偽物の映画館

観た映画の感想です。音楽と小説のこともたまに。

駕籠真太郎『殺殺草紙 大江戸無惨十三苦』感想(は特にない) ※R18

久しぶりに駕籠真太郎読みました。当然のように特に感想もないですけど、まぁせっかく読んだので紹介だけ。

 

有名な怪談、昔話、江戸の風物、はたまた江戸と関係ないものまであらゆる題材を使って描く駕籠真太郎流エログロバカ何でもあり御伽草子連作短編集です。


短編9編に、おまけの4ページ程度のショートショート4編を加えた地獄のような全13話が収録されています。

 

ちなみにどう見ても同じシリーズっぽい『殺殺草紙 大江戸奇想天外』という本もありますが、そちらとは一切繋がりはない別物ですのでご注意......ってかシリーズだと思ってたら騙されたわちくしょう!

 

 

殺殺草紙 大江戸無残十三苦

殺殺草紙 大江戸無残十三苦

 

 

 

 

◯収録作
「岩と伊右衛門
「呪いの舌切り雀」
「惣兵衛のガラカポン」
「四季亭六馬の秘密」
「裁縫無情」
「恐怖のつぎあて地獄」
「史上最大の侵略」
「新たなる夜明け」
「勢辺戸爺さんと檜男」
+ショートショート『殺殺つれづれ草』4編

 

 

 

さて、内容についてですが、まぁいつも通り最低ですよ。

 

前半は普通の短編集です。
ほとんどの話で、まず出オチみたいなネタを一発出しといて爆笑させ、そっからさらにエスカレートさせてちゃぶ台返しみたいなオチで大爆笑させるという黄金パターンを踏襲しています。

 

例えば、舌切り雀のおじいさんの子孫である遊女が主役の「呪いの舌切り雀」
この話では、雀の呪いで舌が体の至るところの穴に移動するようになってしまった主人公の遊女が、舌を性器に移動させ、その超絶テクで指名率ナンバーワンになるという、何とも馬鹿馬鹿しい設定です。

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しかし、彼女はある時大事な舌を失ってしまいます。
困った彼女は自ら雀の舌を切りまくってまた呪いで舌を得ようとします。
この発想もバカバカしいですが、こうして呪いで新しく得た舌はなんと巻尺みたいに出しても出しても出てくるものになってしまいます。

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そして平賀源内先生はそれをバカバカしい"あること"に使う、というオチになります。

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......といった塩梅で、バカな着想を更にエスカレートさせて雪だるま式にバカが巨大化していくストーリー展開は天才的だと思うのです。

 

テーマも女性器、男性器、臓物、人体破壊など限られたもの。なのによくもまぁマンネリ化せず毎度毎度違った奇想が飛び出してくることよ......。

 

しかし、後半になると本書全体を貫くストーリーが立ち上がってきて徐々に長編化していく気配を見せます。
これまでの短編の主要キャラたちがメインを張って江戸を襲う危機に立ち向かう......かと思いきや、もちろんそんなしっかりした話でもなく......。


出オチを積み重ねる作風なので何が起こるか書けないので分かりづらくなってしまいますが、長編化してからはとにかく奇想が広がっては別の奇想が産まれといったように奇想の大繁殖、想像力が制御を失って脈絡もなく暴走していくだけの話になっていきます。


だから、終盤はもはやストーリーの軸なんか一切なく、第8話で特にオチもなく長編化したと思っていた話が終わって、第9話は全く別の短編になるという滅茶苦茶さ。こんなこと他の作家がやったら本を壁にぶつけてからシュレッダーにかけてウサギの餌にでもしますが、駕籠真太郎だから許される。なんせ元から酷いこと前提で酷いのを期待して読んでますからね。ズルいわ。

 

ってわけで、特に感想もないですけど、久々に駕籠真太郎読みましたって話です。いつも通り笑いましたよ。ええ。

ダンケルク(クリストファー・ノーラン監督)

昨日観に行ってきました!クリストファー・ノーラン監督の最新作。

 

この作品、ノーランが初めて挑む実話を基にした戦争映画であることが公開前から話題になっていました。


正直に言うと、「戦争アクションとかキョーミないし観に行くか行かないかどうしよっかな〜〜」くらいの気持ちでいましたが、結果的には観に行ってよかったです。

 

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映画『ダンケルク』オフィシャルサイト

 

製作年:2017年
監督:クリストファー・ノーラン

☆4.1点

 

 

 

ダンケルク」とはフランスの地名。本作は、第二次大戦中にドイツ軍に追い詰められた英仏40万人の兵士の撤退作戦を描いています。

 

 

......というと、普通なら、故郷の家族を想う優しい父親が主人公で、作戦を指示する頭の切れる若者や、人間離れした戦績を収める英雄なんかが出てきて、観客は超絶アクションと感動のクライマックスと反戦のメッセージに感極まりながらほくほくと映画館を後にする、といった作品になりそうなものですが............そうじゃない。ノーランは考えることが違います。ホントこの人はどういうアタマしてるんでしょう。

 

今まで観たことないタイプの映画で、感想がうまくまとまらなかったので開き直って徒然なるままに書いていきます。

 

 

 

さて、仕事を終えた私は映画館に行き、席に座ります。場内が暗くなり、高須クリニックのCMが終わり、本編が始まりました。

すると、いきなりシンとした市街を歩く兵士たち、空からばら撒かれる「お前たちは包囲されている」という敵軍からのビラ、そして何の説明もなく突然の戦闘開始に、興奮というよりも当惑と恐怖と緊張感を感じます。実はこの当惑、恐怖、緊張が本作が全編に渡って観客に与える感情の全て。


そう、これはエンタメ性の高いアクション超大作などではなく、メッセージ性の強い反戦映画でもなく、ただの画面越しの戦争疑似体験なのです。

 

 

 

映像と音響は確かにド迫力ではあります。

でも、それはアトラクション的な気持ちのいい迫力ではなく、理不尽な死が轟音と共にやってくるというどちらかと言えば不快ですらある迫力です。


陸では爆音と共にクジ引きのようにアトランダムに人が死骸に変わっていきます。

海では荒波や敵の攻撃で船がグラングランと揺れ、観ているこちらも船酔いしそうになります。

空では高速で回転や急降下をして目が回ります。

閉所や暗所や高所の恐怖症をお持ちの方は直視できないであろう映像ですのでご注意ください

 

音も、BGMはメロディがなく情景音に近い音楽やカチカチという時計の音。それに爆音やら飛行の轟音やらが加わり、音で怖がらせるホラー映画のようにびっくりさせられます。でもホラーなら音でびっくりさせられた後「なぁんだ風でドアが閉まる音か」みたいな安堵がありますよね。この作品では、爆撃で自分は死ななくても仲間が死んでいたりするし、そもそも一回爆撃を逃れてもまたいつ来るかわからない、そんな緊張感が常に続くんです。どちゃくそ疲れます。

 

 

 

そんな映像と音による臨場感を、構成がさらに増幅しています。

 

この作品は、構成的にいうと、

 

1.陸で救援を待つ兵士たちの一週間
2.海で救援に向かう民間船の一日間
3.空で敵と交戦する戦闘機の一時間

 

という、期間の違う3つの視点が交差した作りになっています。
時系列操作は「フォロウィング」や「メメント」を、時間の長さのズレは「インセプション」や「インターステラー」をそれぞれ彷彿とさせますが、この作品ではそれらはどんでん返しやパズルとしてではなく戦闘をより立体的に描くために機能しています。だからミステリやSF系の作品と同じような知的カタルシスを期待して観ると肩透かしになっちゃいますが、それぞれのパートを無駄なくすっきり観せるためには効果的な構成だと思います。

また、あえて少し分かりづらい構成をとることで次に何が起こるか分からない理不尽さを強調しているようにも思います。

 

無駄なくと言えば、ノーランには珍しい上映時間の短さも特徴です。
ノーラン監督作で2時間に満たないものというと、「フォロウィング」「メメント」......あと「インソムニア」とかいう映画もありましたね(遠い目)......に続く4作品目らしいです。

観る前は「2時間ないなんて物足りなくないかな?」とか思ってましたが、観てみるとこれほどの臨場感で2時間以上あったら疲れて途中でダレるだろうな、と。

観客の心身が保つギリギリの長さが106分だったのでしょう。

 

 


そして、この映画で最も賛否が分かれそうなのが、物語性の薄さでしょう。

 

この作品に主人公はいません。それぞれのパートで一応中心的な人物はいるのですが、彼らについてもその過去や人間性や家族などの背景はほぼ語られません。

登場人物全員が、ダンケルクという戦場にたまたま居合わせた名もなき人間にすぎません。主要キャラっぽい人が何の前触れも意味もなく死んだりします。
また、戦争が臨場感をもって描かれるだけの映画なので、反戦のメッセージなどもありません。
物語の展開も、一応控えめなクライマックスこそありますが、それも一瞬のカタルシスを感じさせてくれた後はもう「まだ戦争は終わっていない......」という気持ちにさせられ、観終わった後も爽快感ゼロでどんよりした気分で映画館を出る羽目になります。


だから、これまでのノーラン作品とは違って、面白いとか楽しいとかいう気持ちにはなれません。

 

ではこれは駄作かと言われると、そんなことはなく、映画史を塗り替える傑作と言っても過言ではありません。

 

というのも、物語がなくても、メッセージ性がなくても、戦争というものをただ臨場感を持って疑似体験させる。そのことだけで、観客は押し付けがましい反戦のメッセージなんかを見せつけられるよりもよっぽど強く、「戦争はしたくない」「こんな風に意味もなく死ぬのは嫌だ」と感じます。
つまりこれは、言葉ではなく映像の力を信じて、とにかくただ臨場感というパラメーターににポイントを全振りしたことでメッセージを使わずに強烈なメッセージ性を獲得した作品なのです。

小説には真似の出来ない究極の映画表現であり、ヒット作を出し続けていながらこれだけ無謀な実験作を撮って、それすら成功させてまたヒットさせちゃうノーランという人は只事ではないです。

 

 

ちなみに観終わった後、どんよりした気分になるとは言いましたが、同時に、今自分がこんな戦場にいないことがありがたくなって、生きてるだけで幸せだという風にも思えたので、むしろ元気になりたい人にも勧めたい映画ではありますね。

 

 

というわけで、出来れば映画館で体感してほしい作品ですが、どうしても映画館で観れなくて「DVD出てから家で観よう」という人は、部屋を真っ暗にしてヘッドフォンして周りを全て遮断して没入してほしいです。

indigo la End『Crying End Roll』の感想だよ

夏が終わりかけている今日この頃、いかがお過ごしですか?私は特に夏らしいこともせず無為な毎日を過ごしています。

 

さて、今回は夏の始めに買ってまだしょっちゅう聴いているこのCDを紹介します。

 

 

 

 

2017年7月12日発売、indigo la Endの4枚目のフルアルバムです。

 

色々と騒動を起こして活動休止も挟みつつ、前作『藍色ミュージック』から1年ちょいというハイペースでのリリースなのはさすがですね。しかもその間ゲスのアルバムもDADARAYの曲作りもボカロユニットの活動もしてるから驚異の速筆ぶりです。
そんでもって、今作『Crying End Roll』も一曲一曲がハイクオリティだから凄いです。生き急ぎすぎてて心配になるほど。

 

......いや、正直なところ発売前は「2曲Remixで2曲が幕間みたいな感じなんでしょ?手抜きやん?」とか思ってましたけどね。ごめんなさい!
Remixや、幕間にあたる「End Roll I・II」含めてハズレ曲なし......どころか全曲大当たりの名盤でした。

 

普段知ってるアルバムを聴く時ってどうしても好きな曲ばっか聴いてそうでもないものは飛ばしちゃうんですけど、このアルバムはこの先も折に触れて全曲通して聴くだろうなと、それくらいアルバムとしての流れも込みで気に入ってしまいましたし、捨て曲がないです。

 

製作時には特にコンセプトなども定めず、出来た曲を録り溜めていたのをまとめたアルバムらしいです。そのため、様々な曲調の曲が点在するような贅沢なアルバムになってます。また、一貫したコンセプトがないからこそ、一周聴き終えても腹八分目くらいでもう一周聴きたくなっちゃうような飽きない美味しさにもなっているように思います。
一方で、曲順は凝ったものになっているような気がします。アルバム全体が「End Roll I・II」という幕間の2曲を挟んで3つのパートに分かれていて、それぞれ

 

第1部→別れの予感を湛えた恋愛ソング
第2部→『藍色ミュージック』からの流れの命の歌
第3部→第1部の続編のような、別れの後の恋愛ソング

 

という感じでざっくり曲の雰囲気が近いもの同士纏まっているので、強いコンセプトはなくてもアルバム通して聴きたくなっちゃうようになってます。また、後半にいくにつれて曲がマニアックになってる気もしますね。

 

持ち前のキャッチーさと、聴けば聴くほどスルメのように味の出る渋さの両方を備えた、何度でも聴ける名盤だと思います。

 

それでは以下簡単に各曲の感想を。

 

 

 


1.想いきり

 

indigo la End「想いきり」 - YouTube

 

CDを再生すると、お馴染みの美しいコーラスと焦燥感のある早めの演奏が流れてきて、一気にindigoの世界に引き込まれます。
1曲目らしくキャッチーな歌謡ギターロックですが、『藍色ミュージック』以降のシリアスさや演奏のオシャレ感もあって、「ああ、indigoの新譜を聴いてるんだな」という感慨が湧いてきます。つかみはおっけー。


演奏は全体にかなりシンプルですが、間奏からCメロで急に激しくなり、一瞬のブレイクの後で大サビに入るところが好き。めっちゃ気持ちいいです。

 

音やメロディと同じく歌詞もキャッチーめです。とは言っても川谷絵音の書く歌詞って結構説明が少なくて全部理解できたことがないんですよね。でも、だからこそ気になるし、気に入ったフレーズを作者の意図はガン無視で自分の心境にバシッと当てはめて聴いても切なくなれるので好きです。

 

嫌な部分の方がさ 口をついてたくさん出る でもそれだけ愛したい部分が増えるよ

 

好きな部分は少し 他は嫌いな方がさ 君のこと想いきれる気がした

 

本当は嫌な部分も含めて好きだったけど、嫌なところを考えることで想いきろうとしてるっていう失恋ソングですかね。ど初っ端からまぁ切ないですね。

 

ちなみにサビ前のベース、技法の名前は知りませんけどスピッツがよく使うやつですよね。この音好きです。

 

 

 

2.見せかけのラブソング

 

indigo la End「見せかけのラブソング」 - YouTube

 

気怠げだけどリズムは踊れる感じの、たらたらと体を揺らしながら聴いちゃう感じの、ふにゃっとした心地よさのある曲です。
歌詞もアンニュイで皮肉めいた感じ。というか、タイトルからして皮肉ですよね。女性目線で口先の言葉だけの男に愛想尽かしかけてるような歌で、もしかして主人公は「想いきり」で「私で何人目なの」と言った彼女かもしれません。
川谷絵音の歌い方として、サビでファルセットを多用するっていうイメージは一般にも強いと思いますが、この曲は珍しくAメロからファルセット全開で、細く高く歌っているのでそれもまた気怠げ。「さらば鳥達よ 鳴き声は止んだ」の後の「いえー」とか気持ち良すぎますよね。

 

 


3.猫にも愛を

 

今までありそうでなかったバラード曲です。バラードといってもミスチルみたいな壮大なやつではなく、小市民的な、日曜日の昼過ぎにアパートの部屋でごろごろしながら聴きたいような感じの歌です。
最近は車を運転しながら音楽を聴くことが多いのですが、これを聴くとつい心地よくてうとうとしてしまうのでいつも飛ばしてます←。でも、聴いた回数は少なくてもお気に入りの曲です。

というのも、この曲実は私の敬愛するスピッツの「猫になりたい」という曲のオマージュ(たぶん。違ったらごめんけど、この歌詞でスピッツを念頭に置いてないはずないよね......)なのです。
スピッツの「猫になりたい」のサビの歌詞が

 

猫になりたい 言葉ははかない

 

というものですが、「猫にも愛を」は、言葉をはかなんで猫になってしまった男の物語......という読み方の出来る、二次創作......じゃなくてなんて言うの?続編的?パスティーシュ?とにかくそういう歌です。

 

僕は猫 気持ちを言葉にできないから愛される 僕の特権さ

 

というサビですが、この後さらにこう続きます。

 

でも今日は伝えたくて 鳴いてみたけどニャーって響いただけだった

 

一見可愛らしい歌詞ですが、文字通りの猫の気持ちの歌ではなく、自分を猫に喩えた歌だと読みます。
すると、本心を言葉にしないことで愛されたけれど、そのせいで本当に伝えたいことも上手く言えないようになってしまった僕の姿が見えてきます。
その1回目のサビに続く歌詞が、

 

君と同じだったら 僕なんか愛されなかった
性格本当は悪いんだ でもそんなとこも知ってほしかったな、なんて

 

自分の言葉を持っている君への憧れと、本心を隠して、性格が悪いのも隠して、人に嫌われないように当たり障りなく生きている自分への冗談めかした自虐。「知ってほしかった」と過去形になっていることから、君との関係が終わっている、もしくは終わりを予感しているような感じもして切ないですね。

 

寓話的で物語性がありながら、歌詞の余白に色々な解釈が入る余地のある歌で、私の読み方もその一つに過ぎませんが、猫を被って借りてきた猫のように生きている私にはこのように聞こえて、音は心地よいけどちょっと鋭いものを突きつけられている気分にもなる曲です。

この歌の主人公、「見せかけのラブソング」で見せかけのI love youしか言えなかった彼と重なるところもある気がします。

 

ちなみに、最後のサビで、「気持ちを言葉にできないから許される ぁ、僕の特権さ」と、「ぁ、」で一拍置くところが気持ち良いです。

 

追記

冒頭の歌詞の、

 

飲みかけのコップを倒した 流れた虚像が悲しくて

 

ってとこもすごく綺麗ですね。流れた虚像......。

 

4.End Roll I

幕間のインスト
音楽的な教養が全くないため、技法的にどういうことをやっているのか全く分かりませんが、綺麗なピアノの旋律が段々とヘンテコに展開していくのが面白い曲です。

ストーリー性のある「猫にも愛を」の余韻を殺さないまま、アルバムのリード曲「鐘鳴く命」へと聴いてる私の気分を切り替えてくれます。

 

 


5.鐘泣く命

 

indigo la End「鐘泣く命」 - YouTube

 

ドラマ版「ぼくは麻理のなか」の主題歌になった、言ってみればこのアルバムのリード曲に位置付けられそうな曲です。
最近のindigoはベースの音がメインでギターは以前より一歩引いたところから絶妙に効いてくる感じがしますが、この曲はギターのフレーズがどかんと前面に打ち出されたイントロです。

完全に余談ですが、indigoのイントロのギターだと初期の「楽園」「X Day」が好きなんです!って言いたかっただけですすみません。

 

歌詞は、比較的分かりやすい恋愛ソングが続いた第1部とは打って変わり難解に。......というか、正直なんのことやらよく分かっていません。人の解釈を読むと引きずられちゃうのであまり読みたくないんですけど、この曲はもう分からなすぎて「鐘泣く命 歌詞 解釈」とかいって探してみたものの、誰も書いてないんですね。みんな分かんないのかなやっぱ。とはいえそもそも歌詞なんて受け手が勝手に楽しめばいいので「分かる/分からない」というの自体ナンセンスかもしんないですね。
分からなければ分からないなりに

 

蒼き花束を抱えた 君が夢を泳いだ
抱きしめようとした瞬間 溺れてしまった

 

とか綺麗な光景ですよね。謎だからこそ、不思議な言葉の並びに聴いてて心がざわつくような歌だと思います。

 

 

 


6.知らない血

 

轟音、と呼んでもよさそうなヘビーなサウンドで幕を開く曲で、どちらかと言えばアンニュイでそれこそ藍色っぽい印象の曲が多いこのアルバムの中で異彩を放っています。


たた歌詞はこれも難解ですね......。音楽的なことが分からないくせに歌詞まで投げてちゃしょうがないですけど、難しいです。
最初の

 

重い半生を繋いだ高名な血筋 それがないなら 軽くなくても世は軽んじる

 

までは、文字通り血筋の話かと思い、頭の中のマルフォイが「汚れた血め!」と騒ぎ出しました。でもその後はさーっぱり。何百年何千年とか幾度回転してもとかで、輪廻や世代の話かな......とも思いつつ、うん、分かりませんねぇ。でもなんとなく曲調と言葉遣いと歌い方でシリアス感は伝わってきます。こんな雑な感想でいいのか......。

 

 

 

7.ココロネ(Remix by Qrion)

 

ひとつ前のアルバム『藍色ミュージック』に収録された曲のリミックスです。
原曲はベースがぶいぶいしてて、ダフト・パンクの最新アルバムみたいな雰囲気のあるダンスミュージックでしたが(そういえばダフト・パンクって今何してるのかしら)、このリミックスはもっとこう、エレクトロ感?っていうの??......ジャンルとか分からないけど、無機質だけど繊細な美しさがあって、原曲と甲乙つけがたいですね。リミックスしてるQrionさん、私と同い年の1994生まれでこれはすごいです。

 

せっかくなので歌詞についても触れると、私はこの歌詞は子供を作ることについてだと思ってます。もちろん下ネタ的なエロい歌じゃなくてもっと真摯な。歌詞の中に一人称が出てこないのも、そうした重いテーマの普遍性を表現するためかな、とか。

とはいえこれも全部のフレーズに説明がつくほどには分かってませんが←、断片的に読むとそうも読めると言う感じで......。

 

詩のついたメロディー 与えあっても
死のついたメロディー 奏できるまで

多分途切れない悲しい連鎖が産声を上げたあの子を巻く

 

詩のついたメロディーは言葉、死のついたメロディーはいつか死ぬ人生と捉えました。言葉を与え合う=人と関わっても、人生を奏できる=死ぬまで、悲しいことが途切れることはない。そして、そんな宿命は生まれたばかりの子にも既に巻きついて離さない。

 

いつの間にかあの子たちも はしゃぐ雫が涙になってく

 

無邪気にはしゃいでた子供達もいつか人生が悲しみの連鎖だと気付く、ということですかね。そして、

 

誰しも感じるはずなのに何故か 終わらないんだね

 

そう、誰でもそのことに気づいているはずなのに、命は続いていくんです。思ったことありませんか?「誰が産んでくれって頼んだよ!」反抗期拗らせてますね。でも実際、頼んだわけでもないのに我々はこうしてこのつらい世界に生まれてきました。なんでなんでしょう?
この曲は最後こんな詞で終わります。

 

そして抱きしめ合えたら 救われる 先に意味を持たせなくても
安らぐ心があるだけで 他に何もいらないはずさ
ほら、雫が降ってきた

 

そういうことなのよね。

 

 

 

8.End Roll II

 

そして、幕間その2。こちらもIと似たような音ではありますが、完全なインスト曲だったIとは違い、ポエトリーディングのように呟かれる詞が付いています。
曲の最後で、

 

エンドロールが聴こえる 戻らなきゃ あの日に戻らなきゃ 君の元に

 

と言って「プレイバック」に続くのが粋ですね。

 

 

 

9.プレイバック

 

indigo la End「プレイバック」 - YouTube

 

「あの日に戻らなきゃ」から続いて流れ出すコーラスと焦燥感のある演奏は、1曲目「想いきり」にプレイバックしたかのよう。もちろん全然違う曲なんですけど、イントロにちょっと既聴感があることでこの曲の歌詞にある「繰り返す」というフレーズが暗示されているようにも思います。

演奏の展開が多い曲で、なおかつその展開が歌詞に描かれる気持ちの揺れを表しているような曲です。


このアルバム全曲好きで、どれが一番とかは選べないですけど、キャッチーさもあって一番よく聴くのはこの曲です。

 

まず、開口一言目の歌詞が

 

歩いては 歩道橋で折り返す 切なさを纏っては立ち止まって

 

indigoの曲でよくある手法ですが、最初の方で具台的な風景や出来事のディテールを一つ描いておくことで、全体には抽象的な歌詞を現実に繋ぎ止めてリスナーの共感を深めにきています。
余談ですが、こういう手法の歌詞では「夜明けの街でサヨナラを」の、「バイトのユニフォームのポケットから出てきた なんてことない手紙で あなたを好きになったんだ」も大好きです。この曲についてもそのうち書けたら............。

 

......そして、続く

 

振り返る 繰り返す 季節は変わった

 

のところの、「繰り返す」あたりで一瞬演奏が激しくなるのがカッコいいんです。お馴染みのスラップベースが過去を振り返る主人公の気持ちのざわめきを表しているような、演奏と歌詞が見事にリンクした一節ですね。
季節は変わった、というのも切ない。

 

時間を掴んで引き寄せれたら どんなに優しくなれるだろう

 

彼女に優しくできなかったことを後悔しているんでしょうか。私だって戻れるものならもっと優しくしてますよ。続くサビで、

 

プレイバック プレイバック
穏やかな気持ち二つ分

 

と、君と僕の二つ分の「穏やかな気持ち」をプレイバックしていることから、別れ際は穏やかじゃない、なにか酷い喧嘩別れのようになったのかなぁ、なんていう想像もしてしまいます。

 

この曲、言ってしまえば歩きながら別れた彼女への未練たらたらな物思いにふけっているだけの歌(だと思う)ですが、それがこんなにも綺麗に歌われてしまうというのは危ないですよね。

 

プレイバック プレイバック
美しい言葉に聞こえる
プレイバック プレイバック
進むから美しいはずなのに
もう一度だけ プレイバック

 

進まなきゃいけない、進むことが美しい、振り返っているのは女々しいってことくらい分かってる、だけど感傷に浸ってしまう。そんなダメな状況を綺麗に書いちゃった名曲です。

 

 

 

10.天使にキスを

 

無機質なリズム。不気味さすら感じるような、抑えていながら存在感の強いギター。演奏がめちゃくちゃ良い曲です。なんだか分からないけど自分は今ヤバいものを聴いてしまっている!!という危機感すら感じます。

歌詞は相変わらず理解しきれない謎かけみたいですが、なにか君との間の決定的な隔たりとか違いとかに気づいてしまったような感じですかね?内容はうまく把握できないまま、音も相俟ってイメージの切なさが襲ってきます。

 

天気を軽く掴んで 双六みたいに雪降らした

 

という表現が綺麗で好きです。

 

 

 

11.エーテル


「夢のあとから」を夜じゃなくて夕暮れにしたような静かなイントロ。切ないけど優しい感じの音で、歌詞の雰囲気を見事に表しています。

 

歌詞には出てこないタイトルの「エーテル」という単語、私世代だとFFでMP回復に使うアイテムのイメージしかありませんが、ウィキペディアで調べてみると神学、物理、化学の用語でもあるらしいです。ただ、その語源は「輝くもの」という意味らしく、このタイトルではその意味で使われています。

 

いつもよりズルくなって 何故かいつもより優しい そんなとこが愛おしかった

 

「愛おしかった」と過去形なのが切ないですね。

 

弾ける思いは海のよう 塩っぱくて顔が崩れてしまった

 

という歌詞がありますが、このアルバムでリミックスである次の曲を除けば最後の曲がこの歌詞なのはアルバムタイトル『Crying End Roll』を想起させます。

 

輝いてしまうよ 何年も何年もきっと

 

というのは、君との思い出のことでしょうか?最後の「眩しい」も、輝いてしまっている君との思い出を悲しむでもなく戻りたいというでもなく、ただ眩しがっているのだと思うと切ないです。

 

全体に、また会いたいとかまだ未練があるとかではなく、思い出を大事にするしかないという諦念が感じられ、もしかするとこれは死別の歌なのかな......?とも思いました。そこは想像次第ですが、そうも読めるような書き方だとは思いますね。

 

追記:最後の「眩しい」はゆらゆら帝国の「美しい」のオマージュなんですね。言われてみれば同じです。

 

 


12.夏夜のマジック(Remix by ちゃんMARI)

 

indigo la End「夏夜のマジック」 - YouTube

 

というわけで、シングル『悲しくなる前に』のカップリングでありながら、PVが作られ『藍色ミュージック』にも収録されと、シングルA面並みの扱いを受ける曲のリミックスです。やっぱメンバーもよっぽど気に入ってるんですかね。私もシングルで初めて聴いた時からindigoでも指折りの好きな曲です。
原曲は、indigoがはじめてがっつりブラックミュージック的なアプローチで作って曲調の幅を拡張するきっかけにもなった曲......って人の受け売りですけど、そんなブラック感が心地いい曲です。
今回リミックスを手がけたのはゲスの極み乙女。のキーボード担当、ちゃんMARI。ピアノがフィーチャーされつつ、ヘンテコなリズムも印象的です。原曲のような歌モノというよりは、歌も含めて演奏の一部みたいな、矛盾してますけど歌詞のあるインスト曲のような聴き心地のリミックスになっています。

過去を振り返っているような歌詞ですが、今夜だけのマジックが解けたら前に進めそうな、そんな予感もあって、切ないけれど前向きなような歌で、とにかくこの曲がアルバム全体を救っている気もします。
だから、「エーテル」の感想で「この曲がCrying End Rollである」というふうに書きましたが、じゃあこの「夏夜のマジック」はアルバムが終わった後のボーナストラックかと言われると、そうではないんですよね。

映画の喩えで言うなら、エンドロールが終わった後、劇場に明かりがついて席を立つまでの間の余韻......みたいな。映画の醍醐味の一つはその余韻だと思いますし、この曲も、(上に書いたインスト感も相俟って)余韻が音になって流れているような満足感を味わわせてくれます。

また、エーテルもこの曲も死の匂いを感じさせる歌詞なので、このアルバムのこの位置に置かれたことで前作とはまた違ったアルバムマジックが起きている気がします。

 

 

 

歌詞も全部好きですが書き出すと長くなるので一ヶ所好きなフレーズを。

 

祭りの音が聞こえ始める時間に 決まって鳴く野良猫の顔が嬉しそうだ
君の方が僕より夏が好きだったね

 

野良猫の声が掻き消されない程度に祭りの喧騒から遠いところで、夏が好きだった君のことを思い出してるこの感じ、好きです。完膚無きまでにどうでもいいですが、私の実体験の場合は「君の方が僕より冬が好きだったね」という感じでした。嫌いだった冬を少し好きになった時の気持ちが(季節こそ反対ですが)この曲を聴くと蘇ってきて泣きそうになるんです。でもぼくちゃん強い子だから泣かないもんねっ。

 

 

 

 

おわりに


というわけで、indigo la End 4th Album『Crying End Roll』感想でした。音楽の技術面が分からないままアルバムレビュー書くの大変でしたし深いこと言えず自己満になっちゃいますけど、誰も読んでないしまぁいいや。どうせこの世は諸行無常。こんだけハマったアルバムも他の好きなバンドの新譜が出たら聴く頻度減っちゃうから、今ハマってるうちと思って書きました。

ちなみに初回盤の付録のライブDVDもめっちゃ良かったです。楽園とか秘密の金魚とかのライブ見れるなんて......!

 

 

 

三月のライオン(由良宣子。将棋じゃなくてね!)

「愛が動機なら やってはいけないことなんて 何ひとつ、ない」(本作ポスターより)

 

兄と妹の禁断の恋を、セリフも少なめに淡々と、ともすれば退屈なまでに淡々と描いた作品です。でも、全体にどこか文学的な雰囲気と色気があって、退屈だけど飽きはしないという絶妙なラインでふにゃっと楽しめる映画です。

 

 

三月のライオン(トールサイズ廉価版) [DVD]

三月のライオン(トールサイズ廉価版) [DVD]

 

 

製作年:1992年
監督:矢崎仁司
出演:由良宣子

☆3.8点

 

 

 

兄と妹がいた。
妹は、兄の恋人になりたかった。
ある時、兄が記憶喪失になった。
ーーそしてアイスは、ハルオの記憶が戻るまで、ハルオの恋人になることを決める。

 

......というあらすじが、なんと冒頭にテロップでさらっと紹介されてしまいます。
アイスはなんで兄のハルオのことが好きなのか、ハルオはどうして記憶をなくしたのか、その辺が一切省かれていきなり本題に入るので、背景は全てこちらの想像に委ねられます。

そのせいもあってか、観てる側からは近親相姦という実感は薄かったです。それが映像や演出の美しさとも相俟って、エグさや汚さを感じさせない純愛ストーリーに仕上がっています。

 

さて、少なくとも男から観た場合、本作の1番の魅力はそのままヒロインであるアイスの魅力であると思います。
可愛いけどエッチで、明るく振舞ってるけど闇が深くて、街娼として生計を立てていて、いつもアイスを食べながらお兄ちゃんに恋してる。私には想像もつかないような不思議な生き物。‬
この感想の冒頭に「ともすれば退屈なまでに淡々と」していると書きましたが、彼女にドキドキさせられるシーンが多かったのでそれだけで実際には全く退屈しませんでした。


というわけで、ここらでアイスちゃんの可愛いシーン・ベスト5を発表します。

 

 

 

第5位!

壁の上を両手を広げてバランスを取りながら歩くシーン

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男ってバカね。全男子は両手を広げて歩く美少女に弱いのです......。

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ちなみにこの近くにある堤防で足ぶらぶらもフェチいです。

 

 

 

第4位!

客に「いっぱいしようね」と言うシーン

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観て貰えば分かるけど、この近さからの「いっぱいしようね」は反則です。

 

 

 

第3位!

ハルオの髪を切ってあげながら自分の髪を搔き上げるシーン

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そもそも黒髪ショートの髪型が非常に好み。それでこれはもう......好きになっちゃうよ。

 

 

 

 

第2位!

鏡に向かって口紅を塗るシーン

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お化粧という本来極めてプライベートな行為を観客だけがカメラのレンズをマジックミラー代わりにして覗き見る事が出来る。これ映画の醍醐味。にしても窃視というのは良いものですね。

 

 

 

そして栄えある第1位は〜〜っ

 

ぱっ(暗転)


どこどこどこどこ〜(ドラムロール)


じゃん!(スポットライト)

 

第1位!

スクランブル交差点の真ん中でパンティを履き替えるシーン
です!

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......いやぁ、こんなんダメでしょ。ハレンチ容疑で逮捕しちゃいたい。

ちなみにこのシーン、

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この画像左上にご注目ください。日の丸に黒いリボンがありますね。これ実は、天皇崩御を悼むためのものらしく......そんな時に街角でパンツ脱ぐな!自粛しろ!!

 

というわけで、アイスちゃんの可愛いシーンランキング改め性癖暴露大会を終わります。

 

ちなみにその他のシーンだと、ハルオがキャバクラに連れてかれて上司のおっさんに「彼ね、記憶喪失なんだよ」と紹介されるとお嬢さんたちが「きゃーかっこいー握手してー」と異様に湧くシーンが好きです。記憶喪失かっこいいのか?

 

 


......という感じで2人は仲良く楽しくちょっとエッチな日々を過ごしますが、そんな幸せな日々のすぐ横には様々な昏い感情が存在しています。


そういう常に危なっかしいところでギリギリ保たれているような物語のスリリングさが、淡々とした話ながら飽きさせない秘訣かなと思います。

 

 


ラストも印象的です。とある理由でアイスを食べられなくなっていたアイスにハルオがアイスを差し出すシーンは、本来なら当然考えるはずのネガティヴな感情を押し流してしまうほど強烈に美しいのです。


近親相姦も、売春も、記憶喪失も、切なさも、苦悩も、不安も、全てが美しいものに思えてしまう、そんな危なさを湛えた毒薬のような映画でした。そしてエロかった。

ドグラ・マグラ(1988年の映画版だポコ!)

今回紹介する作品はこちら!

読んだら精神に異常をきたすなんて言われる三大奇書のあのメンバーの映画版だポコ!

原作は高校時代に読んだきりでうろ覚えだったから復習もかねて観たんだポコ!アーァ、スチャラカチャカポコ!

 

 

ドグラ・マグラ [DVD]

ドグラ・マグラ [DVD]

 

 

製作年:1988
監督:
出演:桂枝雀,室田日出男,松田洋治,三沢恵里

☆3.6点

 

 

いやぁ、素晴らしかったです。原作は上下巻に渡って目眩く繰り広げられる脳髄論、脳髄が脳髄を追いかける探偵小説......そんな、確かに精神がおかしくなりそうなお話なのですが、なんとこの映画版は100分程度の短さで原作の流れと雰囲気を見事に再現しています。まぁ、あれだけ長大な原作なのでダイジェストっぽくなってしまうのは仕方ないところでしょう......。ちなみに原作は私も読んだことがありますが、精神に異常をきたしたりしておりません。

 

冒頭、「巻頭歌」が映るところから原作読者にはたまりませんよね。

 

胎児よ胎児よ 何故躍る

母親の心がわかって 恐ろしいのか

 

多くの奇書ファンが暗唱できるだろう、このフレーズ。ツイッターでこれをもじったネタツイをしたことがある人も多いかと思います(私見)。ちなみに原作は私も読んだことがありますが、精神に異常をきたしたりしておりません。

 

そこからの「ブーーーン」ですが、これはちょっとイメージしてた「ブーーーン」の音とは違いましたが、精神に異常をきたしたりしておりません。というかあれは「ボーン 、ボーン」ですよね。もっとなんの音か分からない曖昧な音を想像してました。

 

そして目覚めた主人公の顔を見て私はびっくりしました。く、草野マサムネ......!!?そう、主演の松田洋治さん、私の大大大好きなロックバンド・スピッツのボーカル草野マサムネに瓜二つなのです!

 

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松田洋治

 

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草野マサムネ

 

美男子だけどちょっと不気味で頭おかしそうなところも(若い頃の)草野マサムネっぽくて、主人公は呉一郎なのかそれとも草野マサムネなのかと勝手に余計頭がこんがらがってしまいましたが、精神に異常をきたしたりしておりません。

ちなみに現在は全然似てません。

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松田洋治(現在)

 

 

 

続いて聴こえる声......この声は......モ、モヨ子......!原作のモヨ子ちゃんはミステリ界最高ヒロインランキングに留美ちゃん(飛鳥部勝則『堕天使拷問刑』)や小佐内さん(米澤穂信「小市民」シリーズ)と並んで必ず入るくらいの美少女なので(個人の感想です)、生身の人間が演じてる時点でどう転ん でもイメージと違ってしまうものですが、モヨ子役の三沢恵里さんという方、そんな難しい役をよく演じてらしたと思います。童顔で可愛らしいけど見ていると不安を掻き立てられるような不思議な顔立ちで、この作品以外に出演作がないことも相俟ってミステリアスなモヨ子感はしっかり出ていた精神に異常をきたしたりしておりません。

 

そして、若林、正木両博士も凄かったです。どちらも原作のイメージ通りで、よくこんな変なやつら揃えたもんだと思います精神に異常をきたしたりしておりません。特に正木博士はキチガイ地獄外道祭文でお馴染みの独特のリズムでペラペラ喋る印象だったので落語家の(しかも気が狂ってそうな)桂枝雀さんはピタッとハマリ役でした。チャカポコ チャカポコのシーンも微妙に変えてはありますがヤバさはしっかり再現されていて嬉しかったです。そんな感じで登場人物が出揃っただけでもうテンションが上がってしまったのですが精神に異常をきたしたりしておりません。

 


お話の方も胎児の夢、狂人の解放治療、呉青秀などのエピソードもきちんと詰め込んでいながらその辺をスッキリ短くまとめたことで、本筋も、脇道の薀蓄も、原作より分かりやすくなっています。もちろん圧倒的な情報量に幻惑されるのが原作の醍醐味なので、まとめちゃうと薄味になることは否めませんが、なにせ原作は上下巻の大作。再読したいけどちょっと長くて躊躇ってしまう人(私など)や、原作が気になるけどちょっと長くて食指が動かないような人には、原作の内容・雰囲気ともにかなりなところ再現されている本作は自信を持ってオススメ できます。原作は私も読んだことがありますが、精神に異常をきた

したりしておりません。私も読んだことがありますが、精神に異常をきたしたりしておりません。私も読んだことがありますが、精神に異常をきたしたりしておりません。私も読んだことがありますが、精神に異常をきたしたりしておりません。私も読んだことがありますが、精神に異常を

きたしたりしておりません。私も読んだことがありますが、精神に異常をきたしたりしておりま

せん。私も読んだことがありますが、精神に異常をきたしたりしておりません。私も読んだことがありますが、精神に異常をきたしたりしておりません。

 

 

 

 

 

 

引用:yahoo!知恵袋

貫井徳郎『修羅の終わり』読書感想妄想憶測文(※全編ネタバレのみ)

 

《これまでのあらすじ》
明日、この作品で読書会をするのですが、困ったことに自分の考察を全くまとめてないっ!
焦った私は仕事の昼休み、晩御飯の時間、お風呂の中、あらゆる隙間時間を使って1日でとりあえず分かったことだけ纏めました。

 

 

 

 

 

 

というわけで、最初から言い訳で始めてしまい恐縮ですが、非常にざっくりとした結論のない「現在までに考えたこと」の垂れ流しなってますのでご了承ください。

 

タイトルで断っている通り最初からネタバレ全開、読了済みの方向けに、作品内容の説明も今さら特にはせずに書きます。こちらもご了承ください。

 

 


この作品を読み終わって、まずはその繋がらなさに驚きました。
ミステリに3つのパートがあれば必ずそれらが綺麗に収束しなければならないのが普通です。しかし、この作品では最後まで読んでも各パートの繋がりの説明が全くありません。
もちろん、ただ投げっぱなしなのではなく、読者が考えるための材料は揃っています。
つまり、この作品は謎と手がかりだけを提示して、解決を読者という"探偵役"に委ねるという形で本格ミステリとして成り立っているのです。

 

そこで登場するのがこの私、名探偵・青にゃんです。にゃんにゃん。

 

 

 

 

さて......。

謎を解くに当たって、我々が最初に探るべきは各パートの年代です。
そこで作中の描写をあたってみると、

 

「テレビのニュース番組は、どのチャンネルに切り替えても沖縄返還協定が調印されたことについて報道していた」(上 p225)

「つい先頃逮捕された大久保清のような事件」(下 p337)
という部分から

久我パート→1971年

 

「昭和四十七年生まれと記載されているから、現在は二十歳だ」(上 p55)
という部分から

鷲尾パート→1992年

 

ということがそれぞれ分かります。

 

そして、最後まで年代が分からないのがⅡの真木パートです(正直なところやたら鷲尾パートと同年だと思わせようとしてきてる時点で逆に久我パートと同じなのは見え見えですが)

このパートの年代が久我パートと同じだと分かるのが、ラスト1行のどんでん返しになっています。

つまり、久我編と真木編が1971年、鷲尾編がその21年後の1992年をそれぞれ描いているのですね。

 

そして、この空白の21年間というミッシング・リンクを解き明かすことが、本作の"探偵役"である我々読者に提示された"謎"でしょう。

 

 

 

 

さて、それではまず同年の話である久我編と真木編の繋がりからみていきましょう。

ここで主に謎となるのは
1.前世とは?
2.山瀬は何者か?
3.真木の姉とは?
くらいでしょうか。

 

まず1ですが、久我編に出てくるのは「藤」であるのに対し、小織の言う前世の彼氏は「藤」拓也で、「さい」の字が違うことから別人だと分かります。1971年の真木編の中で20年以上前に前世で別れたという記述があるため、この前世の斉藤さんは1950年頃の人物だと思われます。
というわけで思わせぶりな前世の話は一切本筋と関係なかったわけですが、本書に通底する繰り返しの構図を最も分かりやすく暗示するキーワードではあると思います。

 

次に2の山瀬さんの正体ですが、これは真木の姉の仇として久我のことを教えたことから、藤倉だと分かります。藤倉が久我と同年代、山瀬が30前後とそれぞれ記述されていて年齢的にも齟齬はありません。てかこいつまじクソ野郎だな。
そうすると、芋づる式に3の真木の姉も、藤倉がタマとして使っていて、久我に犯させた「死んだ魚の眼の女」だと分かります。
彼女が久我に犯されたのが10月下旬(25章)で、真木の姉が死んだのは手紙の日付から真木編の2ヶ月ほど前と推測されます(22章)。そして真木編の正確な日付は分かりませんが冬の話だと何度も書かれているので、時系列的に見ても間違いないでしょう。

 

それでは、藤倉=山瀬を踏まえて、1971年の久我編・真木編と、1992年の鷲尾編の繋がりを見ていきます。

ここで大きな謎となるのは白木の正体ですが、彼についての
①歳は鷲尾と同じくらい(鷲尾は35歳)で

②アルコールをちびちび飲みながら「アルコールは苦手なんです。これでずいぶん損をしてますよ」と語り

③公安の人間と繋がっている

という記述から、

 

白木=真木


というのが確定します。本当は何も確定していませんが、作者がはっきりしたヒントを書いてないんだから妄想で埋めるしかないんです。もっとちゃんと証拠を提示しといてほしいわ貫井のケチ!


大学二年生だった真木の21年後というと恐らく40歳となり、35歳の鷲尾と同年輩ではなくないか?という疑問もありますが、真木は整った顔立ちと書かれているので見た目より若く見えると思えば辻褄は合います。

となると当然、白木と繋がっている公安の人間というのは藤倉ということになり、

 

藤倉=山瀬=真木の後ろ盾

 

という等式が出来上がります。
つまり、ⅠからⅢの全ての黒幕が藤倉という1人の男であった、というのが本書の最大のトリックだと言えるでしょう。

 

......というのが、
http://ann-ninn150.jugem.jp/?eid=106
木口仁氏によるこちらのブログで書かれていることのロングバージョンになるわけですが、正直これ以上のことはほとんど分かりません。

 

 

 

 

 

ただ、上記のことを踏まえて、目を皿のようにしながら再読していたら、1人だけ気になる人物がいました


それが、鷲尾パートの冒頭に出てくる万引き美少女・長谷川美久たん20歳です。
私が彼女に注目した理由はたった3つ。「昭和四十七年生まれと記載されているから、現在は二十歳だ」という記述、売春はしないというこだわり、そして美久という名前です。
私が本書を再読する中で気をつけて見ていったのが登場人物の年齢でした。1971年と1992年の間で、21歳の年の差があるキャラクターがいたらそれは同一人物ではないか?と。
でもさすがは貫井さん、そこにもちょっとした捻りを加えてきました。
そう、1992年時点で20歳の美久ちゃんは、1971年時点ではマイナス1歳。そう、ちょうど1971年に受胎したと考えれば両年代の"繋がり"になり得るキャラクターなのです。だってこれだけレイプが横行する物語だし、レイプする時に避妊なんてしないでしょ?

 

では誰の子供か?そうなんです、レイプが横行すると言いましたがそれは主に鷲尾ちゃんの仕業で(クソだなこいつ)、久我編でレイプされる女性は真木の姉と玲子の2人だけです。そして真木の姉はレイプされたすぐ後に自殺していることが分かっているので、美久は作中で死んだという記述のない玲子の娘だということになります。
そう考えると、本書のラスト1行のその後がほんのり浮かび上がってきます......。


......真木は久我を殺害。その場で逮捕されますが、初犯で1人、計画性も薄く動機にも同情すべき点が多かったため数年で出所します。しかし、獄中で酷い扱いを受けたため、警察に復讐を誓い「白木」として生まれ変わります。


一方、久我の死を知らされた玲子は、その後自分が妊娠していることに気付きます。レイプによって出来た子供ですが、その久我も既に死んでいるし子供には罪はない。玲子は子供を産むことを決め、父親に会うことが出来ないその子に久我の「久」の字を名付けます。


美久はそんな自らの生い立ちを察しているのでしょう。クスリや万引きはしても売春だけはしないというポリシーを持って生きていきますが、母親と同じようにレイプ被害に遭ってしまいます。

 

 


以上は完全に憶測ですが、美久の生まれ年を(免許証という小道具を使ってまで)西暦でなく昭和で表記している点や、彼女がプロローグから登場している点に作者の意図を感じなくもありません。

 

そして、そう考えると本書のテーマ(と思う)の「修羅は繰り返す」というのにもぴったり合致すると思います。

 

1950年代の「斉」藤拓也と、1971年の「斎」藤。
真木の姉と斎藤の姉・玲子。
萩原への暴力と和久井への暴力。
交番爆破事件と鷲尾の爆弾。

 

このように、本作中で悲劇は何度も似た形をとって繰り返されています。そして、時系列的に最後の爆発のシーンまで行っても、派手なクライマックスというだけで何も解決していないし終わってもいません。黒幕のあの人も生きてます。絶対またなんかやらかします。タイトル、『修☆羅は終わらないっ!』の間違いでは?と思います。

 

また、もう一つのテーマは真木の人生でしょうか。
大きな正義のために協力者を犠牲にすることに葛藤を覚えつつ、最後には壊れてしまう久我。一方、警察の立場を利用して自らの欲望だけを指針に暴走する鷲尾。この対照的ながらどちらも激しい修羅に駆られる2人の主人公に挟まれた、第3の、そして真の主人公が真木です。
最後まで読んで謎を解いた読者だけが、真木のラスト1行のその後にある、彼の修羅を見ることが出来ます。そういう意味では本書の結末こそが真木の『修羅の始まり』であると言えるでしょう。いや、終わりって言ってんだから終われや修羅。

 

というわけで、茹で卵みたいにシワのない脳味噌振り絞って脳汁ちょちょぎれつつ書いた駄文でした。
なお、本文の大半の部分が木口仁氏のブログ「のーみそコネコネ」に依っているので改めてお礼申し上げます
明日の読書会は私みたいな薄らオタンコ阿保ナス野郎には想像もつかないような頭脳派の読み巧者たちが結集するので、これから浅い考察を蔑まれる覚悟を決めなければなりません。馬鹿はつらいよ!

 

......to be continued

HOUSE(大林宣彦監督)

カルトなホラーコメディという噂だけ聞いていたものの、微妙にその辺のレンタル屋さんに置いてなくて、ずっと観たかったけど観れなかった作品です。ついに観ました。


主人公のオシャレと、その友達のファンタ、クンフー、メロディ、スウィート、ガリ、マックの女子高生7人は、夏休みを利用してど田舎にあるオシャレの叔母さんの家に泊まりに行く。しかしそこで不思議な出来事が相次いで......。

 

 

 

HOUSE (ハウス)

HOUSE (ハウス)

 

 

製作年:1977
監督:大林宣彦
出演:池上季実子大場久美子神保美喜南田洋子

 

☆3.8点

 

 

 

 1

「さぁ旅立とう 日常の中のファンタジーへと」(Mr.Children『fantasy』より)

 

観始めて、まずそのノリの古さに驚きました。これが昭和か!
なにせ女3人集まれば姦しいと言いますからね。7人集まれば......というわけで、彼女らの謎テンションに圧倒されます。

 

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 ↑姦しい姦しい女たち


と同時に演出のチープさも極まってます。これは本当に映画なのか、ローカル局が作ったテレビドラマじゃないのかってくらい安っぽいです。話の導入にしても、パパが連れてきた継母にフクザツな気分になって、家から逃げるために友達と旅をするなんて、とてもありきたりな......。あとパパ役がミステリ作家の笹沢左保でびびりました。笹沢左保って役者までやってたのか......。
叔母さんの家へ向かうシーンからは勢いが出てきたのとこっちもノリに慣れてきたのでちょっとずつ楽しくなってきます。


ゴダイゴのメンバーが総出演の電車シーン、オーディオコメンタリーがうるさすぎる昔話のシーンになってようやく、「あれ、この映画ただチープなだけじゃない......?」と、その謎めいた凄さの片鱗を垣間見せて来る気がしなくもありませんが、この先どうなることやら......。

 

 

 

2

「おっしゃ Let's 世界征服」(きゃりーぱみゅぱみゅ『インベーダーインベーダー』より)

 

さて、サムい序盤の日常パートが終わり、いよいよ田舎の"HOUSE"へ向かう中盤から俄然面白くなってきます。


本作の制作年は1977年。

70年代の"ディスカバージャパン"に乗っかって1976年に『犬神家の一族』が大ヒットした翌年です。

本作も、いかにもな古き日本の田舎を描いています。しかも、作中にこんな看板が出てきたりするからもう確信犯的にジャパンをディスカバーしにかかってますね。

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我々日本人は薪で風呂を沸かします。我々日本人はスイカは井戸で冷やします。そんな我々日本人の魂が描かれた映像は、現在だとむしろクール・ジャパンみたいな感じで海外にウケそうな気もしますね。

 

そして、この辺からコメディ要素にファンタジーやホラーの要素が加わって一気にいかがわしさが増していきます。不気味だけどチープで滑稽さや可愛らしさもある。誰もが言ってる喩えですが、やはりお化け屋敷っぽいというのが一番分かりやすいでしょうか。もちろんイマドキのエグいやつじゃなくて昔ながらの手作り感のあるお化け屋敷。小学校の文化祭でどっかのクラスが作ってたやつを思い出しました。背景が時々絵になるのもそれっぽいです。

 

ちなみに、南田洋子演じるおばさんの名前は羽臼香麗(ハウスカレー)だそうで。時代ですね......。

 

 

3

「this is no way to live and this is the way to die」(the telephones『Kung Fu Village』より)

 

また、中盤からはキャラの魅力もぐいぐい押し出されてきます。
なんでもキャラ名がアダ名だけってのは当時の日本映画としては異例だったようで、Wikipediaを見ると出演者の事務所から「ちゃんと名前つけて」って頼まれたとか。でもキャラの特徴を一言で言い表したアダ名のおかげで7人の美少女たちを一発で見分けられます。マックはマクドナルドばっか食べて太ったからマックなのかと思いましたが、ストマックのマックなんですね。どっちにせよデブって意味のアダ名可哀想......。


7人の美少女とは言っても、名前の通ってる
オシャレ as 池上季実子
ファンタ as 大場久美子
クンフー as 神保美喜
の3人はやはり別格です。
しかも正統派美人と可愛い系と健康的なエロさという三者三様の強みを持っているので男子の間で誰派かと議論が起こりそうですね。


ちなみに私はやっぱりファンタちゃんかなぁ。夢見がちでぼんやりした童顔の女の子って最高ですやんね。

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ほら、かあいいでしょ。 

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 変顔や叫び顔もかわいいんです。

 

でもオシャレちゃんはむしろ兼ね役の母親役の時の白無垢姿がこの世のものとは思えぬ美しさでよかったです。

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こりゃえげつない綺麗。

 

でもでもクンフーのアクションのカッコ良さと腕も脚も丸出しの格好には心の中の男子中学生が疼きましたね。あ、動きが激しすぎていい写真が取れなかったので画像なしです。ごめんなさい。

うーん、でも甲乙つけ難いですね。(っていうかこの人らみんな今ではもうおばさ

 

......んで、そんな可憐な少女たちがエキセントリックなやり方で"家"に食べられて行く、これがやっぱりこの映画の最大の見所で......。
このあんまりな死に方の数々は本作の肝なので書きませんが、やられて行く場面の映像が凄いです。
序盤ではただ安っぽいと思ったチープな映像も、ここまで来るとアート表現としてのチープさに変わります。私はこれ夜中にお酒を飲みながら観たのですが、酔って幻覚でも観てるのかなってくらいに奇天烈です。

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こんなんとか、もっとファンタジックな映像が続出です

 

クライマックスは何が起こっているか分からないほどにサイケデリックでしっちゃかめっちゃか。そんな怒涛の笑いと恐怖の果てにあるのは......。

 

 

 

4

「私待つわ いつまでも待つわ」(あみん『待つわ』より)

 

真っ暗なお化け屋敷をドキドキしながら探検して、出口から外に出て青空を見てほっとする安心感と満足感。これが夏の醍醐味ですね。
この映画におけるほっとする青空が、ゴダイゴの歌うエンディングテーマ(そして一緒に流れる映像)です。
あれだけめちゃくちゃしといてなんとなく綺麗に終わるのズルいんですけど、やっぱいいですね。終わり良ければ全て良しですよ。

 

ただ、一つだけ惜しいのが最後の熟女のPV。あれ要る?ズルズルと後日談を続けられてクライマックスの興奮が削がれた気しかしないです。

 

とはいえ、アーティスティック・ファンタジック・アイドル・ホラー・コメディとしかジャンル分けのしようのない怪作なので夏の思い出作りにぜひ観てほしいです。