偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

夏目漱石『こころ』読書感想文

昨年は中学時代に読んだ太宰の『人間失格』を再読して「こんなに面白かったのか」と蒙が啓かれたので、続いて同じく中学時代に読んだこの作品を再読してみました。

大正3年に書かれた小説で、作中の時代も明治から大正に移る頃です。平成も終わる今からしたら随分古い小説ですが、読んでみてびっくりするくらい引き込まれ、今尚読み継がれているのも納得いく面白さでした。

(ネタバレ云々の小説ではないと思いますが、モロに内容に触れているので気になる方はご注意を......)

こころ (新潮文庫)

こころ (新潮文庫)


あらすじ

語り手の「私」は、鎌倉で出会った高等遊民の男性を先生と呼んで慕うようになります。先生は妻のと二人でひっそりと暮らしています。「私」に対しては心を開いているようでいて、「恋は罪悪だ」「私を信じてはいけない」などと闇を感じさせるようなことを仄めかします(上 先生と私)
やがて「私」は父が倒れたと言う知らせを受け、田舎へ帰ります。案外元気だった父の様子は、日を追うごとに悪くなっていきいよいよ......という時になって、先生から長い長い手紙が届きますその手紙は、先生の遺書でした。(中 両親と私)
先生は学生の頃、Kという友人と親しくしていました。Kに尊敬の念を抱く先生でしたが、やがてKが自分と同じ人に恋していると打ち明けられ苦悩します。そして先生のとった行動とは......(下 先生と遺書)


リーダビリティ

この作品はよく「ミステリーみたい」と言われています。
それの理由は、「上」の章での先生という人の仄めかしの巧さのためなんですよね。「私なんかゴミだよ」「恋愛なんかクソだよ」とかいう仄めかしツイートを連投しながら具体的なことは言わない元祖メンヘラツイッタラの先生に対し、読者は「もったいぶってねえでさっさと何のことか言えっ!😡」という苛立ちが混じった好奇心を抑えられなくなります。
こうやって「先生が自殺したのは何故か?」「先生の過去の恋愛事件とは?」「先生の墓参の意味とは?」という謎をここで提示し、「下」でその答えが明かされるのが、ミステリでいうところの問題編/解決編のようなんです。
そして、そんな強烈な引きがあるからこそ、100年も前の小説なのに今読んでも読みやすく引き込まれる物語になっているのです。教科書に載ったり名作と言われて堅苦しい感じがしますけど騙されたと思って読んでほしいですね。


さて、それでは内容についてたらたらと書いてみます。いつものことですが解説とか考察とかいう小難しいことは書けないので読んでて思ったこととかを適当にゆるりと語っていきます。


この小説のテーマって家族とか人間の孤独さとか自殺とか学問とか色々あるとは思うんですけど、やっぱり一番分かりやすいところに据えられているのが「恋愛」でしょう。そこで、まずは非モテ恋愛弱者ゴミクソ野朗がこの小説を恋愛小説として読んだ感想を。

恋愛小説として見るなら、本作は、先生とKが共に静(お嬢さん)を恋してしまう三角関係モノです。
時代柄か、登場人物の恋愛観がやたらと重くて、現在だったらこのくらいの三角関係なんかザラにあるのに、彼らはめちゃくちゃ悩んでます。モテ界隈の方にはこの重さ分からないと思うんですけど、私くらいモテないとこんな感じになっちゃうの凄く共感できます。恋愛っていうのは下手なやつほどのめり込んでしまうのです。だから、当時の感覚は知りませんが、今現在にこの小説を読むなら断然非モテの恋愛弱者の方が共感できるに決まってるんです。重くてモテない男子はもうドンピシャだから必ず読むよーに!


で、本書が恋愛小説として面白いのが、読者の判官贔屓を利用して感情移入の対象を二転三転させることでありがちな三角関係をスリリングに描いているところです。

「下」の先生の遺書を読んでいくと、先生視点で描かれているため、当然先生の立場から読み進めることになります。すると、Kが登場するあたりから、自分より優れた人間である(と先生は確信している)Kが自分が恋うお嬢さんと少しでも関わると嫉妬しちゃう先生に「分かる〜」が止まらなかったです。
バカみたいな話ですけど、こういう嫉妬って明治大正の御代から平成が終わる今日までなんにも変わってないのですね。
たぶんKとお嬢さんの側からしたら本当に何でもないことまで全てあいつらがデキてる伏線に見えてしまって、ちょっとでも違うっぽい証拠を見つけるとはしゃいじゃうけどまた「いやまてよ......」と疑心暗鬼に陥る......という絵に描いたような一喜一憂ぶりに感情を乱されっぱなしでした。斯様に側から見たらどうでもいいようなことに敏感になっちゃうのが恋というものなのです。

しかし、ここまでは先生に対して「分かる〜」だったのが、先生の"裏切り"以降は視点だけ先生側に置きつつ感情は一気にKの側へ引き寄せられてしまいます。
ここがなかなか難しいところで、この文章はあくまで先生の遺書であり、Kの気持ちはもはや推測するより他にどうしようもないのです。ただ、少なくとも私だったら、友達に恋愛相談したら親身に話聞いてくれたはずなのに実は騙されてましたなんてことになったらそれこそ死にたくもなりますよ。ここで一気に「分かる〜」がKに対するものになるわけです。

しかし、更にその後、先生の悔恨と(幸せの中にすらある)絶望や孤独がどろどろと描かれていくに従って、私の気持ちもまた先生側に引き戻されてもはや恋愛云々というよりも「人生つらいよね分かる〜」というどうしようもなくしんどい共感へと変わっていきます。

このように、感情移入の対象がころころ変わりながら、恋のつらさがやがて人生のつらさへと膨らんでいくのが恐ろしくも刺激的でした。



自殺

Kは密かに恋い慕っていたお嬢さんを親友である先生に取られて自殺してしまう。また、現在に視点を戻すと先生はKはの罪悪感から同じように自殺する......というのが、我々が教科書で習った『こころ』ですが、彼らの自殺の理由がこうした色恋沙汰だけかと言うとそうではないように見えます。

それがこの小説の深いところなんですよね。畢竟、人の自殺する理由なんて当人にしか、いや当人にも分からないものかもしれません。が、分からないながらもこちらがそれを読み解くためのKeyは色々と配置されているので、「彼らはなぜ死んだのか?」という大きな謎に読者がいつまでも悩めるようになっているわけです。

私が読んだところでは、まずKが死んだ理由は「道」を外れてしまったからなのかなぁと思います。
作中でKの性格について求道者的な面が強調されています。そんなKにとって恋愛というものは軽蔑すべき弱者の遊びであるはずでした。しかし、彼はお嬢さんに恋をしてしまいます。
そこまではまだいいとしても、その後、お嬢さんを先生にとられた時に、Kは「失恋」してしまったのでしょう。失恋の苦しみを味わうということは、自分が完全に恋に落ちていたということ。
Kは日頃から「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言っていましたが、自分がその「馬鹿」になってしまったこと自体への苦しさがあったんではないでしょうか。その証拠に、Kの遺書には「もっと早く死ぬべきだったのに......」という意味の内容がありました。
お嬢さんをとられたことで自分が道を外れたことを改めて突きつけられたからこそ、Kは死んだのではないかな〜と思いました。





一方、先生が死んだ理由はより曖昧ではっきりしないですね。
これはもう遺書に書かれているように、Kへの罪悪感や奥さんに理解されないことへの絶望や明治への殉死など、「たまたま色んな要因が重なったから」としか言いようがないように思いますが、その中の1つとして、「遺書の宛先(=「私」)を見つけたから」というのもあるように思います。だからこそ、本作のメインに見える三角関係に全く関係のない「私」という人物が語り手として作中の3分の2ほども費やして描かれているのではないかな、と。
というわけで、以下で先生の遺書と「私」について書いてこの感想文を終わることにします。





遺書と私

先生は「私」に対して「自分のようにはなって欲しくない」と思っているように見えます。しかし、それでも「私」からの買い被りのような執着が止まないことに罪悪感を覚え、「私」に遺書を出したのかなと思いました。
簡単に言ってしまえば、まだ世間を知らないけれど大学生になって(「私」の父の言によれば)「理屈っぽく」なった「私」に、自分の失敗を伝えることで同じ道を歩まないように釘を刺すような意味合いでの遺書なのかな、と。つまりはアレですね、先生の正体とは、しくじり先生だったわけです!
穿った見方をすれば、先生は「私」に自分の中の情念をぶつける遺書を書きたいがために自殺したような感もなきにしもあらずな気もします。

というわけで、個人的にはこれは、人生の酸いも甘いも知らない「私」が先生の物語を読んで人生を乗り越えていく......のか?という話で、「私」のその後が描かれていないことから一種のリドルストーリー風な(「私」は先生のようになるのか、先生を反面教師として幸せな人生を送るのか的な)味わいもあると思います。

ここからは『こころ』に直接関係ない自分語りなので飛ばしていただいてもいいんですけど、最近自分にとって物語を受容ことの意味が変わってきたなぁと思う今日この頃です。
昔は純粋に娯楽だったのが、一年前からは共感重視に、更に最近は人生の予行演習のように体験したことのないことを体験する機会としてお話を摂取する側面が強くなってきてる気がします。もちろん、あくまで娯楽として楽しむことが最優先ですけどね。
ともあれ、そんな最近の私にとって『こころ』で「私」が先生の遺書を読むことは、自分が小説を読んだり映画を観たりすることに通じるような気もするなぁ、ということが言いたかったわけです。はい。



というわけで、いつも通りまとまりがない文章にはなりましたが、リーダビリティ高くエンタメ性もありつつ、恋や人生の予行演習の役割も果たしてくれる、名作と呼ばれるに相応しい作品でした。

駕籠真太郎『ブレインダメージ』漫画感想文

ヴィレバンをふらふらしてたら見つけたやつです。駕籠真太郎の見たことない漫画があったらとりあえず買っちゃいますよねシリーズ。




さて、本書は4話の短編を収録したホラーサスペンス短編集です。
一口にホラーサスペンスといっても、各編それぞれに様々な趣向が凝らされていて豊かなバラエティを楽しめました。
駕籠真太郎だから、もちろんバカではあるのですが、本書はかなりストーリー性を重視した作品が集まっている印象でした。そう、いつもの色々あってなんだかんだラストで内臓ぶちまけるだけのオチとかではないんです!この人も真面目にやれば普通に物語を作れるんだなぁという謎の感動がありました。
以下各話の感想を。



第1話「4人の迷宮」

無機質な部屋で目覚めた外見がそっくりな4人の少女。皆、直前の記憶がなく、どうやら何者か拉致監禁されたらしい。部屋を出ても、そこは部屋と同じく無機質な迷宮。そして、逃げようとする4人は仮面の殺人鬼に遭遇し......。

映画の「CUBE」や「SAW」を思わせるソリッド・シチュエーション・スリラーです。

いかにもな地下迷宮という空間、いかにもな殺人鬼の風貌と、サスペンスらしさ満点ですが、実際読んでいくとむしろミステリー風味の強さが目につきます。誰が、なぜ、こんな事をしたのか......というWhoとWhyですね。
それにまつわる伏線らしいものはいくつも張られているのですが、読者には最初は意味が分かりません。その意味が明かされる衝撃にして驚愕のラストで、我々読者はこう叫ぶのです......

馬っっっ鹿じゃねえの!!!?

ソリッドシチュエーションなんちゃらかと思いきやいつもの駕籠真太郎でしたっていうお話。
全ての伏線が、愛ーーー





第2話「呪いの部屋」

色々といわくのある部屋に越してきた女性が、案の定金縛りや誰かの視線などの怪現象に悩まされるお話です。

定番の、誰かの髪の毛が!ってのも。

この女の子がなんというか絶妙にエロいんですよね。別に絵が綺麗ってわけでもないですけど、最近のこの人の描く女の子は謎の可愛さとエロさがある気がします。はい。

ストーリーに関しては何を言ってもネタバレになってしまいそうですが、オーソドックスと見せかけてめちゃくちゃな展開になるという、カゴシン・ワールドの意外性が最も強い話だと思います。ただ、ラストでちょっと普段の作風に寄せすぎてるきらいはあります。凝った展開の後で良くも悪くも「いつもの」に戻ってしまうっていう。旅行から家に帰ってきた時の寂しさと安心感みたいなものでしょうか。

(ネタバレ→)
さて、ネタバレありで言いますと、まず序盤であっさり主人公だと思っていたキャラが死ぬ......というかまぁ死んでて退場するのが面白いですね。
シャワーシーンが多用されることからも、モロに某有名サスペンス映画へのオマージュになってて映画好きはキュンキュンします。
その後、駕籠真太郎らしい無駄にディテールの凝った機構と、駕籠真太郎らしいグロ系美少女が出てくるあたり最高ですね。やっぱり女の子は片眼が飛び出てるくらいが可愛いですよ、はい。
駕籠作品としてはいつも通りながら、ゾンビものとしてはかなり珍しい趣向なのが面白く、作者自身あとがきで言っているようにマンネリ化しつつあるゾンビものの新パターンとして斬新な驚きのある作品だと思います。





第3話「家族の肖像」

姉弟と両親、同居のおじいちゃんの平凡な5人家族。ある日から、ご近所さんなど一家と親交のある人が消失する事件が続くようになる。
そして、ついに彼らの一家にも消失の兆しが見え始め......。

駕籠作品には非常に珍しいことに、ほぼグロ描写がなく、日常が徐々に非日常に侵食されて行く様を(駕籠作品にしては)静かに描いた不条理ホラーになってます。
そんな大人しめな話ですが、それだけに主人公の女の子のエロさと可愛さがストレートに(眼や内臓が飛び出てなくても)出てるのがステキですね。というかさっきも書いたけど本当に最近のこの人の描く女の子は可愛いです。ゆったら絵も初期より全然綺麗になってきてますしね。
で、終盤で一家がちょっとずつ消え出すあたりからようやく駕籠真太郎らしい気持ち悪さが顔をのぞかせますが、これも直接的なグロではなく、(こんな感じ↓グロってかむしろエロい)

結局眼も内臓もぶちまけないままに静かな余韻の残るラストへと収斂していきます。まぁエロはちゃんと入れてくるあたり流石ですが......。
そんなわけで、地味ながら普通に面白い不条理劇で、こんなんも描けるんだなと、ある意味で意外な一編でした。





第4話「血の収穫」

友人とドライブへ行った主人公は、帰りの車でついうとうとしてしまう。しかし、眼が覚めると、友人は潰れ、周囲の車もまた潰れていた。
そして、彼女の前に事件を追う刑事や霊能者が現れ、彼女は事件に巻き込まれて行く......。

めちゃくちゃインパクトのある"潰れ"の絵で掴みはオッケー👌
オカルティックな事件と、地道な捜査とのギャップが異様な雰囲気を出してます。ここまでなら本当にシリアスなホラーサスペンスなんですけど、ここで主人公のオカンというクソみたいなネタキャラを挟んでからの霊能者登場に至って完全に駕籠ワールドになるのが惜しいというか安心感というか......。
タイトルの意味が明かされてからの無駄なディテールの描き方とか好きですね。
ラストもエスカレートちゃぶ台返しな感じがいつも通りで、ああ、本書はちゃんとしてるなぁと思ったけど間違いだった。いつもの駕籠真太郎だわという感じで、結局のところ感想とか特にねぇわ〜〜と思わされてしまいます。それがいい。いつまでも金太郎飴でいてくれ......!




というわけで、いつもより少し真面目な、でもいつも通りな、ファンには嬉しい作品集でした。『すべての時代を通じての殺人術』あたりが好きな方にはオススメしたいですね。

シャークネード(1〜5)見たとき書いた感想まとめ

シャークネードというクソ映画シリーズを全作見たんですが、せっかくあそこまで時間を無駄にしたので感想をブログのネタにするくらいのことはしたいと思いつつ、でもブログ用に書くのも新たな時間の無駄なので見た時にFilmarksに載せた感想をそのままコピペしときます。

とりあえず、めっちゃ面白いシリーズなのでみなさんぜひ見てください。別に被害者を増やそうとか考えてないです。ほんと、見ないと人生損しますよ!

シャークネード

シャークネード [DVD]

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「サメに頭が二つあったら強くねぇ??」「いやいや俺はタコとサメを合体させるしww」「てか頭三つあった方がつええし」「そんなこと言ったら俺5つつけるわ」「いやいや、一面に7個の頭をつけた六面体型にすれば6×7=42個の頭をつけれる」

そんな愛すべきバカたちが撮るのがサメ映画。嗚呼、元祖『JAWS』......スピルバーグよ......あんたは立派だったよ。あんたの後継者はバカばかりだけどもな......。

そんなわけで、この作品ではサメが竜巻に乗って飛んで来ます。海にはサメ、空からもサメ。サメ映画の世界は「俺の考えたサメがどんだけ強えか」という単純明快なイデオロギーが全てを支配しています。この作品の場合は、海と空から挟み撃ちにすればより強いという発想ですね。素晴らしい。

映像が「上手い素人」程度の、綺麗だけど味気ない感じで、それがちゃちいCGのサメと奇妙にマッチしていてよかったです。

とにかくサメがたくさん襲ってくる、そのスピード感も楽しく、ほぼ常にサメと戦っています。そして、その合間を縫ってちょびちょびとキャラクターの過去などが掘り下げられていきますが、これも深そうでいてだから何って感じが非常にチープでいい味になっています。

また、クライマックスのまさかのアレには大爆笑してしまいましたが、そこから無理やりいい話に持っていく力技が決まっていて、散々めちゃくちゃやっといてちょっと感動させようとしてくるところが腹立ちました。いやいや、おかしいやろ。そもそも何でそのサメだって分かったんだよ。御都合主義万歳。

て感じで、途切れることのないアクション、重厚な人間ドラマ、上質のブラックユーモア、そして感動のラスト。めちゃくちゃつまらないことを除けば非常に面白い映画でした。


シャークネード:カテゴリー2

シャークネード カテゴリー2 [DVD]

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「台風が来る ものすごいやつ 台風が来る 記録破りだ」(THE BLUE HEARTS『台風』より)


信じられないことに第5弾まで作られている大人気シリーズの2作目です。今回は、サメの王子ニューヨークへ行く、という寸法で前作の主人公フィンとその元妻、その他関係各位が自由の街ニューヨークで再びサメ台風に遭遇するお話です。遭遇する、というかぜってえこいつらがサメ台風呼んでるだろ。ミステリで名探偵の行く先々に殺人事件が起こるあの現象と原理は同じですね。

さすがに大人気シリーズだけあって、観客を喜ばせるツボは心得たものです。
サメが噛み付いただけで電車が半壊するなどの天然か故意かわからないツッコミどころから、天気予報のシーンみたいな確信犯的なツッコミどころまで、全てのツッコミどころの生みの親!ジャスティス!
さらにキャラの適当さもすさまじく、前作ではまだ人の死を悼んでいたような気がしますが、今回はもう友達が死んでも「あらまぁ」くらいの反応です。人間の順応力は恐ろしいものですね。
個人的には冒頭と自由の女神のシーンが気に入りました。ニューヨークでパニック映画取るならあれは必須ですよね🗽

残念な点としては、前作のがまだしも人間ドラマがあって、今作はそういう要素があまりにもないので話が単調なこと。いくらB級パニック映画といってもやっぱりある程度の紆余曲折はないと呆気ない感じがしちゃいますね。

まぁでもバカ度をよりパワーアップして返ってきてくれたことが嬉しいです。なぜか4はまだ日本に来てないらしいですが、3と5は録画したので引き続き観たいと思います!


シャークネード:エクストリーム・ミッション

シャークネード エクストリーム・ミッション [DVD]

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「大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る」(スピッツ『ロビンソン』より)


二度にわたるシャークネードとの闘いによって大統領から勲章を授与されたフィン。しかしその矢先、ホワイトハウスを三度のシャークネードが襲う。

今回は凄いです。まずはホワイトハウスがやられるわけですが、「インデペンデンス・デイ」を観ても分かるように、合衆国の大統領は戦闘能力が高いです。カッコいいです。安倍ちゃんもサメから日本を守れば好感度上がるとおもう。

そして舞台はユニバーサルスタジオへ。そもそもがアトラクションな映画なのでユニバーサルスタジオとの相性もばっちり。ここでフィンの娘が乗り物で隣に座った青年と恋に落ちます。凡百の映画ならこの辺のお話を膨らませて青春感を出してきますが、本作の主役はあくまで鮫。2人のイチャラブは出会いのシーン以降では後半で3分くらいしか描かれないというストイックさ。というかそんならこのエピソードいらな

さて、肝心のシャークネードの方はと言うと、今回はデカイです。
あまりにデカすぎて、フィンはシャークネードを狙撃するため宇宙へ向かうことにします......


......はい、あなたの聞き間違えではありません。私は確かに「宇宙へ」と言いました。
そう、今作はなんと宇宙にまで舞台を拡げてしまうのてす!いやーん、ダ・イ・タ・ン♡ なんかもうここまでくるとガチでバカバカしくて、映画というより映像による幻覚剤といった感じ。内容を追うのではなく画面上で繰り広げられるバカに心地よく酔っ払うのが正しい鑑賞法でしょう。それにしても今まで宇宙は神秘だと思っていましたがサメが台風に乗ってぴょーんと飛んでいけるくらいだから宇宙も大したことないですね。それでもサメさんたちが宇宙に到着するシーンはあの宇宙犬ライカを彷彿とさせて感動しました。しません。映画がめちゃくちゃすぎて感想もめちゃくちゃ言ってますが要するに時間を返して欲しい。こちとら暇じゃねえんだ、クソくだらねえ茶番に付き合ってられるかよ。


シャークネード4

シャークネード4 [DVD]

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「雨は夜更け過ぎに サメへと変わるだろう」(山下達郎『クリスマス・イブ』より)


壮大な音楽をバックに宇宙空間の上を流れる黄色いテロップ。あの超人気シリーズの近作ですが、恥ずかしながらこのシリーズ初めて観ます。

タイトルから宇宙が舞台の話だと思っていましたが、宇宙が出てくるのは前作で、今回はラスベガスが舞台です。

ベガスを拠点に台風を制御している会社・ナンタラXですが、ある日台風を制御しきれずに巨大なトルネードが巻き起こってしまいます。トルネードには何故かサメが入っていましたが、スペースオペラってのはそういうものなんでしょうね。SFに詳しくないので初めて知りました。

さて、息子のギルと農場に暮らす主人公、フィン・スカイウォーカーは、ナンタラXが台風に敗れたことを知って立ち上がります。
だが台風も強い。負けそうになるフィンの前に、死んだはずの妻・エイプリルが現れます。そう、実はギルの母親はサメではなくエイプリルだったのです!「ぼくのママはサメなんだ!」と叫ぶキチガ......じゃなくてギル。その言葉を聞いたエイプリルはショックによりジェダイとしてフォースの力を覚醒させます。失くした腕から伸びるライトセイバー!一方台風の方もどんどん形態を変えていってもはやサメ映画としての原型を失っ......サメ映画?私は何をいっているのでしょう。これはスペオペ、サメなんか出てきませんよ。アハハ。

なんだかんだの末、スカイウォーカー家の一族は台風をやっつけ、ギルはマスクの下でスーハー言ってるエイプリルに抱きついて叫びます「ママ!」
いやぁ感動しました。ジョージ・ルーカスといえば今や知らない人はいない大監督ですが、こんな傑作を撮っていたのならあれだけ人気があるのも頷けます。やはり誰もに愛される名作というのは、愛されるだけの理由があるものなのですね。
というわけで、シリーズ第4弾『スターウォーズ/フォースの覚醒』、めっちゃ面白かっ......え?スターウォーズじゃない?HAHAHA、何を言っているんだい君は......

......to be continued......


シャークネード5 ワールド・タイフーン

シャークネード5 ワールド・タイフーン [DVD]

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追悼 2017年。



2005年、セルビアで大量のカエルが空から降って来る現象が起きた。
2010年、オーストラリア北部、ノーザンテリトリーの小さな町には魚が雨のように降り注いだ。
2011年にはアフリカ南部の草原に重さ6kgの巨大な鉄球が突如落ちて来たという。
そして、2013年、アメリカで台風に乗って大量の鮫が空から降り注ぐ現象が報告された。
この現象は2014年、2015年、2016年と1年ごとにアメリカ各地で発生していた。そして、今年2017年、オーストラリア、イタリア、アフリカ、そして我が日本・東京を襲ったことは記憶に新しいだろう。

本作は、幾度もシャークネードと闘ってきた我々人類の英雄、フィン・シェパード氏が先の大災禍で果たした功績を元に製作されたノンフィクション映画である。

事件はフィン氏の息子・ギルくんがシャークネードに攫われてしまうところからはじまる。
息子を救うため、フィン氏とその妻のエイプリル氏は、シャークネードを追いかけて世界各地を駆け巡る、否、飛び巡る。
このあたりまではアクション要素を強めにオペラハウスの陰謀論や変形合体シャークジラといったエンタメ的な外連味で魅せてくれた。
しかし、我が東京へシャークネードが上陸した時は、日本人としてあの台風で亡くなった我らが同胞を悼む気持ちになり、それ以降涙なしでは観られなかった。
失われていく大切な人の命。シャークネードへの怒りと自身の不甲斐なさへの怒り。シャークネードをタクシー代わりにしてシャークネードを止めるという秘策にもかかわらず、ついに最愛の妻さえも......。
フィン氏の悲痛な叫びが耳朶を打った、鼓膜を打った、そして胸を打った。
刀折れ矢尽きたフィン氏。
しかしそこで時空を超えた奇跡が起こる。これには泣いた。こんなに泣いたのは元カノにフラれた時以来だろうか。あぁ、神様っているんだな。そんなラストシーンの余韻に浸ってしまい、エンドロールが終わっても呆然として立ち上がれなかった。


今年の初めに起きた10億人の命を奪ったあの大災禍。
そこから生還した我々人類はこの映画を観るべきだ。あの日のことを決して忘れてはならない。そして必ずやシャークネードに反撃するのだ。さぁ、戦いの幕は切って落とされた。立ち上がれ、人類!

......to be continued



追記
ちなみにこの感動の実話は、その後、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の元にもなっている。

西澤保彦『いつか、ふたりは二匹』読書感想文

講談社ミステリーランドから刊行されたジュブナイル・ミステリです。
ジュブナイルと言っても、猫や犬が出てくるところや真相が分かりやすいところ以外は至って普通に普段の西澤作品でした。




〈あらすじ〉
大学生の義姉とプチ二人暮らしをしている小学生の智己。彼には「眠っている間に野良猫の"ジェニィ"の体に入り込める」という秘密があった。
ある日、智己の同級生の少女たちが不審な車に轢かれる事件が起きる。事件は去年起きた誘拐未遂事件と同一犯の仕業とみられた。
智己は、猫のジェニィの体を借りて親友の大型犬ピーターと共に事件の謎を探る冒険を始める。





喜国さんの解説によると、ミステリーランド自体が子供に、読書の楽しさと、人生に潜む"毒"を知ってもらうというコンセプトのレーベルらしいです(いくつか読んだけど初耳でした)。

それを踏まえると、「普段の西澤作品」であることがミステリーランド作品としてとても良い方向に働いた作品だと思います。
尤も、子供相手でもいつも通り「私都(読み:きさいち)」などの難読人名を容赦なく連発するところには若干引きましたが......。


まず、普段から西澤作品はめちゃくちゃ読みやすいですが、本作はジュブナイルということで読みやすさに磨きがかかっています。
平易で会話の多い文章はもちろん、少年と猫を行き来することで、(語り手は同一人物ながら)視点に大きく緩急が付いているのが読みやすい理由でしょう。じっとしていられない子供でもこれだけ視点がじっとしていないお話ならすらすら読めるのではないでしょうか......(と言ったものの、私は子供の頃は本の虫だったので本苦手な人の気持ちあんま分かんないんですよね......)

内容も、変態あり、遣る瀬無さありの、手加減なしのいつもの西澤。
でも、決定的に違うのが、遣る瀬無い出来事に直面した主人公に対するケアがきちんとされていること。
人生では理不尽なこともあるし大事なものとの別れもある。そんな時にどうやって乗り越えればいいのかを物語の形で教えてくれる本書は、いつもの西澤らしい毒はありながらも、いつもと違って優しいお話になっていると思います。

ミステリーとしては、(ネタバレ→)タイトルと目次を見た時点で既にメイントリックは分かってしまいましたが、それでも(ネタバレ→)ピーターが登場する前後に必ず久美子さんの睡眠を思わせる描写があるようなきちんとした伏線があるあたり新本格ミステリを読んでいるなぁという嬉しさがありました。
また、事件の構図についてもなかなか捻りがあって、そっちは素直に驚かされましたね。それもまた性根が悪い感じなのが西澤でしたが......。



そんな感じで、普段の西澤保彦の作品って「エグい」とか「邪悪」という形容が似合うものが多いですが、そこにひとつ前向きなラストを入れるだけで、毒は強いけど救いもある児童文学に早変わりする様が新鮮で面白かったです。

トラフィック

名古屋人です。
名古屋は車の国だの名古屋走りだのとよく言われ、実際名古屋を走っていると結構酷い運転をよく見かけるので名古屋はすごい街なんだと思っていました。

この映画を見たらそれは勘違いだっと気づきました。

フランスすげえ。スケールが違うよ......。
※別にカーアクションとかでわないです。





というわけで、ジャック・タチのユロ氏シリーズ・自動車展示会編でございます。

車のデザイナーになったユロ氏は、考案したキャンピングカーを出展するため展示会場に向かうが、警察の事情聴取や大事故などに巻き込まれなかなか会場に着けない......というドタバタロードムービーです。

前作『プレイタイム』はストーリーの焦点がどこにも合っていない感じでしたが、本作は分かりやすい筋があるので、個人的にはこちらの方が好みでした。綺麗な映像と小ネタの連続なのは前作と同じく。

画面の雰囲気は前作が無機質で未来的なオシャレ感だったのに対し、今作は色鮮やかで可愛い感じ。こちとら心はいつでも17歳JKなので、こういうキュートでポップな画が好きですよそりゃ。向こうは作業服もガソリンスタンドも原色で可愛い⛽️ もちろん本作の主役である車たちも可愛い🚗🚙🚜 車にほとんど興味のない私ですら可愛くて悶えたので、これ車好きな人が見たら悶え死ぬでしょ。

また、ギャグもポップでキュートで分かりやすかったです。
キャンピングカーの仕組みへの脱力感とか、悪戯っ子たちによってヒロイン(?)が泣かされるシーンとかおかしくておかしくてしょうがなかったです。
何と言っても、車たちのダンス......というか、まぁ、有り体に言えば複合大事故なんですけど、これが凄かったです。ボンネットぱかぱか、前輪ふわ〜、タイヤころころ〜。現実には絶っっっ対遭遇したくない光景ですが、滑稽さを通り越して白昼夢のような美しさのある傑作ギャグシーンで、ここだけ何回も観たいくらいでした。

しかし、一つ恐ろしかったのは、ギャグでもなんでもないようなシーンですら車の運転が荒すぎる......。ウインカーの無い時代に対向いる中での急左折(車線が日本と逆なので日本でいう右折と思ってください)とか平気でするし、ちょっとくらい人の車にぶつけても「(。・ ω<)ゞてへぺろ♡」だけで済ませやがります。今まで名古屋の過酷な道を走っているという自負を持ってきましたが、フランスのガチのデスロードを観てしまってそれが喪失されたことだけが残念でした。

つーわけで、機械化の風刺とか資本主義批判とか言われてますが、そういうの抜きにしても、タチの作品の中で一番エンタメ性が強く誰が観てもシンプルに面白い作品だったと思います。

シェイプ・オブ・ウォーター

公開中のデルトロ最新作。正直デルトロ作品でそこまで好きなものがないので迷いましたが、やたら評判がいいので気になり、ジャスコの映画館のレイトショーで観に行きました。

映画が終わる時間にはジャスコ本体は閉まっていて辺りは真っ暗。世界にこの映画館しかないような幻想的な気分になれて好きなんです。
特に観に行った日は雨の降る夜だったので、車を運転して帰りながら、フロントガラスに当たる雨粒を見て余韻に浸るという贅沢な体験ができました。




製作年:2017
監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:サリー・ホーキンスマイケル・シャノンリチャード・ジェンキンスダグ・ジョーンズ

☆4.1点

〈あらすじ〉
60sの米ソ冷戦時代。
声帯の傷により話すことができない女性・イライザは、秘密研究所の清掃員として働いていた。同居人のジャイルズや仕事仲間のゼルダと一緒にいながらも常に孤独を感じていた彼女の前に、研究所の実験材料として捕獲された半魚人が現れる。
人に似た姿をしながら言葉を解さない半魚人にシンパシーを感じたイライザは、徐々に"彼"と心を通わせて行くが、施設の管理者ストリックランドは"彼"を殺処分にしようと考えていた......。




はぁ、めっちゃ良かった......。
何がいいって、混沌としているのに分かりやすいところですね。
ファンタジー、モンスター、音楽、60年代、マイノリティ、ユーモア、戦争、アクション......様々な要素をごった煮にした闇鍋のようなお話......でありながら、テーマは「孤独」や「愛」とあくまで分かりやすいのが素敵でした。



まずはネタバレなしで良かったところを。

なんといっても主人公イライザ役のサリー・ホーキンスの演技が凄かったです。この作品のヒロインは言葉が話せないので、サリーちゃんは身振り手振りや表情で演技しているわけですが、これが引き込まれて一気にファンになってしまいました。見始めて「映画のヒロインにしてはおばちゃん......」と失礼なことを思った0.2秒後にはもう「可愛い!」って叫んでました。
なんというか、仕草の一つ一つにめちゃくちゃ愛嬌があるんです。彼女が小躍りしながらるんるんしてると私も踊りだしたくなるくらい嬉しいし、彼女が怒ったり悲しんだりしてると私もつらくなりました。観客の感情との親和性が高いとでもいいましょうか。本作が「異形のクリーチャーとの恋」という題材を描いていながらめちゃくちゃ感情移入させてくれるのは、主人公のイライザのこうした愛らしさが大きな理由でしょう。


そして、主人公が魅力的なのと同じくらい悪役も魅力的です。
マイケル・シャノン演じる、研究所の管理者・ストリックランド氏。
トイレでの初登場シーンがもう性格悪そう感満載で爆笑しちゃいました。「こんな嫌なやつだったらむしろ逆に良いやつなのでは??」という私の穿った予想もおかまいなしに、それから最後まできっちり悪役を貫き通してくれました。
しかし、冷静に考えると彼も別に悪いことをしているわけではなく、彼は彼で仕事に忠実な人なわけですからね。車の場面とかは笑っちゃったし、終盤彼の人間性がしっかり描かれてからは正直どっちを応援していいのか分かりませんでしたからねぇ。
そういう、絵に描いたような"悪役キャラ"なのに、憎みきれない愛らしさがあるところが味わい深いです。主人公の前に立ちはだかる巨大な壁 兼 ギャグ要員という不思議な魅力でした。



また、映像や演出もとても良かったです。
あくまで個人的な好みの話なんですが、『パンズ・ラビリンス』は映像自体がクドいし、『クリムゾン・ピーク』は映像はわりとあっさりしてる割りに化け物がゴツすぎて雰囲気を損なってる気がしちゃったんですよ。でも今作の場合はその中間というか、ゴテゴテしすぎないながらもファンタジックな世界観だから半魚人さんも浮かずに好みドンピシャな映像の綺麗さでした。
(あ、『ミミック』は言うまでもなく生理的に無理)
演出も分かりやすくて綺麗!この後ネタバレの項目で詳しく触れますが、雨粒のシーンとか悪役夫婦のシーンとか、分かりやすい比喩や対比の表現が使われていてエンタメ性とアート性が絶妙なバランスで配合されてると思います。


ストーリーに関しても、「孤独」「愛」というものを(ギミックは色々入れつつも)とてもまっすぐに描いていて「ぐあぁぁ〜〜」ってなりました。寂しいんですよ!誰だって寂しい!悲劇的な面ももちろんありつつ、それでもそんな寂しい人たちへの優しい眼差しのある物語です。好き。



それでは以下ストーリー中心にネタバレ感想になりますのでご注意ください。


























と言うわけで、ネタバレ感想です。

上にも本作のテーマは「孤独」だと書きましたが、その通り、この作品の登場人物は全員孤独を抱えているんです。
まず、主人公とその味方となる人々はみんな何かしらのマイノリティだったりします。
半魚人の"彼"に関しては人間ですらなくアマゾンの奥地からいきなりアメリカに連れてこられたワケですし、主人公のイライザは話すことができません。
同居人のジャイルズはゲイ、同僚のゼルダは黒人で夫の問題も抱えていますし、協力者のホフステトラー博士はロシアのスパイ。
かようにまぁ(私個人に差別的意図はありませんが、作中の舞台・時代背景的に)差別を受ける属性の人ばかり。

本作はそんなマイノリティな人たちが抱える孤独や苦悩を(自慰行為のシーンまで入れて)丁寧に描き、そんな彼らが信念や友情や愛といった大切なもののために戦う様を描いているワケです。

特に、主人公が映画のヒロインとしてはあまり美人でもないおばちゃんと不気味な半魚人なのがポイントです。傍目から見て美男美女とは言い難い2人の恋をそれでも美しく描いているところに、(そこらにいるレベルの)非モテへの優しい眼差しを感じます。
彼女が"彼"を愛する理由が「彼も話すことが出来ないから」というある種利己的な理由でもあることがリアルな共感を呼びますです。けっきょく愛し合うことっていうのは互いのコンプレックスを慰め合うことなんですからね。

この2人に関して私が特に好きだったシーンは、イライザと"彼"がアレをシたことを、バスの車窓に当たった二粒の水滴が一つにくっつくことで表すところですかね。「あらあら、まあまあ💖」っておもいました。
あと、イライザの妄想でミュージカルになるところはやっぱぞわぞわしましたね。ただあの辺の事実関係が一回見ただけでいまいちよく分かってないのでもう一度観なきゃな、と思います。

もちろん、こういう「クリーチャーとおばちゃんの恋」という題材に「ああん??」と思う人がいるのも理解はできます。ただ私はそこらによくいる物事を深く考えないタチの非モテ野郎なので、馬鹿みたいに「泣ける〜〜っ」とか言ってましたよ、はい。



で、そんな風にマイノリティな人たちを感動的に描いた本作ですが、その裏で、悪役のストリックランド氏がめちゃくちゃ魅力的に描かれているのが面白かったです。

ストリックランドは主人公側のキャラクターたちとは正反対のThe・"まとも"な男。
空前絶後超絶怒涛のクソ野郎。パワハラ、セクハラ、すべてのハラスメントの生みの親。おしっこした後に手を洗わないし、電気ビリビリで半魚人をいじめて喜ぶし、そもそも顔が性格悪そう!(偏見)
そんな、絵に描いたような悪役の彼ですが、映画の後半、半魚人を何者かに奪われたことを知った上司に叱られるシーンが非常に良かったです。
彼の大失態に怒る上司に「今まで散々まともに働いてきたのに一度のミスでそんな怒らんといてよ〜」と言い返すも、「"まとも"な男は絶対にミスをしないんじゃボケェ」とさらに怒らせてしまう彼。「僕ちゃんいつまで"まとも"であり続けなきゃいけないの......」と泣きながら薬をボリボリ貪り食うストリックランド氏の姿を見て、「彼も必死で仕事をしてるだけなんだ......」と、これまで散々「クソ野郎」「悪人顔」とディスってきたことを反省しました。
すると、不思議なことに、ストリックランドが主人公側の人たちの誰よりも孤独で寂しい1人のちっぽけな男になってしまうのがこの作品の凄さであります。

「だけど僕の嫌いな彼も 彼なりの理由があると思うんだ」(SEKAI NO OWARIDragon Night』より)

ここにきて、この映画がただの「愛は見た目じゃないよねっ!」とか「愛は勝つんだよっ!」みたいな恋愛ファンタジーだけではなく、ハラスメントするような奴もさらに上から圧力をかけられてたりするんだなぁという世の中のリアルなつらさを描いた物語に変貌するワケです。
すると、わざわざモザイクをかけてまで映した彼と妻のまさに「性欲処理」でしかない即物的なセックスの描写も彼の孤独を強調していたのだと気付かされます。(むしろモザイクも即物的な感じを増す演出に見えてきたり)
主人公たちの、雨粒による詩的な比喩や、お風呂場での芸術的なセックス描写との残酷なまでの対比よ。

主人公たちの愛の行方については、最後に水の中に落ちたイライザの靴が脱げて沈んでいく描写が、「人間世界との断絶」を表しているようで物悲しい一方、2人だけの世界へ行けたというハッピーエンドと考えて良いと思います(この辺『パンズ・ラビリンス』を踏まえてる感がするのもいい......)。
が、終盤で一気にストリックランドに気持ちを持っていかれた私は彼への一抹の同情、切なさの余韻に胸打たれるのでした。



そんなわけで、色々とヘンテコなガジェットをたくさんぶち込みつつ、私のような非モテ階級へ贈る純愛映画でありつつ、働くおじさんの悲哀をも描いた作品。
何度も見ることで浅瀬から深海まで潜っていくように色々な発見が出来そうな映画なので、出来ればもう一度映画館で......もし無理でもDVDが出たら絶対に見返したい傑作です。





追記

とか言ったそばからもう一回見に行ってしまいました。
そんな大して感想が変わるわけじゃないですが、2回目見て新しく思ったことをちらほら。

・監視カメラをズラしてタバコを吸うシーンのイライザの悪い顔、めっちゃ可愛くないですか?

・作中でストリックランド以外の人物たちは結構みんな映画を見てるなぁというところ。マイノリティに「映画オタク」も重ねているのか、あるいは物語による救い、物語の意味というメッセージにも思えます。

・イライザの出生について「川に捨てられていた」という部分見落としてました。これも水にまつわるモチーフであり、生まれつきこうなることが運命付けられていたかのような感慨があります。


・前半では自らを「神は私のような姿に近い。君よりもな」と言っていたストリックランドが、ラスト死の間際のセリフで半魚人に「お前は神なのか......?」と言っているところ。ストちゃんが最後になって、(「改心した」とまでは言いませんが)何かに気づいて死んでいったということなのかな、と。そう考えると、ストちゃんファンとしては彼の死に様がそこまで酷いものでもなかったように思われて救われました。

望月拓海『毎年、記憶を失う彼女の救い方』読書感想文

例によって読書会のために読みました。といっても、読書会がなくても読んでいたでしょう。なんせ、メフィスト賞にして記憶障害系ラブストーリーと聞けば、この私が読まないなんてことは許されませんもんね。


毎年、記憶を失う彼女の救いかた (講談社タイガ)

毎年、記憶を失う彼女の救いかた (講談社タイガ)


〈あらすじ〉
二十歳の時に事故に遭い両親を亡くした尾崎千鳥。それからというもの、彼女は毎年事故のあった日付が近づくと、事故以降の記憶を失ってしまうようになった。
三度目の記憶喪失から三ヶ月。クールで聡明な女性になろうと決意する彼女の前に、天津真人という謎の青年が現れる。「1ヶ月デートして、僕の正体がわかったら君の勝ち。わからなかったら僕と付き合ってもらうぞ!ぐへへ!」と交際を迫る真人。しかし、デートを重ねるうちに、千鳥は真人の優しさに惹かれていき......。

すべての伏線が、愛ーー💖



というわけで、読んだんですが、うーん。
いや、めちゃくちゃ泣ける良い話なんですよ。なんですけど、だからディスるとこっちが心汚れてるみたいになるのがもにょります。
しかし、おいどんも男だ。ここはひとつ汚れ役を引き受けてでも物申してやろうじゃないか。



......というわけでディスるので好きな方は読まないでください。

でもまぁ、まずは褒める点からいきましょうか。

本作の褒めポイントを一言で言うなら、「いろんな意味で読みやすい」です。

まずは、もちろん文章がめちゃくちゃ読みやすいです。
著者は本作が小説家デビューということではありますが、放送作家や脚本家の畑から出てきた人らしいのでそれも納得です。これは読者が能動的に読む文章ではなく、ページを眺めているだけで頭に話が入ってくるような映像的な文章ですね。

また、話の進め方にしても、「1年間で記憶が消えてしまう」「1ヶ月付き合って正体を当てる」といったタイムリミットがはっきり設定されています。それが「一気に読ませる」という意味で効いているかというと微妙な気もしますが、それでも明確な区切りがあるお話はその分読みやすくなりますよね。

そして、物語の見せ方は本当に上手いですよ。
前半は、強気な「毎年記憶を失う彼女」と、気弱だけど優しい「彼女を救おうとする謎の男」というキャラ設定によって素直になれないラブコメみたいな軽めの導入になってます。
中盤では、真人の謎の言動や、千鳥の葛藤が描かれることで、徐々にシリアスムードにギアチェンジして物語が加速していきます。
そして終盤では「すべての伏線が、愛」という惹句に現れているような全米が泣く系涙腺大崩壊超絶感動純愛物語になります。
この起承(ライト)→転(シリアス)→結(感動)の王道な展開は、小説というより映画でよく見る展開だと思います。

このように、映像的な文章にしろ映画的な構成にしろ、「映画っぽさ」が本書の魅力を表すキーワードだと思います。

実際に、本作の中ではいくつかの映画のタイトルも挙げられており、著者が映画好きであることが窺われます。

ただ、この映画っぽさというのが、私みたいな「記憶障害系ラブストーリー映画」のファンからすると......あ、言い忘れてたけどここからはディスりコーナーですからね。

※※ネタバレも入るのでご注意ください。※※
なお、作中に登場する映画に関しても書きますが、そちらのネタバレはしないのでご安心を。

















というわけで、はい、「記憶障害系ラブストーリー映画」ファンからすると、

「あれ、この話どっかで見たことあんぞ」

が読後の第一印象だったりします。

そう、この小説、

👼既存の映画からの影響が強すぎるんですよ

👿名作映画の良いところをパパッとコラージュした浅さが気に食わネェ!

いかんいかん。こら!悪魔ちゃん!黙ってなさいって言ったでしょ!いや今のは私じゃなくて悪魔ちゃんが言ったんですよぅ。


というわけで、読んでいる間は映画っぽさが魅力でしたが、読み終わってあまりに(いくつかの特定の)映画っぽすぎたというのがもにょりポイントです。

いやまぁ、借用元の作品のタイトルを律儀に作中に書いているのは潔いと思います。悪く言えば映画のコラージュですが、良く言えば映画へのオマージュと言えなくもない気もします。

ただ、あまりに本書中に占める借用部分の割合が高すぎるんですな。



まず、作中には、メメント、②きみに読む物語、③光をくれた人という3つの映画のタイトルが登場します。
ひとつずつ見ていきます。


①「メメント
10分しか記憶が保たない主人公が、メモを駆使して殺された妻の復讐をする、という映画。
時系列にトリックが仕掛けられているのが特徴です。

人を殺すか救うかという違いこそあれ、健忘の男がメモなどを使って目的を成し遂げようとするという執念を描いているのが本書と共通します。
また、時系列にトリックがあるこの映画のタイトルが出てくることで、本書の日記の時系列トリックにも見当がついてしまいました。


②「きみに読む物語
老紳士が、アルツハイマーの妻に記憶を取り戻してもらうために、3人の若い男女の恋の物語を読み聞かせるお話。

この映画自体私は大嫌いなのです。
きみ読む勘違い褒め記事
勘違いに気づいてディスる記事

そんなこの映画を主人公が褒めちぎってる時点で本書もお里が知れるってもんでしょ(きみ読むアンチ過激派)。

記憶を蘇らせるために繰り返し物語を読み聞かせる「きみ読む」の主人公と、記憶を蘇らせるために同じデートを繰り返す本書の主人公の行動はかなり似ていますし、「愛は見返りを求めないものだ」という偽善的な純愛アピールもそっくりです。


③「光をくれた人」
この映画は健忘ものというわけではありませんが、生きる意味を見失った男が家族を持って再び生きる意味を見出すという点で、同じく千鳥に出会って生きる意味を見出した本書の主人公の姿が重なります。


というわけで、本書の中に登場する映画の要素を切り取ってくっつけただけでなんとなーく本書が出来上がる気がしてしまうんですよね。
ただ、私が一番もにょったのは、これだけたくさん映画のタイトルが出てくるのに、どう考えても下敷きにしてる「50回目のファーストキス」というタイトルは作中に出てこないこと。


④「50回目のファーストキス」
1日しか記憶が持たない女の子に本気で惚れてしまったプレイボーイの主人公が、毎日彼女に告白して毎日惚れさせようとするラブコメ

映画のネタバレになるので詳しくは書けませんが、この映画のラストはテーマ的にかなり本書に影響を与えていると思います。
「記憶を失う彼女を何回もナンパして何回も惚れさせる」っていうところも同じです。
ただ、この映画の「1日しか記憶が持たない」という設定が明からさまに本書の真相を暗示してしまうためにわざと名前を出さなかったのではないかと思います。


というわけで、この①〜④の映画をパズルみたいに組み合わせると大体本書の枠組みができちゃうわけなんですよ。もちろんその組み合わせ方のセンスは抜群だし、そこに肉を付けて新しい物語を作る手際も見事なものです。
そもそも、勘違いして欲しくないんですけど、私は「パクりだパクりだ」と言って騒ぎ立てるのもあんま好きじゃないし本当はこんなこと言いたくないんですにゃん🐱🐱

でもあまりに借用部分がプロットの大半を占めていることと、『毎年、記憶を失う彼女の救い方』というタイトルを見た感じ、売れた映画のキャッチーな部分だけ借りてきて、キャッチーな本を書いて売れようとしてる感が半端ねえなと。要はタイトルが嫌いなのかも。

もちろんエンタメ小説なんだから売れてなんぼですけど、この作品は売れる要素を計算で継ぎ接ぎしてるような浅さが透けて見えるので素直に感動出来なかったんです。

そう考えてみると、登場人物のキャラ造形も浅いですよ。
たしかに二人ともめちゃくちゃ良い人ではあるんですけど、良い人すぎて感情移入出来なかったです。
「凄絶な人生を送ってきてトラウマがあってそれでも希望を持って生きてます」ってもはやマウンティングでしょ。
「見返りを求めるなんて愛じゃない」っていうセリフも、そういうキザなこと言う自分に酔えることが既に見返りでは?と思いますね。性格悪いよ私は。

あと、天津真人の日記の一人称が「ぼく」なのもいい歳こいてふざけやがってという気分になります(悪質クレーム)。

それから、これは大事なことですが、「古いものは本物っぽい」という価値観自体が本書の偽物っぽさを言い表しているような気がします。「私は流行に流されない」と頑なに宣言している時点である意味流行に流されてるじゃん、みたいな。死んだら神様っかぁ〜!?みたいな。



なんだか、書いてるうちにまとまりがなくなってしまいましたが、要は、価値観も、既存の作品を継ぎ接ぎしたような作りも偽物っぽくて魂を感じねぇ!というところが嫌いです(言ってしまった)。

エンタメ恋愛小説として一級品であることは間違いないですが、そんなわけで個人的には読み終わったあとNO感情になりました。器用なコラージュよりは不器用なラブレターの方が好きな性分ですので。