偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

多島斗志之『不思議島』読書感想文

多島斗志之
本人が失明することを厭って失踪してしまったということが話題になった作家ですが、結局発見されることなく、恐らく死亡認定がなされてしまっているであろう年月が経ってしまっています。

そういうことは知っていながらも作品は読んだことがなかったのですが、今回初めて読んでみてなかなか好きな作風だったので、今更ながら切ない気持ちになりました。



不思議島 (創元推理文庫)

不思議島 (創元推理文庫)


瀬戸内海のとある島に暮らすゆり子は、15年前に誘拐されて無人島に置き去りにされたというトラウマを抱えていた。
そして現在、ゆり子は島に赴任してきた医師の里見と知り合う。彼に惹かれていくゆり子だったが、2人で無人島巡りをした際、ある島を目にしたことで誘拐された記憶を思い出して倒れてしまう。
それを機に、里見とゆり子は誘拐事件の謎を解くことを決めるが、推理は思いがけぬ方向へと膨らんで行き......。



タイトルからなんとなく孤島もののクローズドサークルかと思いましたが、作品の舞台は田舎ではあるものの、普通に人が暮らす瀬戸内海の島々なのでした。
登場人物や出来事はもちろんフィクションですが、作品の舞台となるこの島々はどれも実在のもので、だからかどうかは分かりませんが、小さな島での暮らしというものが生々しく描き出されていた気がします。全体に不穏な雰囲気はありますが、自然溢れる島の美しさのおかげでドロドロした話でもあるのにカラッとした読み心地なのは良いですね。
今時はインターネットという便利な道具があるのでそれを使って調べてみると、九十九島なんかこんな感じで

「こんなところに置き去りにされたら怖いなぁ」とリアルに想像できて面白いです。

しかしそうしたリアリティとは裏腹に、登場人物は主人公の身の回りに限られていて、そういう点ではかなりクローズドな物語ではありました。
ただ、それによって主人公のトラウマ、そして恋愛と家族というパーソナルなテーマを最短距離で描き出した読みやすい作品になっていて私は好きですね。



ミステリとして問題となるのは「15年前のゆり子の誘拐事件」とその周辺に限られ、現在では特に大きな事件は起こらず、ウン百年前の村上海賊の謎についてもさして深掘りされないのでやや物足りない感じはします。誘拐のトリックについても面白いけど、ありそうといえばありそうな感じではあります。
しかし、それよりなにより、「本格」ミステリの手法ではなく広義の「ミステリー」や「エンタメ」の手法としての伏線回収の巧さが光っています。文章自体はわりと平坦な感じだと思いながら読み進めましたが、いざ種明かしが始まり伏線が示されると、はっきりと「ああ、あの場面か」と思い出せる地味に印象深い描写の数々! 今までの何気ない描写、シーン、セリフに再び光が当てられ、神に操られるように本作のキーワードとなる二つの単語 (=「相似」と「合同」)に向かって収束していく様の美しさよ......。
こうした構築的な伏線回収がミステリーとしての本作の大きな魅力ですが、それによって物語性が薄まらないところもまた同じくらい大きな魅力だと思います。



本作をお話として見ると、その軸は主人公ゆり子の恋愛と家族です。
このテーマ自体ありきたりなものですが、主人公のキャラ造形もまた(トラウマの内容以外は)わりと平凡。しかし、その普通さが読者に感情移入しやすいエモーションを作るのです。自分と同じく都会の空気を吸ったいい感じのイケメン医師と出会って、期待し浮かれつつも平然を装う、たまに嫉妬したり、案外大胆だったりする主人公の可愛さよ。

あと、濡れ場のシーンなんかなかなか凄いです。いきなり作者がエロオヤジに取り憑かれたかのようなフェチズム溢るる筆致がとても印象深いです。精液を「液」と表記するのもなんかヘンだし、液がお腹の上で乾く描写とか無駄に細かくて生々しいし、問診口調でオナニーのことを問いただされる件に関しては「それ、いる??」とすら思いました。いや、褒めてますよ。えっちいのは好きですので。だいたいこの女は清楚系ビッチの匂いがして最初からヤベえと思ってたんだよ。あとこの男も絶対ヤバいやつだろ!冷静に考えるとだいぶキモいわ!

とまぁそんなヘンテコな場面もありますが、基本的には等身大のラブストーリーでして。あまり強調されてはいませんがゆり子が過去のなんちゃってみたいな恋愛と里見との恋を比べて意気込んでいる様は応援したくなりますし、それとともにどこか不穏なものが漂う里見との恋にハラハラさせられ、正直過去の事件よりも現在の恋愛の方がよっぽどサスペンスだったりします。

一方家族や親戚の人々に関してもそれぞれ丁寧に描写されていてリアルなのとともに、最後まで読むとそれらが意味を持ってきてただの恋愛ドラマではなく家族というテーマにも重心が置かれていたと気付かされます。

上に書いたように、結末はミステリーとしてはトリックより伏線回収メインのものでしたが、それによって立ち現れる(ネタバレ→)「蜃気楼のような家庭と蜃気楼のような恋愛に打ちのめされ」「しかし、薄皮の甘さも、今なお忘れられにいる自分が哀しかった」という、エモすぎる(エモいって言葉、どっちの意味にも取れてネタバレ回避に便利!)述懐に胸を打たれます。
人知を超えたところでの伏線回収が繰り広げられることで、この結末が運命的なものに思えてより一層感慨深く、そういう意味では(伏線をトリックと呼ぶかは微妙ですが)「ドラマとトリックが融合した」という煽り文句通りの傑作だと言えるでしょう。



地味といえば地味だしあまり知られていない作品ですがとても楽しめました。多島斗志之、気になる作家リストに追加します。

米澤穂信『真実の10メートル手前』読書感想文

さよなら妖精』『王とサーカス』に連なる大刀洗万智のシリーズの短編集。


1話目は新聞記者時代の、2話目以降はフリーの記者になった太刀洗がそれぞれ主人公。全編に一貫して、知ること、伝えること、その責任がテーマになったシリアスなお仕事小説。ほろ苦くも、太刀洗の真摯な姿に一抹の救いもある、そんなお話たちです。
もちろん、各話にミステリとしてのネタもしっかり仕込まれており、ミステリとしてもお話としても楽しめる贅沢な作品集です。

以下各話の感想を。





「真実の10メートル手前」

ベンチャー企業が経営破綻し、社長と広報担当だったその妹が行方をくらました。2人を探すことになった太刀洗は、ある推理によって甲府へ向かうが......。


ミステリとしては、行方不明者の行き先を音声データから推理するというなかなか地味なもので、推理の組み立て方もそこまで意外性はないです。それよりもこの短編はグルメ小説として読んだ方が......いや、なんでもないです。あれ、食べたことないんですよね。食べ物の描写が印象的すぎて食べてみたいしか感想がない......。
このお話のみ『王とサーカス』以前の新聞記者時代の太刀洗を本人の一人称から描いたもので、太刀洗にもまだ甘さというか未熟さを感じます。この事件があって『王とサーカス』での葛藤と答えに辿りつくのかと思うとまた感慨深いですね。
ラストは「ああ、そういえば米澤穂信作品だった......」と思わされる米澤穂信らしいもので、短編集のつかみとしてはバッチリ。





「正義漢」

人身事故のアナウンスが流れる駅で、語り手はスマホを片手に現場を撮影する不快な女を見る......。


雑誌掲載された「失礼、お見苦しいところを」という短編の改題。
前半と後半でガラッと話の印象が変わる2部構成になっているのが面白いです。
ただ、これをこの短編集の中で読むと、雑誌掲載時とは違いオチがまるまる分かってしまうのが惜しいところ。まぁ仕方がないことですが......。
ただ、軽くてユニークな話のラストで突きつけられる問いかけにはハッとさせられました。本書のテーマの一端を垣間見られる、2話目として絶妙な話ではあると思います。





「恋累心中」

高校生の男女が一緒に死ぬと遺書を残して亡くなった。その場所の地名から「恋累心中」と名付けられたこの心中事件だが、記者の都留と太刀洗が調べていくと多くの疑問に突き当たり......。


無能ではない同業者の語り手の視点から太刀洗のキレ者っぷりが描かれて太刀洗かっけえってなります。
扇情的ではありながらなんの変哲もない心中に疑問を見出していく展開自体が面白いですが、そうやって下世話な好奇心に引っ張られて読み進めるとあまりに残酷な結末に「知らなければよかった」とすら思わされます。
ミステリとしては非常に好きなタイプの意外な結末ではありますが、そんなことどうでもいいくらいつらい......。「知ること」の痛みを感じさせられると同時に、せめて「伝えること」が声なき二人の声に代わってほしいと、そこにあるはずのない希望を見出さなければやってらんない嫌な話でした。これだから米澤穂信という作家は嫌いですよ。





「名を刻む死」

近所の嫌われ者だった老人の遺体を発見した少年。特に不思議なところのない出来事だったはずだが、彼の元に太刀洗という記者が訪れ......。


人間の性質は非常に複雑な立体を成していて、あまりに複雑だからとある一面からしか見ないようにするのが楽で流行ります。
不愉快な場面に読者は咄嗟に「死んでしまえ」と思いますが、その時点で作者の術中にハマっていると言えるでしょう。死ねと思っちゃうような人にも事情はあり、どんな人にも色んな面があり、しかしそうした一切合切を分かった上で太刀洗が放つ最後の一撃は重い余韻を響かせます。願わくば、この太刀洗の一言が彼を救いますように。
ちなみに、正直なところ「名を刻む死」の意味はピンときませんでした......。意外ではあるけど、これを「名を刻む」と言うのは私の言語感覚ではむむむ?と思ってしまいました。





「ナイフを失われた思い出の中に」

「16歳の少年が3歳の姪を殺害した」という、センセーショナルだが単純な事件。しかし太刀洗は事件にある違和感を覚え......。


さよなら妖精』との繋がりがファンには嬉しい......じゃなくて切ないですね。
会話文が英語でとても翻訳文風なのが面白いです。器用だなぁ。
ミステリ的にもけっこうトリッキーなことをやってますね。驚かされはしたのでそれで満足ではあるのですが、ちょっともにょる点も。というのも、謎解きのキーとなる(ネタバレ→)少年の手記ですが、本文中に掲載されているものは太刀洗によって英訳したものを作者によって再翻訳した日本語の文章になっていることが解決編で明かされます。この辺が最後までぼかされているのは、作中人物同士ではフェアでも、作者と読者の間でフェアと言えるのか......?という疑問が残りました。話が面白ければフェアかどうかは問題じゃない気もしますが、こういう騙し方の場合、少しでも納得のいかない点があると騙すために作者が介入してくるような心地悪さがあります。かといってこのアイデアを他にどう料理すればいいのかは思いつかないのですが、とりあえず話のシリアスさとトリックがやや分離した印象を受けます。

とはいえ、

あなたはどのようにして、ご自分の仕事を正当とされるのですか?

という難しい問いに対して太刀洗が見せる答えは、『王とサーカス』からの流れも感じさせますし、長編2作と絡みながら仕掛けものとしても楽しい贅沢な作品です。





「綱渡りの成功例」

豪雨による土砂崩れで隔離された老夫婦が奇跡の生還を遂げる。その場に立ち会った村の消防団の青年は、学生時代の先輩で記者の太刀洗から取材を受けるが、太刀洗の質問は謎めいたもので......。


私は基本的には米澤穂信作品が好きだと思います。文庫で出ているものは大体読んでるし、それでまるっきりつまらないと思ったことは一度もなく、程度の差こそあれ全作品が面白く、本書ももちろんめちゃくちゃ面白いです。
ただ、私はこの短編に現れているような米澤穂信らしさは嫌いだったりして、そういうところに、好きではありつつ大ファンにはなれないということを感じたりしました。
というのも、米沢作品の登場人物は、誠実すぎる、もしくは誠実であることを美点としすぎる、あるいは不誠実であることを重く受け止めすぎる、というところが肌に合わないんです。
このお話の主役にそういうところが思いっきり出ていて、私くらい心が汚れた人間からすると「そんなこと気にする?」としか思えず「だからなに」という感想しか出てこないのです。これは主に私の生き方に問題があるので作品を貶めるつもりはないのですが、でも私くらいのクズの方が世の中多いんではないかなぁとも思うわけです。結局私はいいおじいさんにはなれないんでしょう。

語り手の淡い恋(?)はよかったです。

現代ホラー傑作選 第2集『魔法の水』読書感想文

角川ホラーのアンソロジーシリーズの第2弾。編者は村上龍

収録作品は、

村上春樹「鏡」
山田詠美「桔梗」
連城三紀彦「ひと夏の肌」
椎名誠「箱の中」
原田宗典「飢えたナイフ」
吉本ばなな「らせん」
景山民夫「葬式」
森瑤子「海豚」
村上龍「ペンライト」

の9編。見事にほとんど読んだことがない作家さんばかりで、なおかつイメージ的にはホラーを書いていなさそうな人たちばかりだったのでどんなもんかと気になり買ってしまいました。

魔法の水 (角川ホラー文庫―現代ホラー傑作選)

魔法の水 (角川ホラー文庫―現代ホラー傑作選)

全体に狭義のホラーというより文芸作家が描く恐怖の要素が濃い短編小説集という感じですね。
編者の村上龍の解説に、面白い小説とは恐怖を常に孕んでいる、みたいなことがありましたが、まさにそんな感じ。真正面からのホラーというジャンルではなく、「恐怖」の影が感じられる文学作品というイメージの短編が多いです。
そのため、いかにもなホラーを期待すると肩透かしですが、私はこれくらいの方が面白かったです。
この「現代ホラー傑作選」シリーズは他の巻もなかなか気になるメンツなので集めてみたいと思います。

以下各話についてちょっとずつ感想を。





村上春樹「鏡」

村上春樹は大学生の頃授業で『ノルウェイの森』と短編をいくつか読みました。
ノルウェイは(今読んだらどう思うか分からないけど)当時の彼女いない歴=年齢の私としては「こんなに女を取っ替え引っ替えしてて周りがみんな自殺してっても平然としてるワタナベくんはクソ」程度の感想しかなく、それよりはどちらかといえば短編の方が好きでした。
本作はそんな村上春樹の短編ということでわくわくしながら読んだのですが、やっぱ上手いですね。

本作は10ページそこらの掌編です。
話の筋は、主人公が家に人を招いて百物語をやっていて、最後に自らが人生で一度だけ出会った「恐怖体験」を語る......という、怪談小説のテンプレートみたいなお話です。
ところが、主人公自ら、その恐怖体験というのが怪談のありきたりのパターンである幽霊ものor超能力もののいずれでもないと先手を打って釘を刺してくるのが"テンプレート"の枠に収まらない違和感を与えて先を読むのを急かしてきます。
語られる体験自体も、夜の学校を見回る警備員の仕事をしていた時の話というテンプレ的なものでありながら、「幽霊なんていない」と確信を持って見回る主人公の強靭な精神力によって、理科室や音楽室などのヤバいスポットはほぼページ数すら割かれずに終わります。
そして問題は学校の玄関に差し掛かったところで起こります。
主人公はそこに人影を認め、すわ侵入者かと身構えますが、その正体は鏡に映った自分。ところが、その自分が「自分ではない自分」であると直感してしまうと、要はそれだけの話なんですよね、この短編。
でも、それだけだからこそ、「鏡に映った自分ではない自分とは何なのか?」という大きな謎について無限に考える余地があるわけです。
私は最初読んだ時は鏡に映ったのは「子供としての自分」なのかなと思いました。恐怖という感情は危険を回避するために大切なものでもあり、「怖いもの知らず」の主人公が怖いものを知らない子供の自分を恐れ、鏡に映った彼を割ることで大人になったというお話なのかな、と。
しかし読み返してみるとまた違った読み方も出来る。もしかしてこの短編自体が読むたびに読者の気持ちを映す鏡のような小説、なのかもしれないですね。





山田詠美「桔梗」

七歳の「私」は、隣の家に住む美代という美しい女性と知り合う。美代さんに惹かれていく「私」は、彼女のとある場面を目撃してしまい......。


雰囲気が凄いですね。馬鹿みたいなこと言いますけど、小説を読んでいるんだなぁという、文章表現ならではの美しさ(そして残酷さ)に夢心地でした。
周りの子たちが子供に見えてきたおませな少女の視線は、大人には見えないものまでしっかりと見つめます。
生きているものが死ぬこと、美しいものが醜く成り果てること、子供が大人になること、昼が夕になり、やがて夜になること......そういった全てのものが変わり行く無常を、子供の目を通しているからこその隠微な不穏さで描き出した傑作です。





連城三紀彦「ひと夏の肌」

怪魚が打ち上げられた記事を見たのを最後に記憶を失った私は、身に覚えのないとある女のしどけない姿を克明に思い出すようになる。それは記憶を失っていた三ヶ月間の出来事なのか......?


記憶を失っていた空白の時間の不気味さを描いた官能ホラーサスペンス。
まぁこれはエロいシーンのイメージを楽しむ作品ですね。さすが連城三紀彦だけあって文章力と小道具による雰囲気作りは完璧。死魚の生々しいイメージの不穏な不気味さと、それと裏腹の女の生々しい色気が頭と下腹部をぐるぐると回って私を悩ませます。主人公の脳内のフラッシュバックと現実とで同じシーンを二回見せられるのもそれぞれのシーンをより印象付けていて上手いと思います。それとともに、記憶をなぞって現実が進んでいくことで運命に抗えないという怖さが出ているので、ホラーアンソロジーである本書に採録されたのも頷けますね。
ただ、お話としては(連城三紀彦の他の傑作軍と比べて、というのもありますが)いまいち乗り切れず。オチは言いたいことは分からなくもないものの、あそこまでいくと作者のさじ加減という気がして納得しかねるのが正直なところ。
というわけで、謎めいた発端から謎解きに期待しそうになるのを抑えればなかなか印象的な作品だと思います。終わらない夏に閉じ込められたような余韻の残るラストシーン、いいですよね。





椎名誠「箱の中」

深夜に帰宅した男は、自宅マンションのエレベーターに乗ったが、エレベーターの故障により美女と2人閉じ込められてしまい......という筋のショートショート


エレベーターの中だけが舞台、登場人物は2人きりのソリッドシチュエーション・ショートショート・ホラーです。
けっこうユーモラスなところもあって、エレベーターに閉じ込められてすぐのうちは肩の力を抜いてにやにや笑いながら読めます。美女と2人きりなんて羨ましい!と。しかし、そこから一気に恐怖の質を変えてきてにやにやが凍りつきました。理不尽なクライマックスと、さらに理不尽な結末とで、エレベーターではなく絶望という名の箱の中に閉じ込められたような読後感が良いですね。





原田宗典「飢えたナイフ」

「私」は妻を連れて学生時代の後輩・Sの家へ行く。Sは仕事でバンコクを訪れた際に入手した、「握ると最愛の人を刺してしまう」という曰く付きのナイフを「私」に見せる。そのナイフに畏怖を覚えつつも惹かれてしまうSと「私」だったが......。


これは怖い。
曰く付きの恐ろしいナイフが出てきますが、恐ろしいのはナイフそのものではなくそれに惹かれてしまう主人公と友人・Sの心の方。
「最愛の人を刺してしまう」という曰くを知っていながら、握ってみてそんなことはないと安心したいという気持ちと、さらに奥にある(ややネタバレ→)「自分の最愛の人は妻なのか、自分自身なのか」という好奇心に苛まれる主人公の心理描写がスリリングで、読んでいてとても怖かったです。そして、いかにもな雰囲気の夜に満を持して訪れる結末は、分かっていながらも衝撃的。さらに最後まで読み終わると登場人物への印象が一転して恐怖にも増して悲しい余韻が残るのは本当に上手いです。(ネタバレ→)そりゃ年上のお姉さんにからかわれていたらある種の男は好きになっちゃうものなんですよ。ラストまでそこに気づかせずにいながら、読み終わってみればSが「私」の妻を愛しているのが当然とすら思えてしまうから凄いです。
本書の中でも個人的にはこれがイチオシ。





吉本ばなな「らせん」

閉店後の雑貨店で会う恋人たち。暗い店内で女は「余計な記憶を失くすセミナーに参加する」と切り出す。どの記憶を失くすかは分からない。男は、女が自分のことを忘れたい......と思っていることを忘れたいのだと察する。その時......。


これをホラーアンソロジーに入れてくるところがおしゃれですね。
恐怖というのは分からないことから来ます。この作品は恋愛小説であってホラーという感じはしませんが、分からないということなら恋愛こそその際たるもの。そういう意味では優れた恋愛小説はみな恐怖小説でもあると言えるかもしれません。
「らせん」とは二重らせん。男と女は二重らせんのように常に共にあり、決して同じものとして交わることはないけれど、体と同じように心も対になって2人いてはじめて愛が完成するもの......という美しい小説でしたが、そうするとやっぱりホラーではない気がしてきました。らせんっていうタイトルは鈴木光司を想起させてホラーチックではありますが......。
ともあれ、ロマンチックな舞台の美しさと壮大な心象風景の美しさだけでも映画のワンシーンのように印象に残る佳品です。





景山民夫「葬式」

以前から霊感のあった作家の「俺」は、ホラー小説を書いているうち、ついにはっきりと霊が見えるようになってしまう。そんなある日、かつての同級生が若くして急死したという知らせが届く。「俺」は、彼の葬式に出ることになり......。


ホラーアンソロジーでありながら幽霊を扱った作品はこの短編ただ一つ(うーん、「ペンライト」もそうかもしれないけど......)というところに本書の面白さがあると思います。
その分この短編は「幽霊」というものに関して、またそこから「死」というものに関して描いた随筆のような趣もあります。
私自身は幽霊というものは信じていませんが、こうも分かりやすい文章で説明されるとその存在にも納得してしまうから面白いです。それはこの作品に描かれる死後というものが、悲しくも案外優しいからでもあり、こういう死後があってくれればなと思わされるから納得しちゃうというのもありますね。とはいえ現実には多分ないので、生きてるうちに頑張りましょうというお話ですね。





・森瑤子「海豚」

幼い頃、故郷の田舎の村でイルカ漁を見て、その肉を食ったことへの罪悪感を抱える主人公。時は流れ、彼女の娘がある日......。


「イルカを食べること」という題材の採り方が絶妙ですね。「優しい」「人間より賢い」と言われることもあるイルカという存在。自ら殺されにくるというイルカの行動への畏怖と罪悪感。この辺のなんとも複雑だけれど「悪いことをしている」という感覚が体の奥に残る感じ......それが文章からじわじわと伝わってきてなんとも厭な気持ちになります。

以前、まさにこの小説に出てくる太地のイルカ漁を批判したアメリカのドキュメンタリー映画があったと記憶していますが、本作はそうした批判や擁護とは無縁に、個人の体験としてイルカ食を描くことで恐怖小説としています。私は理屈としてはイルカ肉を食べることになんの問題もないと思っていますが、それとは別に個人の感情としての畏怖、罪悪感、幼少期のそうした記憶が日常の中でふいに蘇ることの理不尽な恐ろしさ。「過去」というのは変えられず消すことも出来ないので、人間にとって二番目に恐ろしいものだと思います。もちろん一番怖いのは「未来」ですけどね。そこには主人公の脳裏に焼きつくイルカたちと同じ末路、つまりは死が待っているから......。なんて。





村上龍「ペンライト」

風俗嬢の主人公と、頭の中にいるキヨミという女の子のお話。
村上龍、初めてでしたがこんなエグいとは......。というかわりとエグいのが売りらしいですね。作風に関する知識がまるでなかったので勝手に文学性の高い恋愛小説みたいなイメージ持ってました。もっとも読んだことないからそういう作品もあるのかもしれませんね。
ともあれ、この短編はもう酷いもんですよ。いい意味で。
主人公の愚かさに苛立っていいのか憐れんでいいのか悲しんでいいのか何とも言えないですけどとにかく嫌ぁな感じが一人称語りから溢れ出ていて読んでいて不愉快ですね。もちろん、いい意味でね。
クライマックスのエグいシーンは視点と語りの工夫も効いて気持ち悪いのに一気に読まされるスピード感があってそれがまた気持ち悪いという恐ろしい名シーンになっていますが、本当に怖いのはその後。ラストシーンの主人公の(ネタバレ→)変わらなさ、変われなさこそ一番怖かったですね。

武者小路実篤『友情』読書感想文

武者小路実篤という名前は前から聞いたことがあったのですが、彼の耄碌してから書いたらしい文章

僕も八十九歳になり、少し老人になったらしい。人間もいくらか老人になったらしい、人間としては少し老人になりすぎたらしい。いくらか賢くなったかもしれないが、老人になったのも事実らしい。しかし本当の人間としてはいくらか賢くなったのも事実かも知れない。本当の事は分からない。

というのを読んでてっきりシュルレアリスムの作家なのかと敬遠していました。
ところが実は童貞文学の権威だということを小耳に挟んでちょっと気になって読んでみたんです。そしたらね......。


友情;初恋 (集英社文庫)

友情;初恋 (集英社文庫)




......俺やん!

はい、本作は初出が1919年、今から100年も前に描かれた小説なのですが、そんな風にはとても思えないほどリアルに、我々非モテ男子の心理を描き出しています。
モテないということは時代を問わずに普遍的なものであるという絶望と安心を感じました。

とりあえず、最初に言っておきたいのはモテない男子はこれ読むといいですよ!ということ。これはもう絶対。100年前から自分と同じ人種がいたと知るだけでも心強いことは間違いないので!


本作は上篇/下篇の二部構成になっていますが、上篇は「童貞の恋」、下篇は「失恋」についての話ですね。
以下では私を悩ませた「童貞」「失恋」について書いていきます。例によってネタバレ云々の小説ではないので結末も書きます。嫌な人は注意。




童貞

まず、「童貞」という言葉ですが、これはウィキペディアによると「性行為を経験していない男性を指す言葉」とあります。
ただ、そうした単純な「やった/やってない」という肉体の話以外に、精神的の童貞というものもあります。いわゆる非モテというのに近いですが、そこに文学や音楽の影響も入ってきたりして孤高と孤独の間で板挟みになって苦しいアレ、それが精神的童貞というもの。
そして、この『友情』という小説は、その精神的の童貞についてめちゃくちゃリアルに描かれているわけなのです。

本作の主人公の野島くんは杉子さんという女性を恋します。
初期症状からし

新聞を見ても、雑誌を見ても、本を見ても、杉という字が目についた

といういかにも「あるある〜」と言いたくなるもの。というか、この気持ちを知っている人には本作は刺さり、知らない人には刺さらないであろうという試金石みたいな一文ですよね。私はこないだ川谷絵音のことが好き過ぎて川口春奈川谷絵音に空目したので凄く分かりました。いや、マジで言うと未だに昔好きになった人の下の名前と同じ音を発声できないので、刺さりました。

上篇では、こういう発端を皮切りに、童貞あるあるをこれでもかと連打してきます。
それぞれの描写は読んで味わっていただくとして、ざっくりまとめると、恋への重さが童貞というようなことが書かれています。
「恋なんていわばエゴとエゴのシーソーゲーム(えーっえーっへー)」という諺もある通り、恋とはエゴであることは間違いないのですが、童貞というのはそれに加えて恋愛至上主義を掲げているから重くてめんどくさくて気持ち悪いのです。

主人公の野島くんは、自分の恋心はライバルの早川氏のような肉欲まみれのウェイ系とは一線を画すと思っています。
しかし、一方では杉子さんの美しい肉体に話しやすい女友達の武子さんの心が入っていたらどんなにか良いだろうと考え、自らもエゴと肉欲にまみれているのではないかと苦悶します。

斯様に、童貞という人種の恋愛は非常にめんどくさく、本作はそんな「精神的童貞あるある」を生き生きと活写した童貞小説なのです。
そして、童貞の行き着く先はみな同じ。
「恋愛対象として見れない」「友達だと思ってたのに」「生理的に無理」「ストーカーキモい死ね」など、パターンはそれぞれながらいずれも必ず手酷く低レベルの失恋へと特攻して行くのです。そして討ち死にしてこそ童貞に殉じて二階級特進出来るわけですな。





失恋

というわけで、下篇では野島くんの手痛い失恋が描かれます。
本作に、また併録されていた「初恋」にも、「失恋するものでは決してない」(失恋なんかしないほうがいいの意)という言葉が出てきます。その通り、失恋というものはとんでもなく痛いんですね。それこそ私なんかは本気で死にたくなるくらいに。
好きな人が自分のことを何とも思っていないというだけでもしんどいのに、彼女に将来好きな人が出来たらどうしよう。その男と彼女が付き合いだしてあんなことやこんなことを......なんて、文章にして書けば簡単ですけど、私は振られた時に文章にして数行のたったこれだけの思考を一年近くに渡って起きてる間は常に、下手すりゃ夢の中でまで再生し続けていましたからね。常に頭の半分くらいを絶望が占めている状態、ふつうにしんどいんですよね。そしてよくいう「時間が解決する」というのは真っ赤な嘘で、恋の痛みを癒すのは新しい恋だけなのです。
まぁそれはともかく、本作は上篇では童貞の主観を描いたノンフィクションに近い小説だったのに対し、下篇ではいきなり小説ならではの視点移動を駆使して、杉子と、杉子を射止めた野島の親友・大宮の手紙のやり取りに話が移ります。
それによって、杉子が野島のことをどう思っているかについて忌憚ない意見を読めるわけですが......これが要約すると「あの童貞まじキモいんですけど生理的にムリ」というものなので、今まで野島視点で物語を読まされていた読者は血反吐を吐きながら死んでいくしかありません。

童貞というのは軽いものでしかない恋というものを思い込みによって重くしていく人種なんですよ。そうやってどんどん自分の中だけでエゴを膨らませていく。
だから相手からしたら気持ち悪いし、どういうつもりなのかすらよくわからない存在になってしまうわけで、野島くんが杉子さんに生理的にムリと思われたのも至極当然と言えるでしょう。
そして、実態のない恋はもはや自分の中で膨らみすぎてそれが急に行き場を失った寂しさ、取り返しのつかない気持ちはホントにエグいわけです。それこそ、「失恋するものでは決してない」と思うほどに。いや、いっそ「もう恋なんてしない」とまで。
しかし、「何遍も恋の辛さを味わったって
不思議なくらい人はまた恋に落ちてく」という諺がある通り、併録の「初恋」においては失恋した武者小路が身近な女の人を手当たり次第に好きになっていく様子が描かれます。
結局のところ恋の傷を癒すのもまた恋でしかなく、恋とは煙草やドラッグと同じで一度始めてしまうとやめようと思っても意志の力で簡単にやめられるものではないわけです。

しかし、本作の素晴らしいところは、最終的に「だから童貞はクソ」と言っているわけじゃないところです。
大宮と杉子のことを知った野島は四畳半の部屋(イメージです)で暴れ回り、大宮にもらったデスマスクをブチ壊して家に火をつけて死ねえぇぇと叫びながら街を走り回ります(嘘です)。
でも、その後でこのことを糧にして世界を変えるような男になろうと決意します。純真無垢であることが童貞の気持ち悪さに繋がる様を散々描いておいて、最後に純粋に高みを目指そうとする野島の高潔さを描いて終わるわけです。
上に私は失恋すると死にたくなると書きましたが、野島くんの場合は失恋したことで生きることへの情熱を燃やす、ここに童貞の失恋を否定せず優しく包み込むような本作の優しさがあるのです。

だから、本作は恋に悩む童貞の方、またかつてそうであった方にとっては心を抉られるキッツい物語にして、救いの物語でもあるんです。
本の感想と言いながら結局自分のことしか書いてない文章になりましたが、現/元を問わず恋に悩む童貞にとってはまさに自分のことのようにのめり込んで読める本であるということ。さぁ、あなたの心の傷を直視して癒してみませんか?






参考・引用文献
Mr.Children「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」

浦賀和宏『HELL 女王暗殺』読書感想文

前作『HEAVEN 萩原重化学工業連続殺人事件』の姉妹編というか前日譚というか、な続編です。

HELL 女王暗殺 (幻冬舎文庫)

HELL 女王暗殺 (幻冬舎文庫)


色んな話が交差してややこしかった前作に比べ、今回は2人の主人公の視点を行き来するだけなのでとても分かりやすかったです。



主人公の1人は、母親を殺され、顔も知らない大物の父親からの仕送りで仕事もせずに暮らす青年・武田くん。
もう1人は、武田の友人で、作家になったものの何も分かっていない親類どもに笑われ、編集者には見切りをつけられと、世の中へのフラストレーションを溜め込む青年・久能くん。
武田くんは訳あって訪れたホテルで誰かから逃げている記憶喪失の女の子・理穂(仮名)に出会い、久能くんはファンだと名乗る女の子・カンナに出会う。

そう、本作は2人の鬱屈した主人公青年に訪れる突然の青春を描いた二重ボーイ・ミーツ・ガール小説なのです!
やっぱり私にとって浦賀作品の醍醐味とはこういう熱い鬱屈の描写に他なりませんので、この作品はとても心がやられました。ええ。



武田くんのこと

まず武田くんパートについてですが、これは率直に申し上げて理想の生活ですね。
働かなくても私の月給のウン倍という金額が毎月振り込まれてきて、男なら誰もが振り返るような美女と同棲して常に全裸で昼も夜もなくヤリまくる生活ですからね。これ羨ましくない人はいないでしょ?いたらギゼンシャ星人ですよ。
しかし、彼には普通の両親というものがありません。父親は愛人の母親に自分を産ませ、義務のように金だけを送ってくるだけの存在。そして、母親は死に際に、自分は彼の本当の母親ではないという驚きの事実と「1101」という謎の数字を言い残します......。さらに彼は幼い頃に病気で心臓に人工弁を入れています。
この「両親を知らない」「心臓が機械で出来ている」ということが彼のアイデンティティの根拠を脆弱にし、理穂(仮名)との生活こそがアイデンティティだと自らに言い聞かせながらも世界との断絶に不安を抱く......。一見めちゃくちゃ幸せな生活だけど、そこには常に終わりの予感が、いや、最初から間違っているのではないかという不安すら漂う、この感じが堪りません。
また、「理穂(仮名)の記憶が戻れば彼女は自分の前から消えてしまうかもしれない」、という不安は、「本書はミステリなんだから以上彼女の記憶もラストで謎解きされるであろう」と知っている読者に対してメタ的にダメージを与えてきます。
私自身、自分の存在の軸がまるっきり定まっていないブレブレ人間なので、恋愛においては常に終わりの予感を見てしまいます。だから武田くんと理穂(仮名)ちゃんの関係の危うさには「あんっ///そこはダメっ///」みたいな感じでビンカンに反応してしまいました。
まぁ、とゎいえ、いちゃつく2人はめっちゃバカップルなんですけどね。童貞がちょっと女作るとこれだから......という微笑ましさ半分ウザさ半分の性的な日々......。
あ、忘れてたけど彼の周りで起きる心臓を持ち去る連続殺人も面白いです。......いや、ミステリである以上に青春小説だからミステリとしての事件のことを忘れる体たらく。それくらい鬱屈した心理描写が見事です。




久能くんのこと

一方の久能くんですが、鬱屈度としてはこちらもヤバいですね。
作家になったものの周りに振り回されて才能を潰してしまったこと、そして自分を虐げてきた馬鹿な世間の奴らへの恨みつらみが、それはそれはもう彼のパートが始まる最初のページからノンストップで繰り広げられるのです。
面白いのが、浦賀作品でよくみられる作家の愚痴の部分。

>>現代のアニメや漫画やライトノベルに触れる若者は、作品の物語や世界観を楽しむのではない。メイド服や猫耳のような刺激に反応して楽しむのだそうだ<<

これなんか、こんなこと言ったら怒られそうですけどクソわかりますね。私としてはキャラ萌えとかクソ喰らえと思ってるので、そういうのが持て囃されていることへの驚きというのもむべなるかなという気持ちですね。

それはまぁどうでもいいとして......。
編集者や母親など特定の人物への怒りと、世間というものへの怒りとが綯交ぜになり、とにかく俺は怒ってる!というモノローグは一瞬で破壊衝動炸裂のクライマックスを迎えるわけです。
たぶん、怒りというのは人間の感情でもかなり強い部類のものなんでしょうね。だからそれに乗せて書かれた文章はとんでもないスピード感を持つ。よくニュースで「ついカッとなって殺した」というのを見ますが、それもあながち分からなくはないですよね。私だって夜中に爆音で走る改造バイクに起こされたりしたらぶち殺したくなって部屋の中暴れまわりますもん。てかあいつらマジ殺していいよな殺そうぜ。

話が逸れましたが、そんな怒れる彼が自分の小説のファンだという少女と関わるようになって物語は動き出すわけです。

こうした久能くんの怒りと殺人衝動は、内に向いていた武田くんの鬱屈と対照的になっているので、一見両者ともに若者の憂鬱を描いているようでも違った読み味になっているあたりも上手いですね。
とまれ、我々のような陰キャラはたいてい内向き外向きの2つの鬱屈を抱えているわけですから、本書はさぞ刺さることでしょう。全ての陰キャラにこの本を捧げたいですよ私は。




ミステリーとして、シリーズとして

さて、登場人物への言及が長くなりましたのでミステリー、シリーズとしての部分にはあっさりと。

筋がシンプルなだけにミステリ的なトリックの部分も非常にシンプルにはなっているのですが、ミステリを読むの自体久しぶりだったこともあってか案外すんなり驚かされてしまいました。
さらにその後のもう1つの意外な真相については、著者が好きであろう作品と同じネタがダイレクトに使われています。ファンは「あ、あれじゃん」とにやにやしながらも本作の幕引きに相応しい重苦しくも鮮やかな結末に涙すること請け合い。著者の作品では例えば『ファントムの夜明け』とかもモロにアレじゃんというネタを使いながら自分の作品として確立させている、こうしたオマージュのセンスも浦賀作品の魅力ですよね。

シリーズ的には、前作で謎のままだった点への種明かしになっている構成が『記憶の果て』『時の鳥籠』と重なり、"安藤直樹セカンド・シーズン"としては非常にエモいです。
さらに、直接的にファーストシーズンとの関連も見せ、いよいよ壮大な一連のサーガの終結となるであろう次作への期待をいやがうえにも煽ります。煽ってきやがる!煽るだけ煽って出さないなんてことはないですよね......。せっかく文庫化したんだから、どうかシリーズの幕引きを見せてください浦賀先生。

怪談マンガアンソロジー『コミック幽』

先日友人と小牧古書センターへ行ってきました。お店の広さはブックオフの小型店より小さいくらいでしたが、雑誌(バイクとか音楽多め、『幻影城』なんかも!)、エロ本、そして漫画が充実したお店でした。

そこでなんとなく手に取って、収録された作家のメンツの豪華さに思わず買ってしまったのがこちら。


コミック幽 (MFコミックス)

コミック幽 (MFコミックス)



収録作品は、以下の通り。



実際にこの中で過去に読んだことあるのは諸星さんと中山さん、摩耶さんくらいですけど、高橋さん五十嵐さんも名前は聞いたことあって気になってた作家さんだったので、そりゃ買いますよ。



収録作のバラエティに富んでいるのがなんといっても良かったです。
収録作品は大半が6ページ程度の超短編です。
そんな縛りがありながら、実話系怪談風のものから怪奇幻想、現代ホラーに小泉八雲にエッセイ漫画まで、ひとくちに怪談マンガアンソロジーといっても幅広い作風を網羅していて、一冊で飽きずにいろんな世界を楽しめました。
ホラー系の漫画を読んでみたいけど何から読めばわからない!という私みたいな人にはオススメ。
一方、最後に書きますがアンソロジーとしては収録順がまずいような気がするのが難点です。もちろん、あえてなのかも知れませんが......。

では以下各話の感想をちょっとだけずつ。





諸星大二郎
「ことろの森」「あもくん」「呼び声」「呼び声」「ドアを閉める」「猫ドア」


守という息子を持つ平凡な父親の「私」が体験した六つの怪談の連作。
同じく幽から出てる実話系怪談の本に載ってそうな感じの、日常と地続きの怪異を描いたオーソドックスな怪談集です。
各話とも導入から結末まで常に一定のトーンで淡々と語る主人公が一番怖いみたいなところがあって面白いです。いやいや、そこもっとびびれよ!と言いたいくらい、怪異に対しても淡々としてる。でもたぶん私が実際こういう現象に遭遇しても「ウワーッ!!」とは言わないと思うので、そのへんすごくリアルで怖かったです。
特に気に入ったのは、オチがお話として不気味な「あもくん」、オチが絵として不気味な「猫ドア」のふたつですね。

ちなみにこのシリーズ、その後単行本化もしているようなので気になります。諸星さん結構好きだしいずれ読もう......。





押切蓮介
「赤い家」「黄泉の風」「暗い玄関」

最近、といってもちょっと前からですがホラー系マンガの話題になるとたびたび名前を聞くようになった作家さんで気にはなっていたので読めて嬉しいです。
諸星さんのノスタルジックな作風に比べ、こちらは現代の日常の中に恐ろしいものを描いています。陰鬱な「赤い家」、中身のない「暗い玄関」はイマイチでしたが、「黄泉の風」はオチが見事に決まっていて二重の怖さがある傑作ですね。
あと絵柄も可愛くてちょっと不気味で良かったです。また読んでみたい。





五十嵐大介
「背中の児」「しらんぷり」

短いページ数で、説明しすぎることなく不気味なものの姿を描き出した二編。ショートショート・ホラー漫画という縛りに期待するものを本書で最も見事に体現していると思います。ノスタルジックな雰囲気も素敵。





中山昌亮
「呼んでる?」

『不安の種』を何冊か読みました。この話もああいうビジュアルインパクト重視の作風ですね。ただこの短さでこれをやると「そんだけ??」という拍子抜けのような感想を持ってしまいますね。ストーリーがないのに冒頭だけなんかストーリー仕立てなのもその要因かもしれません。なんにせよ、こういう作風だともっとじっくり焦らすべきなんだろうなと思います。





伊藤三巳華
「憑々草」

見える著者がホラーな体験を憑々なるままに綴ったエッセイ漫画。
なんというか、もう私の好みの問題として、こういう自分の世界に浸った感じのエッセイ漫画自体好きじゃないんですよ。しかも私はまるっきり、"信じてない"から、エッセイとしてホラーな体験をガンガンぶつけられると引いちゃうところもあり......。
すみません、要は合わなかったんですね。





高橋葉介
「陰陽」「紅い蝶」「ふらんそわ」「蛇女の絵」「森を駆ける」「心霊写真」

これは大好き!
BUMP OF CHICKEN曰く、胸を張って誇れるもんは名前と誕生日とキュートな指紋くらいあれば十分らしいですが、私は誕生日が江戸川乱歩と同じことだけは胸を張って誇ってるんですよ!......どうでもいい。
で、そんな感じに乱歩先生をリスペクトしている私なので、こういう怪奇幻想探偵小説的アトモスフィアをぶちかました作品は大好物なのです(小説じゃないけど)。
だから、一本目の「陰陽」を読んでもう、やられました。そこから「蛇女の絵」までの4編は、いずれもエログロと戦前ロマンに溢れた作風。とにかく絵がステキですね。これらの作品で描かれる女たちは可愛らしくも艶やか。エロさに喜ぶとともに、女という存在への根源的な畏怖が湧き上がってきます。
お話としてはオチがオシャレすぎる「紅い蝶」が、ヒロインでは可憐な少女から生々しい妖女への返信が印象深い蛇女さんがそれぞれお気に入りました。ふぁぼ。



この画風はサブカル厨殺し


一方、後半の二話はここまでの話とは雰囲気がガラッと変わります。
「森を駆ける」は、童話から材を取っただけあってメルヘンな雰囲気。しかし不思議な構造の中に取り残されたような読後感はやはり怪奇小説ならではですね(だから小説じゃないってば)。
「心霊写真」はというと、もう最初っから奇抜な構成で楽しいですね。コピペのようですが、一応ちゃんと一コマごとに書き直してるようで微妙に顔が違ったりします。ラストは爆笑もの。というか、これ駕籠真太郎ですよね!?駕籠真太郎がよく書いてるのこういうの。

ってわけで、本書収録の中でダントツ一番好みな作家さんでした。好きすぎて4冊単行本を買ってしまいましたよ。それの感想もまたいずれ......。





秋山亜由子
「安芸之助の夢」

ラフカディオ・ハーン......おっと失礼、教養が滲み出てしまいました。いわゆる小泉八雲氏の作品を基にしたお話です。
夢の中でひとつの人生を体験する、という出来事自体が非常に詩的で素敵です(押韻技法)。
ここまでのものはなかなかないものの、自分も普段夢の中で妙にリアルな自分以外の人生を体験することが昔はたまにありました。そんな時、起きてからなんとも言えない気持ちになるものですが、その「なんとも言えない」がラストの安芸之助の表情に見事に表れていて余韻が残ります。この辺は漫画ならではの醍醐味ですね。
読者もたった数ページでめくるめく夢を見た後のような心地に浸れる傑作。





花輪和一
「柿」「魂魄」「浸水」「みそぎ虫」「迷路」「祟り」

どのお話も、戦前くらいの雰囲気の田舎が舞台で、ものすごく日本のホラーらしい空気感が楽しめます。絵の感じも、決して綺麗ではない、むしろどこか汚らしい絵ですがそれが内容にマッチしていて雰囲気はいや増すばかり。
ストーリーは魂魄などの怪異が出てくる話が多いですね。9割方シリアスなのですが、ラストだけ妙にギャグになってて、たぶんわざとそういう作風なんでしょうけど、その不思議な読み心地がクセになりますね。最初はなんぞこれと思いましたけど、案外好きです。





魔夜峰央
トランシルバニアの化け猫」

パタリロのミステリーの巻を読みましたが、だいたい同じ感じ。怪談というよりゴシックホラーミステリですが、吸血鬼の末裔に会いに行くという設定の時点でめちゃくちゃ面白いです。ヒリヒリするやりとりにするっと潜ませたギャグのセンスも抜群。やっぱこの人の作品好きかもしれません。パタリロもっと読も。





波津彬子
「幽霊、恩を謝する事」「化鳥」

前者は「耳袋」の中の一話、後者は泉鏡花の同名短編を、それぞれ原作にしています。
前者はなんてことない話ですが、絵が付くことで叙情が際立ってます。
逆に後者は小説で読むとちょっと難しく感じる話ですが、絵で書かれるとすんなりと感情移入できちゃいます。
いずれにせよ、文章を漫画にすることがいい方に出た二作品です。





大田垣晴子
「あなたが怪」

妖怪図鑑。しかしただの妖怪図鑑ではなく、妖怪の特徴を挙げ、それに似た特徴を持つ人間をあげつらって「あなたが怪!」とやっつけるコラムみたいな漫画です。
発想は面白いけど個人的にはあんまり合いませんでした。というのも、だいたいが見開き2ページだけで妖怪の紹介とエッセイを詰め込めんでるから内容が薄いんですよね。
絵の可愛らしさに騙されそうになりますが、内容はだいたいがしょーもないor品のない性に関する話題ばっか。それでも箸休め的に他のお話の間に入ってればいいものの、なんでか知らんけどこれが本書のトリなのでなんとも尻すぼみになってしまっているのが惜しいですね。

感想を書くときに気をつけていることについての頭空っぽな文章


こないだツイッターでなんとなく「ブログ」というものの話題になった時、なんとなく私が「ブログ書く時気をつけてることありますか?」と言ったら、その後フォロワーさんが気をつけてることについてブログに書いてたんですね。それ読んでなるほどなぁと思ったので、私も普段気をつけようと思ってることをまとめてみます。
考えてみればこれまで感想以外のことを書いてこなかったので自己紹介がてらね。また、自戒のためにね。





1.ふざける

はい。
そりゃね、私だってカチッとした文章で「この作品は何々で何々故に何々である」みたいな評論調の鋭い感想を書いてみたいという憧れはあるんですよ。しかしいかんせん頭が空っぽなので難しいこと考えるとお尻の穴がムズムズしてくるわけです。
でも一応ブログという形で人様にお見せしている以上、読んでくださる人に無駄な時間を過ごさせるのが申し訳ない気持ちはあるんです。だからせめてふざけたこと言って気楽に読んでもらえるようにだけはしたいなぁというお話。



2.解説じゃなく感想を書く

ブログで感想書いてると、どうしてもその作品について調べていて他の人の感想を見たりすることがあるんです。そんな中で私が一番嫌いなのが例のアクセス数稼ぎたい感バリバリでなんか客観的に解説してますみたいな雰囲気を醸し出しつつ内容が薄いアレ。川谷絵音の曲名の後ろにに「ベッキー」とつけて検索すると出てくるタイプのアレ。
あれ、好きな作品について書かれるとムカつくんですよね。私の好きな作品について上辺だけで適当に褒めるくらいならむしろ主観丸出しで思いっきりディスってくれた方が全然嬉しい。
というわけで、たとえ解釈が普通とズレても、内容が薄っぺらくても、とにかくできるだけ解説ではなく感想になるようにだけは気をつけたいですね。
頭悪いから解説なんか書けないだろとは言わんといてや〜。



3.恥ずかしいことを書く

前のやつの続きみたいになりますが、主観で書くなら多少恥ずかしい感情や経験も書かないとダメですね。
というのも、私の23年間の人生なんてモンゴルの人口くらい密度が低いものでしたのでね。人生観そもそもぺらっぺらで深いことなんか書けるわけもないんですから、せめて恥ずかしいところまで曝け出さないと面白いことなんか書けないんですよね。っていうかお金もらえるわけでもないのになんでそこまでブログのために身を投げ出さなければならないのか......。

......そうか、今気づきました、感想ブログをやる上で一番気をつけるべきことは、感想ブログをやらないことです!

......というわけで、これからも恥を晒しながら精進してまいる所存でございます。今後ともよろしくお願いいたします。


記事のアイコンがほしいので何も関係ないですが一昨日書いた「平成最後の13日の金曜日」のイラストを載せときます。可愛いですよね(自画自賛)。