみても、この物語を語っている現在の進の状況についてはほとんど分かりません。分かることは一彦と香が結婚して今でも毎年あの別荘を訪れているらしいこと、その3人以外の人物(大人たち)は既にこの世の人ではなく彼らも老境に入っているらしいこと、くらいです。
それでも、例えば一彦が結局父親と同じような運命を辿ったらしいことから、進もまたそうなのかなと想像したり、今なお彼らの親交は続いているのだなということとか、でも今さらまだ14歳の頃のことを回想してるんだ......という切なさだったり、描かれていないところを味わうのもまた面白く、そういう意味で非常に余韻の残る結末だと思います。


そんなわけで、主人公の進の視点をメインにしつつ、一冊の中に様々な人たちの人生が少しずつ、しかし印象的に描かれ、真相を知るとともに「黒百合」の物語が強く浮かび上がってくる......いろいろ分離しているようで一冊の中に上手くまとまっている、そんな不思議な小説でした。良さがあります。

浦賀和宏『十五年目の復讐』読書感想文

十五年目の復讐 (幻冬舎文庫)

十五年目の復讐 (幻冬舎文庫)


著者の前作『Mの女』を読んだ時には、正直なんだかよく分からない話だなと思いました。というのも、『Mの女』は短いページ数でストーリーの展開が激しい作品で、よく言えばサクッと読めてどんでん返しの連続が楽しめる、というところでしょうが、むしろ詰め込みすぎて壮大な物語の梗概を読まされているような感覚になったのです。
ところが、それも強ち間違いではなく、『Mの女』で描かれなかった脇役たちの物語を描くことで前作の世界観に厚みを与える、続編というかOthersideに当たるのが、本書『十五年目の復讐』だったわけです。

また、本書の第1話から第3話までは電子書籍限定短編シリーズ『メタモルフォーゼの女』として配信されていたもので、それプラス第4話を書き下ろし収録した、(続きものの連作とはいえ)著者初の短編集にもなるわけです。


というわけで、以下で本書の感想を書いていきますが、前作『Mの女』の内容は本書の前提となっているため、当然感想にも『Mの女』のネタバレが含まれます。ご注意下さいませ。







というわけで、本書は『Mの女』で西野冴子に接触した人物(西野冴子のファンの主婦や、西野冴子の従兄弟ら)を主役に据え、彼らがどのようにして"メタモルフォーゼの女"の駒となったかを描いた、"メタモルフォーゼの女"サイドのお話になります。

ただそれだけでは前作の焼き直しになってしまいそうなところですが、本書は各話が一応独立したミステリ短編としても読める仕様になっています。そのため、シリーズ物として楽しみつつも、良質な短編をいくつも読んだという満足感も味わわせてくれる、なかなかお買い得な一冊なのでした。

全体の結末としては、とても続きがきになる終わり方になっていて、少なくともこのシリーズが続くだろうことは明らかです。さらに前作にも登場した桑原銀次郎氏もなかなか重要なポジションにいるようなので、今後もしかしたらそちらのシリーズとも関連してくるかも......さらには別のシリーズと合流してもおかしくはない......などと色々シリーズの今後に想像を巡らせてしまいました。
ちなみに偉そうに言ってますが桑原銀次郎シリーズは未読なので早いうちに読んでおきたいですね......はい......。

それでは本書は短編集でもあるので、以下で最終話以外の各話の感想をほんとに一言ずつ書いて終わりたいと思います。




「スミレ色の手紙」

他人に嫌がらせの手紙を出しまくる主婦というなかなか嫌な人物が主人公ですが、浦賀さんが書くとなんとなく共感できる部分もあったりしちゃうから怖いですね。


「生まれなかった子供たち」

こちらも身勝手な主人公で死んじまえと思いますが、私も割と自己中なので分からなくもないのがつらいです。そして意外性と暗澹たる気分を同時に演出する結末も浦賀さんらしくて最低(最高)でした。



「月の裏文明委員会」

タイトルから『地球平面委員会』を連想してはいましたが、まさかここまでガッツリ出てくるとはw
「アイアンスカイ」の話題が出るのが映画ファンには楽しく、大三郎クイーン氏が出てくるのは浦賀ファンにも楽しく、作中作の『月の裏文明委員会』と作中現実の関係性をメインにした物語はミステリファンにも楽しくと、色々と楽しめる傑作でした。

浦賀和宏『ハーフウェイハウスの殺人』読書感想文

森の中の学園「ハーフウェイハウス」は外界と完全に隔離された学園。そこに暮らす子供達は、外の世界を夢見ながらも脱走する勇気はないまま日々を送っていた。しかし、ある日、学園の生徒・アヤコの前に、彼女の兄と名乗る男・健一が外の世界から現れる。そして、それと時を同じくして、ハウスで殺人事件が起こり......。(ハーフウェイハウスの殺人)
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とある企業の社長の愛人の子として、社会の片隅で暮らしてきた健一。ある日、久しく会っていなかった父が現れ、腹違いの妹の彩子が自殺未遂で重体のため自分の会社に来ないかと告げられ......。(ふたりの果て)

並行して語られる2つの物語の連関と結末とは......!?





『ふたりの果て/ハーフウェイハウスの殺人』の改題文庫化です。
作中の扱いとしてどちらの物語も並列なのと、両A面みたいでかっこいいから私は元のタイトルの方が好きですが、それはともかく面白かったです。

解説で「浦賀和宏の持ち味のショーケースで初読にもオススメ」みたいなことが言われていましたが、まさにそんな感じ。
浦賀作品の良さといえば、トリッキーなどんでん返し、溢れまくる情念、インモラルな題材あたりが挙げられると思いますが、本作はそれらが7:2:1くらいのバランスではありますがみんな配合されています。

まずはなんといっても構成のトリッキーさ。
並行して語られる同じ人名が出てくる2つの物語。
それぞれの側で、「"学園"の正体とは?」「殺人事件の犯人は?」「妹の安否は?生きているならどこにいるのか?」などなど魅力的な謎が次々に提示されていきます。
そこに付随して、2つの物語の関連性として、「登場人物たちは同一人物なのか?」「それぞれの微妙な食い違いの正体は?」という謎も生まれ、1冊で3度ミステリアスな贅沢な本になっているのです。
もちろん、それぞれの物語に意外な真相も待っていて、両者の繋がりも(賛否は激しく分かれそうですが)浦賀和宏らしいような、らしくないような、持ち味を出しつつも今までにないものになっていて面白かったです。


そして、そんなトリッキーなミステリ部分が7割を占める(※個人の感想です)本書ですが、残り3割の部分では初期作品のようなインモラルなネタと若者の情念を楽しめました。

「ハーフウェイハウスの殺人」の方では、森の中の学園に閉じ込められ外の世界を見たことのない子供が、外の世界から来た男と接点を持ったことで自分の存在に疑問を持つ様が描かれます。
一方の「ふたりの果て」でも、愛人の子としてひっそり生きてきた男の野心と自意識が生々しく描かれ、終盤ではなかなかにエグいことになり、ディープなファンも満足でした。

というわけで、トリックミステリとしてもウラガ式青春小説としても楽しい贅沢な作品で、ファンにはやや物足りないかも知れませんが浦賀作品入門にはたしかにうってつけだと思います。

浦賀和宏『緋い猫』昔書いたの

緋い猫 (祥伝社文庫)

緋い猫 (祥伝社文庫)



主人公の洋子は佐久間という共産主義者の恋人がいる。しかしある時、佐久間の仲間二人が殺害され、佐久間も行方不明になってしまう。洋子が佐久間を探して彼の実家がある村を訪れると、そこには彼が飼っていた緋い猫がいるため、洋子は佐久間がこの村にいると確信する。しかし、村人たちは排他的な態度で佐久間などいないと言い張り......。


行方不明者を探しているけど周りの人たちがみんないないって言う系失踪ミステリー。前半は「バニー・レークは行方不明」や「フライトプラン」よろしく、主人公がおかしいのか他の人たちがグルになっているのかというサスペンスでぐいぐい読ませてくれます。とはいえ村の人たちの怪しさがもう......。
で、後半からは浦賀さんらしいエグい展開が待っています。この展開自体が本書の眼目なのであまり触れないようにしますが、まぁ凄絶。主人公に不幸を背負わせるのが持ち味の作風ですが、それにしても今回は酷くって、私くらいホラーに慣れてても胸糞悪くて読むのを止めたくなりました。

しかしこれ、読み終わってみるとどうにも、「これは、なんだったんだろう......?」という気持ちに襲われます。たしかにラストは衝撃的っちゃ衝撃的ですけど、それはミステリとしての意外性とかではなく、なんかこう............ダメだ、上手く言葉が見つかりません。とにかく、なにがしたかったのだろうと作者の意図まで考えて悩まされるような意味不明ながら衝撃的なオチでした。
あと、分量が短すぎるのも、なんだったのだろう感の一因だと思います。主人公の身に降りかかる悲劇の大きさに本の長さが見合ってないせいで、めちゃくちゃな悲劇をさらっと読まされる座りの悪さがあります。もっといつもみたいにどろどろとした心理描写を増やしてくれたら......それはそれで読みたくないけど、なん だったのだろう感はなかったと思います。
要するに、ミステリとしてだけ読むといまいちで、小説として読むとあっさりしすぎといったところで、結局のところ何がしたかったんだろうということに尽きます。最近売れてきてるみたいだしうるさいミステリファンじゃなく一般読者ウケを狙ったのかもしれませんね。

浦賀和宏『姫君よ、殺戮の海を渡れ』昔書いたの

糖尿病の妹がキャンプに行った利根川でイルカを見たと言う。誰も妹を信じないことに憤った主人公は、妹と友人の飯野を連れてキャンプ場のある群馬県を訪れる。この子供3人での大冒険はやがて彼らの人生を大きく変えていく......。

浦賀和宏の作品は長いか短いか両極端なイメージがあります。本作は600ページ超えの長い方の浦賀作品。エモーショナルな心理描写に分量を割いた濃い物語になっています。
本書は大きく二部構成になっていて、第1部は主人公たちがイルカを探すという青春小説、そして第2部で浦賀和宏らしい奇妙な展開を見せていきます。

第1部は、兄妹、友達、そして淡い恋という青春小説全開のお話で、主人公の一人称での激しい心理描写がエモいです。心情を説明しすぎるのが嫌いな人には合わないかもしれませんが、私はエンタメなら分かりやすくキャラの内面を説明してほしい派なので、ハマりました。この一人称の激しさが、信頼できない語り手ならぬ信用ならない語り手とでも言いましょうか、彼が何をしでかすか分からないという意味でのサスペンスにもなっていて良いですね。なんせ自制心が無さすぎて喧嘩ばっかしますからね。
また、探してる側の執着が激しすぎて「いないものをいると思い込んでるだけでは?」という不安を抱いたまま読み進めなきゃいけないところは映画の『バニー・レークは行方不明』っぽい読み心地だ と思いました。
とはいえ、そんな不穏さを抱えながらもやはり子供の遊びの延長にある話なので一夏の冒険といった雰囲気が強いです。が、クライマックスに至って映像として印象的なシーンがどーんと展開するあたり、浦賀流エンタメ超大作という感じでこれまたエモかったです。さらに後日談で衝撃的な展開を見せ、そこから第2部に雪崩れ込むわけですが......。

第2部以降は展開自体が面白いのであんまり書けません。ただ、ジュブナイルっぽさすらあった第1部から一気に浦賀作品というジャンルに変わってしまうところに無常を感じます。そして明かされる衝撃の真相......は正直予想がついてしまいますが、そんなことはもはやどうでもよくて、クライマックスのどう考えても行き止まりの道を無理やり進むような展開に、「姫君よ、殺戮の海を渡れ」というタイトルを思い出します。絶望の中に強い爽快感があるようなタイトルがラストにぴったり。まさに「切なく哀しい衝撃のラスト」でした。

前半後半共に映像的な見せ場があるのが特徴で、エンタメ大作映画のような読み心地です。ジャンル分けするなら青春恋愛ミステリとなるのでしょうが、どう考えてもそんな暖かみのあるものじゃなく、そもそも恋愛小説ともミステリとも断言しづらい、そんな浦賀としか言いようのない作品でした。個人的には大好きです。

浦賀和宏『ファントムの夜明け』昔書いたの

私の中ではここ数年恒常的に浦賀和宏ブームが起こっています。そのためブログを始める前に書いてた浦賀作品の感想をこっちに移して来ようかと思います。

ファントムの夜明け (幻冬舎文庫)

ファントムの夜明け (幻冬舎文庫)



なんなんだこれは......。
ジャンル分けするならSF恋愛ミステリーでしょうか。ただ、とりあえずミステリらしいミステリではないです。いかにも仕掛けがありそうなあらすじのわりに、浦賀作品に期待するようなどんでん返しなどは期待しない方がいい作品です。でもこれがべらぼうに面白いんですよね。あらすじを説明するのも難しいですが、一年前に別れた恋人が行方不明になったことを知った主人公は、それから徐々に幼い頃に死んだ双子の妹の"とある能力"が自分の中でも発現していくのに気付く......という話です。
意外な真相やどんでん返しこそないものの、過去に何が起こったのか?これから何が起こるのか?という謎の興味で引っ張っていくところはミステリーです。
そして、主人公が別れた恋 人への未練を引きずる暗い恋愛小説でもあります。彼はもう自分のものじゃないのにことあるたびに今カノに嫉妬したり優越感に浸ったりしながらそんな自分を嫌っている主人公には共感してばかり。
その他にも、ホラー的な描写もあり、超能力もののSFファンタジーでもあり、そして......そう、これはM・ナイト・シャマランの某作(ネタバレってほどじゃないけど一応伏せます)へのオマージュでもある、そんな多ジャンルごった煮のヘンテコな展開を300ページそこそこの短さに詰め込んであるので面白すぎて一気読みしました。しかし社会人になったので徹夜で本を読むと翌日がつらいですね。社会人に浦賀作品は危険です......。