偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

トリプルヘッド・ジョーズ

まーたクソくだらねえサメ映画観なきゃいけないのかやれやれまったくカンベンしてほし......あれ、面白い......?

トリプルヘッド・ジョーズ [DVD]

トリプルヘッド・ジョーズ [DVD]

製作年:2015
監督:クリストファー・レイ
出演:カルーシェ・トラン、ジェイソン・シモンズ、ロブ・ヴァン・ダムダニー・トレホ

☆3.4点


はい。なんと本作、「ダブルヘッド」や「ファイブヘッド」に比べて普通に映画として面白かったです。比べる相手が悪いとも言えますが、やれば出来るじゃん!


まずびっくりなのが、オープニングのパニックシーンが終わると、冒頭いきなりなんだか真面目な雰囲気になることです。

本作の主人公は海中にある海洋研究所に就職した新人研究者のマギーとその元カレのグレッグ。
研究所では、環境汚染による海洋生物の突然変異について研究していて、汚染によってフリークスになった生物たちを飼育しています。この辺の設定の作り込みがしっかりしているため、本作では「三つ首の鮫」が登場しても他の超サメ映画につきものの「いやいやありえへんやろ〜ww」がなかったのがまず凄いところです。
そう、ゴジラが公害によって生まれたように、本作のトリプルヘッド・ジョーズもまた海の環境汚染から生まれた化け物です。トリプルヘッド・ジョーズが人間を喰い散らかしていくのは、謂わば我々人間への警鐘。本作はB級映画の皮を被った、メッセージ性の強い社会派映画なのです。


とはいえ、超サメ映画が真面目なだけでは期待外れですが、本作はもちろんサメ方面のバカバカしい映像もてんこ盛り。
サメはイルカショーのように華麗に宙を舞い、三つの頭で人を喰らう!サメに食われた人間は牙の間から断末魔の表情を!もちろんおっぱいも盛りだくさん!(※健全な映画だからポロリはないよ!)。


そして、展開の広げ方も魅力的です。
序盤は水中の研究所からの脱出で引きつけてくれます。水中施設の閉塞感がサスペンスを際立たせる見事な引きでしたね。
さらに船を手に入れてからはいよいよサメ映画らしく、船上の人々の人間模様とサメによる容赦ない襲撃に今度はアクション的に手に汗握ります。
さらに終盤はホラーっぽさやどうやってサメを倒すのかというミステリー的な要素も......すみません言い過ぎました。でもサメの倒し方はなかなかバカバカしすぎて逆に意表を突かれました。
超サメ映画ってどうしても出オチみたいなもんで、序盤で飽きちゃうことが多いですが、本作はこれだけ展開がうねってくれるので飽きずに一気見でした。
さらに、個人的に一番好きなのがラストシーン。(ネタバレ→)普通はこういうB級映画って最後倒したと思っていたサメやゾンビや殺人鬼が実は生きてたり新しく出てきたりするわけですが、本作はそれを皮肉っぽく茶化しながらきちんと平和を取り戻して終わるのがステキです。ストーリーに力を入れていただけあって、最後で無粋にぶち壊すようなことをしないんですよね。超サメ映画でありながらシャレたラストシーンでした。


というわけで、なめてかかってましたが普通に映画として面白い作品でした。と言っても多分信じてはもらえないことは分かっています。自分でも本当に面白かったのか、わりと半信半疑ですから......。

楠田匡介『いつ殺される』読書感想文

河出文庫から最近出てるノスタルジック怪奇探偵幻想シリーズより。
河出さんはここんとこ泡坂妻夫日影丈吉、それからこのノスタルジックシリーズといった国内ミステリの復刊に力を入れているようで非常に嬉しいところです。
今作は、知る人ぞ知るミステリ作家・楠田匡介による長編です。現在新品で手に入る作品がたぶんこれだけっていうくらいマニアックな作家さんなので読めるだけでも貴重ですね。


糖尿病で入院中の小説家・津野田は、自らが入っている病室にまつわる幽霊騒動を知る。
この病室には以前8000万円の公金を横領して心中を図った滝島という男が入っていて、その時以来、看護婦らが女の幽霊を見るようになったというのだ。
この騒動に興味を持った津野田は、妻の悦子や友人である刑事の石毛の力を借りて幽霊の正体を暴こうとする。しかし、やがて何者かが津野田に圧力をかけ始め、津野田はいつ殺されるか分からない状況へと追い込まれて行き......。



まず前半は入院中の小説家が暇を持て余して病室の幽霊騒動を調べるというお話。
地の文と会話の比率が2:8くらいの会話重視な文章で、古い作品ですがかなり読みやすかったです。
特に、津野田と妻の悦子とのやり取りがステキです。

「だって幽霊が出たり......」
「出たっていいじゃないか」
「あたし厭だわ」
「なぜ?」
「あなたの寝顔を、深夜に他人の女のひとに見られるなんて......」
「よせやい!」

可愛くないですか?こんな感じで、ぶっちゃけ悦子さんめちゃくちゃ可愛かったです。結構おばちゃんだけど。
こういった軽妙な語り口で、8000万円の隠し場所探しやトイレでの幽霊消失事件などが描かれていきます。この辺までは謎が謎を呼ぶ展開と、魅力的な会話と、モダンな雰囲気で、めちゃくちゃ面白く一気読みしていました。前半部のクライマックスもスピード感があって印象的です。


ただ、後半はそこから比べると失速したかなぁというのが正直な感想ですね。
津野田が病室で妄想に近い推理を繰り広げる前半から、後半では石毛が足を使ってあちこち飛び回る地道な捜査が主体となっていきます。
で、そのこと自体は、味変みたいな感じでどっちの味も楽しめるお得感があってむしろ好きなんです。ただ、そこで話の軸が滝島事件に纏わる(真ん中らへんで初めて出てくる)四人の女に移ってしまうんです。で、その四人の女が皆、物語に直接登場しない人たちなので「誰が誰だっけ?」となってしまい、ここまで高かったリーダビリティが一気に下がっちゃうんですよね。読者のわがままな意見としては、お話はできれば後半に向かって加速していってほしいもので、逆だと読むのがつらいです。


とはいえ、終盤はワケありの証言者との対話や、黒幕との直接対決、そして明かされる真相と、見所たっぷりで巻き返してくれました。
トリックも今から見ると既視感あったり小ネタだったりはするけどいくつも仕掛けてきてくれてミステリファンには嬉しい限り。その中でわりと大きめなあのトリックなんかは、最初から分かってはしまったものの、小粋な演出も込みで楽しめました。
結末もなかなか皮肉が効いていて良いですね。


というわけで、今読むとやや物足りなさや分かりづらさはあるものの、色々なアイデアがてんこ盛りの長編でした。マニアにはオススメ。

藤野恵美『わたしの恋人』『ぼくの嘘』読書感想文

『ハルさん』のプチブームでミステリ界隈にも名前の届いてきた作家さんですが、今回紹介する2冊はミステリではなく青春恋愛小説です。
私も『ハルさん』を読んでその面白さについついこの2冊を手に取りましたが、これがまた面白く、すっかりファンになってしまいました。
尚、この2冊は内容的に続編ではなく姉妹編という関係性ではありますが、『わたしの恋人』→『ぼくの嘘』刊行順に読むことを想定して書かれているのでこれから読まれる方はぜひ順番に読んでいただきたいです。


『わたしの恋人』

彼女いない歴=年齢だけど、明るくて楽天家の古賀くん。ある日彼は、保健室で出会った少女のくしゃみに恋をした。
古賀くんから告白されたくしゃみの少女・森せつなは、引っ込み思案で家庭に事情を抱えてもいることから、彼を受け入れることに不安になる。しかし、彼の優しさに次第に惹かれていき......。
対照的な高校生の男女の恋を、お互いの視点から交互に描いた青春恋愛小説です。



私自身は女の子となかなか上手くいかないので、常に「古賀ああぁぁぁ!」と殺意に満ちた心で読み進めましたが、なるほど、素晴らしい青春恋愛小説だったと思います。

本書の特徴は、あらすじに書いた通り、対照的な2人の視点が交互に描かれることでしょう。話の内容としては非常にオーソドックスなのですが、だからこそ、お互いのお互いへの気持ちや隠していることまで全て読めることで胸のきゅんきゅんが最大限に引き出されてしまいます。というかきゅんきゅんさせるの上手すぎて......。1ページにつき1回はきゅんきゅんポイントがあるので読んでいて常に死にたい気持ちにさせられました。つらい話を読むよりも、幸せな話を読む方がより死にたくなる んですね......。
あと高校生のくせにここまで彼女のこと考えられる古賀くんはイケメンだと思います。私は常に自己中心的な恋愛しかしないので許すまじと思いました。
 
不満な点としては、2人があまりにも上手くいきすぎてて、後半で起こる恋人関係の危機みたいな出来事も正直そこまで危機にも感じられませんでした。上手くいくのはいいことなのでただの僻みと言われちゃそれまでですが、こんなに上手くいかれるとムカつくしちょっと起伏に欠ける印象にはなってしまいます。
ただ、(ネタバレ→)高校生の男女がキスをするというシンプルな結末には胸が張り裂けて口から血と心臓と吐瀉物が同時に出てきます。いや下品なこと言ってげごめんなさい。

甘いきゅんきゅん成分しかないので、さらっときゅんきゅんしたい人にはオススメ、重いラブストーリーがお好きな人にはやや物足りないかも、という一冊でした。私はどっちも好きなので好きです。しかし誠実なこの2人の恋は、不誠実な私にはあまりにも眩しくて目がこんがり日焼けしそうでしたよ。





『ぼくの嘘』

ぼくの嘘 (角川文庫)

ぼくの嘘 (角川文庫)

笹川勇太が恋した相手は、親友の彼女だった......。
一方、こちらも恋しちゃいけない相手に恋する学校一の美少女・あおいちゃん。あおいちゃんは、勇太が森せつなに恋している証拠を握り、「バラされたくなければ私の恋人のフリをしろ」と彼を脅迫する。そう、恋人がいるフリをして、好きな人とその恋人とのダブルデートをするために......。



というわけで、今作の主人公は、前作の主人公・古賀くんの親友として名脇役ぶりを発揮していた笹川勇太くんです。
前作では味のある脇役に徹していた笹川くんですが、今作はなんと冒頭から彼が好きになってはいけないはずの森さんに恋していることが判明するからアラ大変。
一方、新キャラであるヒロインのあおいちゃんも、好きになってはいけない相手に恋をして勇太を脅迫するというなかなかサスペンスフルな展開に。
前作がとってもぴゅあぴゅあで甘酸っぱくてハッピーでストレートで両想いでFuckな......おっと心の声が......恋愛小説だったのに対し、今回は絶対報われない恋×2という障害多すぎなお話になっています。

個人的には順風満帆すぎた前作よりも好きです。というかむしろ、前作が今作のための壮大な前フリだったとすら思います。だからくどいようですが順番通りにぜひ。

さて、そんな本作の見所はやはり複雑な関係の主役2人です。パッとしないオタクの笹川くんとスペック高すぎ美少女のあおいちゃんという凸凹すぎる2人の感覚のズレ方に笑いながら、それでも同じ悩みを持つ者同士で通じ合うところに切なくなったりとぶんぶん感情を振り回されます。
最初からなかなかしんどい話ですがここに更に追い討ちをかけるように中盤以降2人にそれぞれ事件が起こります。あおいちゃんの方は伏せておきますが、笹川くんの方は裏表紙のあらすじにも書いてあるし、予想もしやすいので書いちゃいます。そう、彼、あおいちゃんのことが気になっちゃうのです!

......ってまぁそりゃそうだって感じの展開ではありますが、ここが良い!ここが良いんです!
私は普段恋愛小説を読まなくて、恋愛も のの作品に触れるといえば専ら映画ばかりになるのですが、今まで結構多くの恋愛映画にある共通の不満を抱いていました。それはズバリ、「恋愛ものって"好き"から始まんじゃん?」。最初から相手のことが好きだったり、出会ったその晩にはもうセックスしちゃった、みたいな話が多い............ってそんなに数観てないし洋画ばっかだからそりゃすぐセックスはするけどさ............気がするのです。もっと、こう、どういう経緯を踏んでどういうきっかけで相手を好きになるのか、そこが観たい!と思っていたんですよ。
それがこの作品の、「笹川くんがあおいちゃんを好きになる瞬間」にはあったんです。
2人がどのように出会って、これまでどんな会話をしてきて、その上でどんなタイミングで、彼が彼女に恋に落ちるのか、謂わ ば「恋の伏線回収」といいますか......。良質のミステリを読んだ時に、「これだけしっかり伏線があれば真相に納得!」と思うのと同じく、「これだけ伏線があれば好きになるのも納得」出来ちゃうんです。はぁ、好き......。

このシーンが本作の一つの山場であることは間違いないんですが、これを皮切りに更に怒涛の山場が連続しま
す。
これ以降のストーリーはネタバレ回避のため詳しく書きませんが、とにかく切ない。どいつもこいつも実らない恋なんてしてドMじゃんと思いますけど、恋ってそういうもんっすよね。切ない。

 さて、ストーリーはこれ以上書かない代わりに、本作で好きな言葉を2つ紹介します。
1つは、あおいちゃんの「恋をして、なお賢くいることは不可能だ」。
うん、言い得て妙 ですね。恋は叶ってもバカになり、叶わなくてもまたバカになり。治療のしようがない最悪のビョーキですね。

もう1つは、笹川くんの「恋愛というのは美しいものなんかじゃなく、妄執の一種で、見苦しいものだ」。
うん、言い得て妙ですね。これまで模範的な人間が登場する美しい恋愛映画を観て愚かにも「恋とは美しいものだ」という幻想を抱いてきました。実際は醜い感情のオンパレードです。

 なんてね、すっかり恋愛否定論者になった気分で読んでたら、ラストに驚愕しました。物凄い豪腕。あんなことリアルにはあり得ないのに、ここまでのストーリーとこの筆力で描かれると強制的に納得させられてしまいます。この感覚、何かに似てると思ったら島田荘司です。あり得ない大トリックをさもありそうに描 く島田荘司の力技を、恋愛小説に置き換えたような。いわば恋愛小説界の『占星術殺人事件』ですよ(全然違う)。
 
と、最後に意味不明なこと言って台無しにした気がしますが、とにかくこれは素晴らしい作品です。
恋をしたことある人なら多少なりとも必ず共感したり身悶えしたりする場面があるはず。そして、これだけの濃い内容なのにさらさらとお茶漬けみたいに流し込める読みやすい文章なのも良いですね。1日でサクッと読めて、長いこと余韻を残す、コスパ高い恋愛小説でした。ぜひ2冊合わせてどうぞ。

連城三紀彦『小さな異邦人』800字レビュー

小さな異邦人 (文春文庫)

小さな異邦人 (文春文庫)

2013年に逝去した著者が遺した短編をまとめた遺作集のような短編集。
しかし、「遺された短編をただ纏めただけならそこまでのクオリティは期待できないか」......などと思っていた読む前の自分をぶん殴りたくなるくらい粒揃いの1冊に仕上がっています。
むしろ、統一テーマがないことがバラエティの豊かさにつながっていて、最後の短編集にして著者の色々な顔を垣間見られます。だから余計悲しくなってしまったり......。

例えば、「指飾り」「さい果てまで」は情感あふれる恋愛小説としての側面が強いのに駆け引きや伏線を扱う手捌きはミステリーとしても読める佳品ですし、 「風の誤算」は "噂"をテーマに、謎の焦点そのものが見えないところに、予想外の方向からのオチがつく変わり種、
「冬薔薇」は夢と現実が錯綜する幻想ミステリーで、無人駅」 「白雨」もいつも通り素晴らしい連城ミステリー。

そして、 「蘭が枯れるまで」と 「小さな異邦人」はこれまでの数多くの連城ミステリーの傑作群にも引けを取らないのです。

「蘭が枯れるまで」は交換殺人という難しいテーマから後半でめくるめくどんでん返しを繰り出して読者を驚愕の坩堝に叩き落とし、ホラーにも通じる恐るべきラストへ雪崩れ込む傑作。

そして表題作の「小さな異邦人」こそ、著者の生涯最後の短編小説にして、歴代連城短編でもトップクラスのこれまた傑作。母親と8人の子供の家族に「子供の命は預かった」と脅迫電話がかかってくるが、家には子供は全員揃っていて.....という筋立てを珍しく少女の一人称で描いた作品です。とはいえ、物語とミステリーの融合といういつもの連城節は炸裂しています。こういう物語を歴代ベスト級のトリックと融合させたこの作品が著者から我々への最後のプレゼントだったのだと思うと、著者の作家人生そのものが1つの奇跡の物語だったようにすら思えます。

本当に惜しい作家さんを亡くしましたが、彼が描いた数多くの作品はこれからも読み継がれるでしょう。本書がきっかけになって彼の作品に触れる読者が増えればと思います。

朱川湊人『都市伝説セピア』800字レビュー

都市伝説セピア (文春文庫)

都市伝説セピア (文春文庫)


オール讀物推理小説新人賞を受賞した「フクロウ男」や、フジテレビ「世にも奇妙な物語」で映像化された「昨日公園」など、全5編収録の著者デビュー短編集。本書の印象をを一言で言えば「狂気や哀しみを描いたノスタルジックホラー」になるでしょうか。しかし、ひとつひとつのお話ごとに、郷愁と恐怖、狂気と哀しみの配分が違っていて一口にノスタルジックホラーといっても色々な味が楽しめます。

夏祭りで目にした「河童の氷漬け」に心を囚われてしまった少年......。おどろおどろしく恐ろしく、しかしどこか懐かしく人間に潜む狂気を描いたアイスマン

昨日に戻れる公園で、死んだ友達を救うために何度も今日を繰り返した少年時代の1日......。号泣必至の切ない結末を迎える青春ホラー「昨日公園」

都市伝説になろうとする主人公はフクロウ男と名乗りインターネットを使って噂を広めていくが......。主人公の狂気をミステリータッチで描き、衝撃の結末を迎えるサスペンスホラー「フクロウ男」

謎めいた女流画家が会ったことのない自殺した画学生との恋を語り出すが、その話はやがて......。一人称の狂気的な恐ろしさに背筋も凍るような「死者恋」

通勤電車から見えるマンションの一室の窓辺には後ろめたさを感じる相手が立っていて......。主人公が見た不思議な"あるモノ"を大阪万博の思い出を交えて描いた「月の石」

このように、収録された5つの物語たちは、1冊の本としての統一性を持ちながら、しかしとってもバラエティ豊か。1冊の中で感動も切なさも謎解きもゾッとする怖さも味わえるお買い得な短編集なのです。
このような一見相反することを両立させ、新人離れした筆力で全話をハイクオリティに仕上げた、まさに破格のデビュー作。
ホラーファンはもちろん、ミステリーファンや青春小説ファンにも、いや、ジャンルの枠など超えて全ての小説ファンに読んでほしい珠玉の作品集です。

飛鳥部勝則『堕天使拷問刑』800字レビュー

HPを消しちゃったんで昔の感想とかこっちに移して行こうと思います。とりあえず2、3年前に某所に書いた800字レビューシリーズを......。実際は1000文字くらいあるけど......。


堕天使拷問刑 (ハヤカワ・ミステリワールド)

堕天使拷問刑 (ハヤカワ・ミステリワールド)



両親を亡くした中学1年生の如月タクマは母方の実家に引き取られることになるが、そこは奇妙な風習と、不可思議な斬首事件の影響が残る呪われた町だった。町で差別を受けるタクマだが、入部したオカルト研究会で、親友や、思いを寄せる先輩に出会い、町での生活を楽しみ始める。再び残虐な斬首事件が起こるとは知らずに......。

著者の飛鳥部勝則氏は本格ミステリ怪奇幻想ホラーを得意としていて、作品の多くに謎めいた美少女が登場することもファンの間では密かな楽しみになっています。
本作はそんなミステリー・ホラー・美少女という飛鳥部作品の醍醐味を全て凝縮した作品です。



まずホラーとしては、因習残る町という横溝正史を彷彿とさせる和風なテイストに、聖書や悪魔崇拝などの洋風テイストも絡んだ和洋折衷な雰囲気。そんな雰囲気の中で、殺人の濡れ衣を着せられ、狂気を孕んだ町中の人々に追われるシーンはさながら地獄絵図のような恐ろしさ。ネタバレになるので言えませんが、ラストのとあるシーンもハチャメチャです。

ホラーとして混沌としすぎていて「ちゃんとミステリーとして解決されるのだろうか?」と不安になるほどですが、心配ご無用。ホラー描写の中に実はこれでもかと伏線を張りまくっていて、解決編ではそれらを丁寧に回収してくれます。また、個々の事件のトリックはそれぞれ「なんじゃそりゃ!」「んなバカな!」と良い意味で笑ってしまうような大胆なもの。そんな大胆なトリックが合計4つも出てくるので、物理トリック好きにはたまりません。さらに村の秘密や意外な犯人など、とにかく過剰なまでのサプライズが仕込まれていて、ミステリーファンにとってはたまりません。

そしてそして!忘れてはいけないのがヒロインの魅力。優しい先輩と、ミステリアスな同級生。それぞれ個性的な2人のヒロインに終始ドキドキさせられっぱなしで心臓が疲れちゃうほど。いや、正直に言いましょう、かなり興奮しました。だってこれ表紙の時点でズルいですよね。というわけで美少女好きにもやっぱりたまらない1冊なのです。

そんなこんなで、本書は著者らしさたっぷり濃厚な、最高傑作と言っても過言ではない作品。ハマったらクセになる飛鳥部ワールドを、ぜひ体感してみてください。

夏目漱石『こころ』読書感想文

昨年は中学時代に読んだ太宰の『人間失格』を再読して「こんなに面白かったのか」と蒙が啓かれたので、続いて同じく中学時代に読んだこの作品を再読してみました。

大正3年に書かれた小説で、作中の時代も明治から大正に移る頃です。平成も終わる今からしたら随分古い小説ですが、読んでみてびっくりするくらい引き込まれ、今尚読み継がれているのも納得いく面白さでした。

(ネタバレ云々の小説ではないと思いますが、モロに内容に触れているので気になる方はご注意を......)

こころ (新潮文庫)

こころ (新潮文庫)


あらすじ

語り手の「私」は、鎌倉で出会った高等遊民の男性を先生と呼んで慕うようになります。先生は妻のと二人でひっそりと暮らしています。「私」に対しては心を開いているようでいて、「恋は罪悪だ」「私を信じてはいけない」などと闇を感じさせるようなことを仄めかします(上 先生と私)
やがて「私」は父が倒れたと言う知らせを受け、田舎へ帰ります。案外元気だった父の様子は、日を追うごとに悪くなっていきいよいよ......という時になって、先生から長い長い手紙が届きますその手紙は、先生の遺書でした。(中 両親と私)
先生は学生の頃、Kという友人と親しくしていました。Kに尊敬の念を抱く先生でしたが、やがてKが自分と同じ人に恋していると打ち明けられ苦悩します。そして先生のとった行動とは......(下 先生と遺書)


リーダビリティ

この作品はよく「ミステリーみたい」と言われています。
それの理由は、「上」の章での先生という人の仄めかしの巧さのためなんですよね。「私なんかゴミだよ」「恋愛なんかクソだよ」とかいう仄めかしツイートを連投しながら具体的なことは言わない元祖メンヘラツイッタラの先生に対し、読者は「もったいぶってねえでさっさと何のことか言えっ!😡」という苛立ちが混じった好奇心を抑えられなくなります。
こうやって「先生が自殺したのは何故か?」「先生の過去の恋愛事件とは?」「先生の墓参の意味とは?」という謎をここで提示し、「下」でその答えが明かされるのが、ミステリでいうところの問題編/解決編のようなんです。
そして、そんな強烈な引きがあるからこそ、100年も前の小説なのに今読んでも読みやすく引き込まれる物語になっているのです。教科書に載ったり名作と言われて堅苦しい感じがしますけど騙されたと思って読んでほしいですね。


さて、それでは内容についてたらたらと書いてみます。いつものことですが解説とか考察とかいう小難しいことは書けないので読んでて思ったこととかを適当にゆるりと語っていきます。


この小説のテーマって家族とか人間の孤独さとか自殺とか学問とか色々あるとは思うんですけど、やっぱり一番分かりやすいところに据えられているのが「恋愛」でしょう。そこで、まずは非モテ恋愛弱者ゴミクソ野朗がこの小説を恋愛小説として読んだ感想を。

恋愛小説として見るなら、本作は、先生とKが共に静(お嬢さん)を恋してしまう三角関係モノです。
時代柄か、登場人物の恋愛観がやたらと重くて、現在だったらこのくらいの三角関係なんかザラにあるのに、彼らはめちゃくちゃ悩んでます。モテ界隈の方にはこの重さ分からないと思うんですけど、私くらいモテないとこんな感じになっちゃうの凄く共感できます。恋愛っていうのは下手なやつほどのめり込んでしまうのです。だから、当時の感覚は知りませんが、今現在にこの小説を読むなら断然非モテの恋愛弱者の方が共感できるに決まってるんです。重くてモテない男子はもうドンピシャだから必ず読むよーに!


で、本書が恋愛小説として面白いのが、読者の判官贔屓を利用して感情移入の対象を二転三転させることでありがちな三角関係をスリリングに描いているところです。

「下」の先生の遺書を読んでいくと、先生視点で描かれているため、当然先生の立場から読み進めることになります。すると、Kが登場するあたりから、自分より優れた人間である(と先生は確信している)Kが自分が恋うお嬢さんと少しでも関わると嫉妬しちゃう先生に「分かる〜」が止まらなかったです。
バカみたいな話ですけど、こういう嫉妬って明治大正の御代から平成が終わる今日までなんにも変わってないのですね。
たぶんKとお嬢さんの側からしたら本当に何でもないことまで全てあいつらがデキてる伏線に見えてしまって、ちょっとでも違うっぽい証拠を見つけるとはしゃいじゃうけどまた「いやまてよ......」と疑心暗鬼に陥る......という絵に描いたような一喜一憂ぶりに感情を乱されっぱなしでした。斯様に側から見たらどうでもいいようなことに敏感になっちゃうのが恋というものなのです。

しかし、ここまでは先生に対して「分かる〜」だったのが、先生の"裏切り"以降は視点だけ先生側に置きつつ感情は一気にKの側へ引き寄せられてしまいます。
ここがなかなか難しいところで、この文章はあくまで先生の遺書であり、Kの気持ちはもはや推測するより他にどうしようもないのです。ただ、少なくとも私だったら、友達に恋愛相談したら親身に話聞いてくれたはずなのに実は騙されてましたなんてことになったらそれこそ死にたくもなりますよ。ここで一気に「分かる〜」がKに対するものになるわけです。

しかし、更にその後、先生の悔恨と(幸せの中にすらある)絶望や孤独がどろどろと描かれていくに従って、私の気持ちもまた先生側に引き戻されてもはや恋愛云々というよりも「人生つらいよね分かる〜」というどうしようもなくしんどい共感へと変わっていきます。

このように、感情移入の対象がころころ変わりながら、恋のつらさがやがて人生のつらさへと膨らんでいくのが恐ろしくも刺激的でした。



自殺

Kは密かに恋い慕っていたお嬢さんを親友である先生に取られて自殺してしまう。また、現在に視点を戻すと先生はKはの罪悪感から同じように自殺する......というのが、我々が教科書で習った『こころ』ですが、彼らの自殺の理由がこうした色恋沙汰だけかと言うとそうではないように見えます。

それがこの小説の深いところなんですよね。畢竟、人の自殺する理由なんて当人にしか、いや当人にも分からないものかもしれません。が、分からないながらもこちらがそれを読み解くためのKeyは色々と配置されているので、「彼らはなぜ死んだのか?」という大きな謎に読者がいつまでも悩めるようになっているわけです。

私が読んだところでは、まずKが死んだ理由は「道」を外れてしまったからなのかなぁと思います。
作中でKの性格について求道者的な面が強調されています。そんなKにとって恋愛というものは軽蔑すべき弱者の遊びであるはずでした。しかし、彼はお嬢さんに恋をしてしまいます。
そこまではまだいいとしても、その後、お嬢さんを先生にとられた時に、Kは「失恋」してしまったのでしょう。失恋の苦しみを味わうということは、自分が完全に恋に落ちていたということ。
Kは日頃から「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言っていましたが、自分がその「馬鹿」になってしまったこと自体への苦しさがあったんではないでしょうか。その証拠に、Kの遺書には「もっと早く死ぬべきだったのに......」という意味の内容がありました。
お嬢さんをとられたことで自分が道を外れたことを改めて突きつけられたからこそ、Kは死んだのではないかな〜と思いました。





一方、先生が死んだ理由はより曖昧ではっきりしないですね。
これはもう遺書に書かれているように、Kへの罪悪感や奥さんに理解されないことへの絶望や明治への殉死など、「たまたま色んな要因が重なったから」としか言いようがないように思いますが、その中の1つとして、「遺書の宛先(=「私」)を見つけたから」というのもあるように思います。だからこそ、本作のメインに見える三角関係に全く関係のない「私」という人物が語り手として作中の3分の2ほども費やして描かれているのではないかな、と。
というわけで、以下で先生の遺書と「私」について書いてこの感想文を終わることにします。





遺書と私

先生は「私」に対して「自分のようにはなって欲しくない」と思っているように見えます。しかし、それでも「私」からの買い被りのような執着が止まないことに罪悪感を覚え、「私」に遺書を出したのかなと思いました。
簡単に言ってしまえば、まだ世間を知らないけれど大学生になって(「私」の父の言によれば)「理屈っぽく」なった「私」に、自分の失敗を伝えることで同じ道を歩まないように釘を刺すような意味合いでの遺書なのかな、と。つまりはアレですね、先生の正体とは、しくじり先生だったわけです!
穿った見方をすれば、先生は「私」に自分の中の情念をぶつける遺書を書きたいがために自殺したような感もなきにしもあらずな気もします。

というわけで、個人的にはこれは、人生の酸いも甘いも知らない「私」が先生の物語を読んで人生を乗り越えていく......のか?という話で、「私」のその後が描かれていないことから一種のリドルストーリー風な(「私」は先生のようになるのか、先生を反面教師として幸せな人生を送るのか的な)味わいもあると思います。

ここからは『こころ』に直接関係ない自分語りなので飛ばしていただいてもいいんですけど、最近自分にとって物語を受容ことの意味が変わってきたなぁと思う今日この頃です。
昔は純粋に娯楽だったのが、一年前からは共感重視に、更に最近は人生の予行演習のように体験したことのないことを体験する機会としてお話を摂取する側面が強くなってきてる気がします。もちろん、あくまで娯楽として楽しむことが最優先ですけどね。
ともあれ、そんな最近の私にとって『こころ』で「私」が先生の遺書を読むことは、自分が小説を読んだり映画を観たりすることに通じるような気もするなぁ、ということが言いたかったわけです。はい。



というわけで、いつも通りまとまりがない文章にはなりましたが、リーダビリティ高くエンタメ性もありつつ、恋や人生の予行演習の役割も果たしてくれる、名作と呼ばれるに相応しい作品でした。